11.フレッドとの出会い
それは、クロエが7歳になったある日のことだった。
5歳で初等教育をクリアしたクロエは、この頃になると父が手配した家庭教師により、中等教育を受けていた。
それも終わりを迎え、そろそろ高等教育を受ける段になっていた。
毎日少しずつ魔術科学の知識が身に付き、読める書籍の幅も広がってきている。
(ふふふ、今日はこの本を読もうかしら)
クロエが父親の書斎で次に読む本を物色している時だった。
書斎のドアが開いたと思うと、外出着を着た父が書斎に入ってきた。
「あぁクロエ、ここにいたのかい? 探したよ」
「お父様、どうなさったの? 私に何かご用?」
「これからケイネスの所に行ってくるんだ」
ケイネスは父ジェレミーの親友の名前だ。
クロエは会ったことがないが、父の会話から度々話題に上がるので、その名前だけは知っている。
「そうなのですね。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
だがクロエの言葉を聞いたジェレミーは、意味深ににっこりと微笑んだ。
「じゃあクロエも着替えておくれ」
「えっと……何故でしょうか?」
何か嫌な予感がする。
だが一応聞いてみることにした。
「それは、クロエも一緒に行くからに決まってるじゃないか」
(やっぱりそういうことね)
正直、クロエはあまり外出したくない。
家に籠って本を読んでいた方が、時間を有意義に使えると思っているからだ。
時間は有限だ。
気づけばあっという間に過ぎ去ってしまう。
だからその前に、できるだけ魔術科学の知識を身に着けたかった。
口を閉ざして渋る様子のクロエに、ジェレミーが目線を合わせて満面の笑みを浮かべた。
「ケイネスに僕の可愛いクロエを紹介したいんだ。ね、一緒に行ってくれるかい?」
ムムムと悩んでいるクロエに、ジェレミーはさらにダメ押しの言葉を言った。
「そうだ、一緒に行ってくれたら、クロエがこの間欲しがっていた細胞学の本を買ってあげるよ」
「行きます!」
「良かった。じゃあ支度しておいで」
こうしてクロエはアルドリッチ伯爵家に行くことになったのだった。
※
馬車に揺られること30分余り。
その間にもクロエは先ほど父の書斎で物色していた本を読んでいた。
「クロエ、そろそろ着くよ」
「あぁ、もう着いちゃうんですね」
読んでいた本はちょうど佳境で、あと数ページで結論が分かるところだったのだが、仕方がない。
クロエは小さくため息をついた後、パタンと本を閉じた。
馬車が滑るようにアルドリッジ伯爵家の敷地に入ると、美しく整えられた植栽がクロエの目に映った。
コニファーの緑が目に鮮やかで、その下に植えられたセージの青紫が映えていて、とても美しかった。
やがて緩やかに馬車が止まると、同時に屋敷から一人の男性が飛び出して来た。そしてそのまま馬車へと駆け寄ってきた。
「おージェレミー! 久しぶりじゃないか! 待ってたよ!」
「ケイネス!」
この男性が父ジェレミーが言っていた親友のケイネス・アルドリッジなのだろう。
ホワイトブロンドの髪に青い目の男性は、嬉しくてたまらないというように目を細めてジェレミーを迎えている。
父もまた親しげに言葉を交わしており、クロエが見たことのない笑顔だった。
二人がいかに仲が良いかが伝わってくるようなものだった。
ケイネスは一しきりジェレミーと話したあと、その優し気な青い目でクロエを見ると、柔らかな微笑みを向けた。
「おお! この子がジェレミーの愛娘だね!」
「ああ、クロエだ。クロエ、ご挨拶なさい」
ジェレミーに促されたクロエは、いつものようにカーテシーをして挨拶をした。
「初めまして、クロエ・ランディットと申します。お噂はかねがね父から聞いております。お目にかかれて光栄です」
「ケイネス・アルドリッジだよ。ジェレミーが自慢するだけあって可愛い子だね。僕もずっと会いたかったよ」
にこやかに笑うケイネスに対し、ジェレミーが鼻高々というように満面の笑みを浮かべていた。
その様子がおかしかったのか、ケイネスとジェレミーは顔を見合わせてからまた笑い合っていた。
「本当は息子のフレッドにも会ってもらいたかったんだが、ちょっと出かけてるんだ。間もなく帰って来るとは思うんだが」
ケイネスの言葉に、クロエは思わず首を傾げた。
(フレッド……どこかで聞いたことがある名前な気がするけど……)
クロエはそう思って記憶を辿ったが、それらしい人物が思い浮かばなかった。
〝フレッド〟という名前は割と一般的な名前だ。だからもしかして以前読んだ学術書や論文の筆者の名前かもしれない。
「帰ってきたら挨拶させるよ。さぁ、時間も惜しい。お茶にしよう」
そうしてケイネスに通されたのは、窓の大きなコンサバトリーだった。
多角形の形をしており、一枚一枚の窓が大きい。天井もまたガラスのため、日差しが室内に入り込んでいるが、それを緩和するように白い幕が張られており、室内は快適な温度になっている。
ケイネスに勧められたラタンのカウチソファーに座ると、すぐにジェレミーとケイネスは話し始めた。
これまで会えなかった時間を埋めるかのように、二人は語り合っているが、正直クロエにとっては退屈な内容だ。
(早く本の続きが読みたいのに……)
そう思っていても父の親友の手前、暇な様子も退屈な様子も見せられない。
なるべくにこやかに微笑みながら二人の話を聞いているのだが、そろそろ飽きてきてしまった。
何か口実を作ってこの場を離れ、こっそり本を読めないものか。
クロエはティーカップを口に運びながら、手入れされた庭をなんとなく見ながらそんなことを考えた。
(そうだわ、庭を見たいと言えばこの場から離れられるかしら)
そう考えたクロエは、ちょうど二人の話が途切れたところでジェレミーに尋ねた。
「ねぇお父様、アルドリッジ伯爵のお庭ってとても素敵ね。私ゆっくり見てみたいのだけど……」
窓から見える庭は、色とりどりの花が美しく配置されたもので、お世辞抜きでも美しい。
先ほど敷地に入った時の植栽といい、ケイネスは植物が好きなのかもしれない。
クロエがそう言うと、その言葉に先に反応したのはケイネスだった。
「クロエちゃんは花が好きなのかい?」
「ええ。花は綺麗なだけじゃなく、生活に役立つ花もいっぱいあって、とても興味深いですから」
これは本音だ。
花は鑑賞するだけでも心が和むし綺麗だと思うが、薬草のような薬になる花もあるのだ。
だから、最近医療魔術に興味が湧いているクロエにとっては、様々な花を見るいい機会でもあった。
「なるほど。ウチの庭には珍しい花も多いし、是非見てほしいよ。庭の奥には薔薇園もあるんだよ」
「まぁ、それは素敵ですね! ねえ、お父様、行ってもいいかしら?」
「ああ、行っておいで」
「ありがとう! では、アルドリッジ伯爵、失礼します」
そうして大義名分を手に入れたクロエは、ケイネスに一礼すると、持ってきた本を片手に、いそいそと庭へと向かった。
アルドリッジ伯爵家の庭は、ケイネスが自慢するのも頷けるほど見事だった。
デルフィニウムやルピナス、ジキタリスが咲き誇り、本を読む口実で庭に来たのに、本気で魅入ってしまうほどだった。
そんな庭を歩くと、バラの垣根が見えてきた。
さらに進むとバラの花が美しく咲き誇っている。
このバラ園が先ほどケイネスが言っていた場所だろう。
「綺麗……」
バラの淡い香りが鼻孔をくすぐる。
美しいバラの花に目を奪われつつ歩いていくと、そこに見えたのはガゼボだった。
(わぁ! 素敵なガゼボだわ)
半円形にベンチが置かれ、中心にはテーブルも設置されている。
ドーム型の天井には薔薇が咲き誇っている。そこから漏れる木漏れ日がちょうどいい明るさをもたらしていた。
ここならば読書に最適だ。
そう思ったクロエはさっそく本を開いて、先ほどの続きを読み始めることにした。
だが、10分ほど経った頃だった。
クロエの瞼が徐々に重くなり始めた。
普段、本を読んでも眠くなることはないのだが、薔薇の甘い香りと、庭を通り抜ける心地よい風、そしてうららかな春の陽気に誘われ、気づけば眠りに落ちて行った。
※
(ん…………)
どれくらい眠ってしまったのだろうか?
側に人の気配を感じて、クロエはゆっくりと瞼を開いた。
すると、そこにあったのは自分の顔を心配そうにのぞき込んでいる、空色の瞳だった。
「えっ!」
驚きの余り、クロエは短く叫んだ。そして、そのまま勢いよく起き上がると、隣に座っていたのは少年もまた驚いた表情を浮かべた。
金糸のようなサラサラの髪に、青空を凝縮したような青い目の少年は、クロエを見ると微笑みを浮かべた。
その顔が先ほど会ったケイネスに似ていたので、クロエはすぐにこの少年がケイネスの息子であることを察した。
「あぁ、起こしてしまったね」
「ええと、フレッド様?」
「父から聞いてたのかな? 初めまして、僕はフレッド・アルドリッジ。君がクロエ・ランディット伯爵令嬢、だよね?」
「え? ええ、初めまして……」
挨拶を返したクロエだったが、フレッドの顔に見覚えがあった。
確かにケイネスに似ているからかもしれない。
だが、妙な既視感を覚えた。
大昔から知っているような、懐かしいような、奇妙な感覚だった。
その時、フレッドが息を呑むと、そっとクロエの頬に手を伸ばした。
「綺麗だ……」
フレッドはまるで口から零れた様にそう呟いた。その言葉の意味が分からず、クロエは首を傾げていると、フレッドの指がクロエの頬を優しく撫でた。
「え?」
「どうして泣いているの?」
そう言ってフレッドはクロエの目から零れ落ちた涙をそっと拭った。
その時、クロエは初めて自分が泣いていることに気づいた。
「私……」
「どうしたの? 怖い夢でも見た?」
そう問われても、何故とめどなく涙があふれるのかクロエ自身も分からない。
ただ一つクロエの中にあった感情は「ようやく会えた」という安堵感のようなものだった。
クロエは小さくかぶりを振ると、涙を拭って笑顔を作った。
「いいえ、そうではないのですが……。突然泣かれても驚かれたでしょう? ごめんなさい」
「ううん、いいんだ」
フレッドはそう言って笑顔を向けた。
これが、クロエとフレッドの出会いだった。




