12.普通じゃない自分
クロエは気持ちを落ち着けて、涙が止まったところでフレッドはテーブルに置かれたスコーンをクロエの前に差し出した。
スコーンはふっくらと焼き上がっており、ホカホカと湯気が出ているところから察するに焼き立てなのだろう。
「あ、クロエ嬢。よかったらスコーンでも食べる?」
「ええ! 私、スコーンが大好きなの」
「そう、良かった。君のお父上がクロエ嬢がスコーンが好きだって言ってたから持ってきて正解だったね」
すると、フレッドはクロエが読んでいた本に目を留め、首を傾げて尋ねた。
「何を読んでいたの?」
「生物学の本です」
「面白い?」
「ええ! とっても。ここの章の話なんてとっても面白いのよ。例えばプラナリアってなんで切っても切っても再生するかっていう話なの」
先ほどの本には生物の再生能力について書かれていた。
プラナリアというのは、ねちょねちょとした、なめくじのような生き物で、半分に切ったとしても、切った場所が回復し、分裂して新しい個体になるという不思議な生物だ。
そんな不思議な生物の話を最近知ったクロエは、何故そのような再生能力があるのか疑問に思い、調べているのだった。
「再生能力と言えば、雑草も不思議なのよね」
次にクロエが語ったのは何故雑草は千切っても千切っても生えて来るのかという謎についてだった。
他にも先ほどの本に書かれている話を、クロエは疑問を交えながら語った。
そこまで熱弁してしまってから、クロエは自分の失態に気づいた。
初対面の少女にこんなことを捲し立てられたら気持ち悪いだろう。
「ご、ごめんなさい! ええと……」
謝罪の言葉を口にしてから、慌てて違う話題を探そうとした時だった。
「そっか。君は本当に本が好きなんだね」
フレッドは優しい笑みを浮かべながら、クロエを見つめた。
温かい眼差しを向けられ、クロエの胸がトクトクと小さな音を立てる。
それがなんとなくこそばゆく、ソワソワと落ち着かない気持ちになり、話題を変えるようにクロエは紅茶を一口口に含んだ。
すると優美で淡いバラの花の香りが鼻孔を通り抜けて行った。
「素敵な紅茶の香りだわ。バラの花の香りがする気がしますね」
「ああ、我が家で採れたバラの花を乾燥させて、紅茶にブレンドしたんだよ」
「まぁ、そうなのですね。ここのバラの花も見事ですし、最後まで大切に使われているのですね」
「ここは僕たち家族にとって大切な場所なんだ。ここの花は全部僕たちが選んだからね。思い入れもあるんだよ」
再びバラ園に目を向けると、瑞々しい葉と共に鮮やかな薔薇の花が咲き乱れている。
それだけで、アルドリッジ家の家族が皆、このバラ園を特別に思っていることが伝わってきた。
(夢のような場所だわ)
クロエがそう思ってバラの花を楽しんでいると、視界の隅に、雑草だらけの場所があることに気づいた。
整えられた庭園に似つかわしくないその場所には、小さな水色の花がひしめくように咲いていた。
「あら? あの水色の花……オオイヌノフグリですよね? あそこの花壇もとても綺麗だわ」
クロエがそう思っているとフレッドが首を傾げて尋ねた。
「君は、こんな雑草みたいな花を綺麗な花だっていうの? その辺に咲いている花だよ。あんな雑草は抜いてしまった方がいいとか、庭には不要だとか、邪魔だとか思わないの?」
「え!? 思わないわ! だってあれはオオイヌノフグリはとても有用な花なのよ。解毒や腎臓病、喘息や浮腫にもいいの。それに胃腸を整える働きもあるの」
一つ一つの花はとても小さいものだが、群生している様子は、まるで薄水色の絨毯のように見える。
それにオオイヌノフグリの別名は星の瞳とも言われている。
その異名もロマンチックだと思う。
「別名が『星の瞳』というのも響きが綺麗だし。それにこの花の花言葉って『信頼・忠実・清らか』でしょ。そんなところも繊細で高潔なイメージで、とても素敵だと思うわ」
その言葉を聞いたフレッドが目を瞠り驚いている。
「そっか、君はそう思ってくれるんだね……」
「変なことを言ってごめんなさい」
「どうして謝るんだい? 実はこの花、僕の好きな花なんだ。だから敢えてここに植えてたんだ。僕の好きな花を君にも好きって言ってもらえて嬉しいよ」
フレッドがそう言ってくれたことにクロエは安堵していると、フレッドはさらに言葉を続けた。
「クロエは博識だね。他にはどんな本を読むの?」
無難に返したくても、普通の子供がどんな本を読むのかが分からない。
それにクロエが自分の好きな話題をしたとして、フレッドは果たして面白いのだろうか?
そういう考えが頭の中で浮かんで、クロエは言い淀んでしまった。
そんなクロエを見たフレッドが、テーブルに肘をつくと、クロエの顔を覗き込み、目元を和らげて微笑んだ。
「クロエの話、もっと聞きたいな。さっきみたいな花の話でも、好きなお菓子でも、最近面白かった学問の本の話でも、なんでもいいんだよ」
「でも……私の話なんて聞いてもつまらないと思いますよ」
「じゃあ、僕も自分のことを話すよ。僕はクロエのことがもっと知りたいし、クロエにも僕のことをもっと知って欲しい」
その言葉は嘘や建前ではないようだ。
「私はフレッド様が学校でどんなことをするか知りたいです。私、学校に行ったことがなくて。どんな授業をするの? 学園祭というお祭りをしたり、運動会というのもするのでしょ?」
一般的に貴族令息・令嬢は家庭教師が勉強を教えることが多い。
それでも中等教育に関しては、王立学園に通う貴族もいる。
社交を学ぶためだったり、人脈を広げて将来要職に就いた時のコネクションに使うためだ。
フレッドは名門アルドリッジ伯爵家の令息であることから、王立の学校に通っていると聞いている。
だからクロエは「学校」というのはどんな所なのか話を聞きたいと思った。
どんな話が聞けるのか。
クロエは期待に満ちた目でフレッドを見ると、フレッドは何かを考えるようにゆっくりと話し始めた。
「そうだなぁ……基本的に僕たちは学校で色々な教科を学ぶんだ。君の好きな魔術科学や薬学だけではなく、算術や社会学、文学、外国語、とかね。でも机に向かって勉強するだけじゃないんだ」
「まぁ、勉強以外にもなにかするの?」
「運動もするんだよ。馬術や剣術も勉強するね。それから……」
フレッドはクロエに学校のことをたくさん話してくれた。
こうしてフレッドの口から語られる学生生活というのは、クロエの全く知らない世界であると同時に、非常に興味深いものだった。
フレッドは話し上手で、身近な出来事をおもしろおかしく語ってくれるので、聞いていて全く飽きない。未知のものに対する興味関心が高いクロエは、心を弾ませてその話に聞き入っていた。
話の合間に、フレッドはクロエについての話題も振ってくれるので、気づけばクロエは時間を忘れておしゃべりを楽しんでいた。
そうして太陽が西に傾き始めた頃、父親たちの語らいも一段落ついたらしく、帰宅の時間を迎えた。
クロエが馬車に乗り込み、ドアを閉める段になった時、見送りのために屋敷から出ていたフレッドが、足早に近づいて来てクロエの両手を握った。
「クロエが良ければ、また屋敷に来てほしいな。もっと見てもらいたい場所もたくさんあるんだ」
「ええ! 是非!」
そう答えると、フレッドはクロエの手を恭しく取り、手の甲に軽く口づけた。
驚いて息を呑んだクロエだったが、まるでお姫様のように扱われたことに驚く一方で、嬉しく思った。
そうして屋敷を出た馬車の中で、クロエは今日のことを思い出し、小さく笑みを漏らした。
「クロエ、楽しかったかい?」
「ええ、とっても! 来てよかったわ」
家族以外の人間とこんなに楽しく話したのはもしかして初めてかもしれない。
娘を無理矢理連れてきたことに申し訳ないと思っていたジェレミーも内心安堵し、満面の笑みを浮かべるクロエを見て微笑み返した。
(またいつか会えるといいわね)
別れ際にフレッドが「また屋敷に来てほしい」と言ってくれたが、多分社交辞令だろう。
学校に通っているフレッドは忙しい日々を送っていると聞いているし、たった数時間話をした年下の子供相手に、時間を割くとは思えない。
もうフレッドとは会うことはないだろう。
そんなことを考えつつ、クロエは車窓から茜色に染まる空を見つめて帰路についた。
だが、その翌朝。
屋敷にフレッドからメッセージカードと共に、一輪の赤い薔薇が贈られてきた。
『来週の日曜日、時間があったらお茶を飲みに屋敷に来ないかい? 君が好きなスコーンを用意して待っているよ』
もう二度と会うことはないと思っていたフレッドからの誘いに、クロエもジェレミーも驚いてしまった。
だが、断る理由もない上に、父親から「たまには外に出るのも大切だよ」と促され、その誘いを受けることにした。
翌週、予定通りにアルドリッジ邸に赴くと、フレッドはクロエの好きなスコーンを用意して歓迎してくれた。
その日もクロエはフレッドと紅茶を楽しみ、日々あったことや興味のある話、この間読んだ本などを語り合い、楽しい時間を過ごした。
だがその翌日に、またフレッドからバラの花と今度は髪飾りが届き、添えられたメッセージカードにまたお茶の誘いが書かれている。
そんなことを繰り返し、気づけばクロエはフレッドとすっかり仲良くなり、ひと月と置かずフレッドに会いにアルドリッジ家に行くようになっていた。
※
だが、そんなことが続いて1年が経とうかという頃。
その日もいつもと同じようにクロエの元にフレッドからのアフタヌーンティーのお誘いが来た。
今日はピンクのバラが添えられたメッセージカードを受け取ったクロエは、それを見て小さくため息をついた。
(お誘いが来てしまったわ)
いつもは嬉しい誘いだ。
だが、クロエは暫く、というより、もうフレッドに会いたくなかった。
原因はフレッドにあるわけではない。クロエ自身にある。
フレッドからの誘いの手紙をいつも嬉しそうに見るクロエが、今日は暗い顔をしていることについて不思議に思ったエマが、首を傾げて尋ねた。
「どうしたの? フレッド様からのお誘いじゃなかったの?」
「いえ、アフタヌーンティーのお誘いだったわ。でもお断りしようと思うの」
「どうして? 喧嘩でもしたの?」
「そうじゃないけど……」
クロエは答えられなかった。答えを聞いたら両親は心配すると分かっていたからだ。
「とにかく、フレッド様のお誘いはお断りしておいてね」
それだけを言ってクロエは父の書斎に籠ることにした。
書斎には本棚一杯に本が押し込まれ、それに入りきらなかった本が、まるで木が生えるかのように山積みになっていた。
クロエは書斎の細長い窓から入る光の筋にある椅子に腰かけながら、フレッドからの届いたメッセージカードを見つめた。
(フレッド様も、私のことを気持ち悪いって思うのかしら?)
大人たちがクロエのことを「天才」と呼ぶことは知っていた。
だが、ジェレミーが連れて来る大人たちは、尊敬の眼差しであったり、驚きと賞賛の意味を込めて「天才」と言っているのだろうと幼いクロエにも察することができた。
だが先日、クロエは初めて同年代の集まるガーデンパーティーに参加した。
これまで両親とフレッド、フレッドの両親、その他数人としか顔を合わせることしかなかったクロエにとって、同年代の子供たちと話すのは初めてのことだった。
緊張しつつも、同い年の子と話せることにクロエは少なからず高揚していた。
(ふふふ、お友達、できるといいな)
最初にアルドリッジ伯爵家に行くことになった時、クロエは読書の時間が減るのが嫌で渋っていたが、結果としてフレッドと交流することができた。
だから、今回のパーティーでも友達が出来るかもしれない。そんな風に期待に胸を膨らませていた。
しかし、クロエが茶会に出ても、誰一人として声を掛けて来る子供はいなかった。
出席している子どもたちは既に顔見知りのようで、それぞれがグループになっていたからだ。
暇になったクロエは、庭の隅で棒を手に取り、地面にこの間考えていた魔術式を書いて遊んでいた。
しばらくすると、一人の少女が声を掛けてきた。
鼻の辺りに濃いそばかすがある、オレンジ色の髪の少女だった。
目は少し釣り気味で、きつい印象を受ける少女はブリジット・ザイナックと名乗った。
「あら、あなた、見ない顔ね」
「は、初めまして。クロエ・ランディットと言います」
そう名乗ると、ブリジットは思い切り顰め顔をした。
「あなたが、フレッド様に纏わりついている人?」
「え?」
最初は言われている意味が分からず、クロエは首を傾げた。
纏わりつくとはどういう意味なのだろうか?
「わたくしがフレッド様を誘ってもいつも先約があるからって断られるの。聞いたらあなたがフレッド様に纏わりついて屋敷まで押しかけてお茶をしているらしいじゃない」
「押しかけてだなんて……」
「化け物の分際で、フレッド様に近寄らないでよ!」
ブリジットはそう怒鳴ったかと思うと、クロエの肩をどんと押した。
その拍子にクロエは尻もちをついてしまった。
だがクロエは、まるで虫けらを見るような蔑んだ目でこちらを睨むブリジットを見上げながら、彼女に尋ねた。
「化け物?」
「だってそうでしょう? 皆そう言っているわ。〝子どもなのに大人びていて気持ちが悪い〟〝天才とか言われているけど中身は化け物なんだ〟って。今だって、そんな訳の分からない数式なんて書いて、気持ち悪い」
「だって、これは魔術科学の基本の数式よ? どうして気持ち悪いの?」
「それが気持ち悪いって言ってるのよ!」
「でも、フレッド様はそんなこと、一言も言っていなかったわ」
「内心ではフレッド様だってそう思っているのよ」
ふと気づくと茶会に参加している子供たちも、大人たちもクロエの事を遠巻きに見て、ひそひそと囁く声が聞こえてきた。
「気味が悪い」「得体が知れない」
そんな単語が聞こえてきて、クロエは初めて自分が〝異常〟であることを理解した。
倦厭し、忌避されていることに気づいたクロエは深く傷つき、そしてその場から逃げ出した。
それまでクロエの世界はその才能を認めてくれる人間に囲まれていたことに、ようやく気付いた。
帰りの馬車の中で、ブリジットから悪意を向けられたことに恐怖を覚え、ボロボロと泣いた。
両親はそんなクロエを慰め、励まし、優しく受け入れてくれたが、同時に、不安に襲われた。
(私は普通じゃないのね。フレッド様もそう思っているのかしら?)
フレッドからブリジットのような目を向けられたらと思うと怖くなり、そんな目で見られるのであれば、もう会わない方がいいと思ったのだ。
だから、クロエはフレッドとの連絡を絶つことを決めた。




