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氷の外交官と天才技師の誤訳外交録~相性最悪コンビの和平交渉〜  作者: 朔月 滉


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第3話 コンビ結成!誤訳を武器にした秘密交渉

 

 一週間が過ぎた。


 本交渉は順調に進んでいたが、水面下では、別の動きがあった。


 バルトロメウス侯爵率いる保守派貴族たちが、協定更新を阻止しようと動き始めたのだ。


「自由都市連盟との協力強化は、我が国の伝統を蔑ろにする行為だ!」


 バルトロメウスは、杖を床に打ち付けながら、そう演説していた。その声は低く、しかし力強い。杖が床を打つ音が、規則正しく部屋に響く。


「特に、あの翻訳具。あんな不完全な技術を外交の場で使用するなど、王国の恥だ。我々の祖先が築き上げてきた格式が、あの小さな箱一つで踏みにじられている!」


 貴族たちは、深刻な表情でうなずいた。一人が口を開く。


「だが、バルトロメウス殿。フィオナ王女殿下は、あの翻訳具を支持しておられる。我々が反対しても……」


「だからこそだ」


 バルトロメウスは、指を立てた。その目には、確信めいた光が宿っている。


「殿下は若い。そして、新しいものに興味を持たれやすいだけだ。我々がすべきは、殿下を説得することではない。アルフレッド殿に失態を犯させることだ」


「失態を……?」


「そう。そこで、私は考えた。交渉の場に、"証人"を送り込むのだ」


「証人?」


「そう。我々の代表として、交渉を監視する者だ。そして、アルフレッド殿が失態を犯せば、すぐさまそれを糾弾する。連盟語を聞き取れる者を選び、翻訳の誤りを逃さず記録させる」


 バルトロメウスは、にやりと笑った。その笑みには、勝利を確信した者の余裕があった。


「完璧主義者のアルフレッド殿も、あの不完全な翻訳具を使い続ければ、いずれ失態を犯す。ああいう不完全な道具に頼れば、必ず足をすくわれるのだ。その時こそ、我々の出番だ」


 保守派の貴族たちは顔を見合わせ、そして一斉にうなずいた。部屋に、不穏な笑い声が響いた。



 ◇ ◇ ◇ 


 アルフレッドは、その動きを察知していた。


「……厄介なことになった」


 彼は執務室で、頭を抱えていた。


 机の上には、保守派貴族からの抗議文が積み重なっている。一つ一つ、丁寧な文言で書かれているが、その内容は辛辣だ。「翻訳魔法具の使用中止を求める」「王国の威信を損なう行為」「外交官としての適性を疑う」——。


 アルフレッドは、抗議文の一つを手に取り、ゆっくりと読み返した。文字が、視界の中で揺れる。


 保守派の監視下で、これ以上翻訳魔法具を使い続けるのは危険だ。一つの誤訳が、致命的な失態になりかねない。だが、それを使わなければ、グスタフ老人との信頼関係が崩れる可能性もある。


「……どちらを選んでも、袋小路か」


 完璧な外交官であろうとすれば、翻訳具を捨てるべきだ。それが正しい。だが——。


 彼の頭の中に、エリックの笑顔が浮かんだ。


『でもさ、伝わっただろ?』


 不完全な翻訳が、人の心を動かした瞬間。


 アルフレッドは、ペンを握りしめた。



 コンコン。


 扉がノックされた。


「入れ」


 扉が開き、エリックがひょっこりと顔を出した。相変わらずの作業着姿だ。


「よう、アルフレッド。浮かない顔してんな」


「……君に、関係のない話だ」


「関係あるだろ。俺の翻訳具が原因なんだから」


 エリックは招かれてもいないのに、部屋に入ってきた。そして、アルフレッドの机に腰かけた。机の上の抗議文が、くしゃりと皺になった。


 エリックは、その抗議文を一瞥した。


「へえ、ずいぶん溜まってんな。人気者じゃん」


「……皮肉か」


「いや、マジで。嫌われるってことは、注目されてるってことだ。無視されるよりマシだろ」


 エリックは、無造作に抗議文を一枚手に取り、ぱらぱらとめくった。


「『王国の威信を損なう』ねえ。威信って、そんな簡単に傷つくもんかな」


「……君は、わかっていない」


 アルフレッドは、抗議文を取り戻そうとしたが、エリックはひらりとかわした。


「わかってないのは、こいつらの方だろ。威信ってのは、形式じゃなくて、中身で決まるんだぜ?」


 エリックは、抗議文を机に戻した。そして、アルフレッドの目を真っ直ぐに見た。


「なあ、アルフレッド。お前、困ってんだろ?」


「……何が言いたい」


「俺が、手伝ってやるよ」


 エリックはにやりと笑った。


「お前と俺で、コンビを組もうぜ」


「コンビ……?」


「そう。完璧主義者と適当な天才。最高の組み合わせだろ?」


 アルフレッドは、エリックを見つめた。彼は、いつも通り、軽薄な笑みを浮かべている。だが、その目には、真剣な光があった。


「……君は、何を企んでいる?」


「企むも何も、単純な話だ」


 エリックは翻訳具を取り出した。宝石が、柔らかく明滅している。


「俺の翻訳具は、確かに誤訳する。でも、その誤訳を"武器"にすればいいんだよ」


「どういう事だ」


「保守派の連中は、お前が失態を犯すのを待ってる。だったら、わざと失態を犯してやればいい」


「……わざと、だと?」


 アルフレッドの眉間に、深い皺が刻まれた。彼の手が、机の端を握りしめる。


「君は、私にわざと失態を犯せと言うのか?」


「そうじゃない。"失態に見せかけた成功"を演出するんだ」


 エリックは、翻訳具の宝石を指で弾いた。カラン、と澄んだ音が鳴る。


「例えば、保守派の連中が『これは侮辱だ』と騒ぐような誤訳を、わざと流す。でも、その後で、俺が連盟語と王国語の両方で『いや、これは連盟の文化では最高の()()()()だ』ってフォローする。そうすれば、保守派は何も言えなくなる」


「……それは、詭弁だ」


「詭弁だけど、効果的だろ?」


 エリックはにやりと笑った。だが、その笑みの奥には、確信があった。


「なあ、アルフレッド。お前、完璧主義者だけど、頭は固くないだろ?たまには、ルールを破ってみろよ」


「ルールを、破る……」


 アルフレッドは、エリックを見つめた。


 彼の茶色い瞳には、どこか純粋な光が宿っていた。悪意はない。ただ、面白がっているだけだ。


 だが、同時に——信頼、という感情も、そこには含まれていた。


「……なぜ、君は私を手伝おうとする?」


「んー、理由?」


 エリックは首を傾げた。そして、少し考えるような仕草をした後、にっと笑った。


「強いて言えば、お前が面白いから、かな」


「面白い……?」


「そう。完璧主義者が、不完全な俺と組んだら、どうなるか。俺、興味あんだよね」


 エリックは机から飛び降りた。そして、アルフレッドの前に立ち、手を差し出した。


「どうだ、アルフレッド。俺と組まないか?保守派の連中を、ギャフンと言わせようぜ」


 アルフレッドは、その手を見つめた。


 油染みのついた、汚れた手。


 爪の間には、まだ黒い汚れが残っている。作業着の袖口も、ほつれたままだ。


 完璧とは、程遠い。


 だが——。


 その手は、温かそうだった。


 アルフレッドは、自分の手を見た。白い手袋に覆われた、完璧な手。一点の汚れもない。


 そして、ゆっくりと、手袋を外した。


「……条件がある」


「おう、何でも言ってみろ」


「君の作業着を、洗え」


「え、マジで?そんなに汚い?」


 エリックは、自分の袖を見て、苦笑した。


()()だ」


 アルフレッドは、エリックの手を握った。


 素手で。


 エリックの手は、予想通り、少しざらついていた。だが、温かかった。


「これから共に行動するなら、最低限の清潔さは保ってもらう」


「お、おう……わかった」


 エリックは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐににやりと笑った。そして、その手を、しっかりと握り返した。


「じゃあ、決まりだな。"平和の誤訳コンビ"、結成ってことで!」


「……そのネーミングセンスは、どうにかならないのか」


「無理だな。俺、センスには自信あるから」


 二人は、顔を見合わせた。


 そして、ふっと、笑った。


 ◇ ◇ ◇ 


 その日の夜。アルフレッドとエリックは、王宮の地下にある、秘密の会議室に集まっていた。


 石造りの壁に囲まれた小さな部屋。普段は物置として使われているが、今夜だけは、密談の場になっていた。テーブルの上には、一本の蝋燭だけが置かれ、部屋を薄暗く照らしている。


 フィオナ王女も同席していた。


「それで、あなたたちの作戦を聞かせてもらえるかしら?」


 王女が、興味深そうに尋ねた。蝋燭の炎が、彼女の顔を下から照らしている。


「はい、殿下」


 アルフレッドは、手元の資料を広げた。それは、明日の交渉の議題と、予想される保守派の動きを記したものだ。


「明日の交渉で、保守派の監視役が同席します。彼らは、私の失態を待っています」


「それで?」


「ですので、私は"わざと"失態を犯します」


 王女の目が、丸くなった。蝋燭の炎が、その瞳に映り込む。


「わざと、ですって?」


「はい。エリックの翻訳具を使い、連盟側に"侮辱的な言葉"を送ります。保守派は、すぐさま『これは問題だ』と騒ぐでしょう」


「それから?」


「その後、エリックが両方の言語で"実は、これは連盟の方言で、最高の敬意を示す表現だ"と説明します」


「……それは、本当なの?」


 王女は、エリックを見た。


「嘘だよ」


 エリックはあっけらかんと答えた。


「でも、グスタフの爺さんは、俺の味方だ。事前に根回ししとけば、爺さんが『そうだ、これは最高の敬意だ』って連盟語で言ってくれる。で、俺がそれを王国語に通訳する」


「……それは、詐欺ではないかしら」


 王女の声には、困惑と、少しの面白さが混じっていた。


「詐欺じゃない、演出だ」


 エリックはにやりと笑った。


「なあ、殿下。外交なんて、所詮は演技だろ?だったら、ちょっと派手な演出があってもいいじゃん」


 王女は、しばらく沈黙した。蝋燭の炎が、ゆらゆらと揺れる。


 そして、くすりと笑った。


「面白いわ。やってみて」


「殿下……!」


 アルフレッドが驚いた声を上げた。


「よろしいのですか?これは、かなり危険な賭けです」


「いいのよ、アルフレッド」


 王女は微笑んだ。その笑みには、少女のような無邪気さがあった。


「完璧な外交よりも、面白い外交の方が、私は好きだわ。それに——」


 王女は、二人を見た。


「あなたたち、とてもいいコンビだと思うわ。信じているわよ」


「……殿下は、エリックに似てきましたね」


「あら、褒め言葉として受け取っておくわ」


 王女は立ち上がり、二人に向き直った。蝋燭の炎が、彼女の影を壁に大きく映し出す。


「期待しているわ、"平和の誤訳コンビ"」



 ◇ ◇ ◇ 


 翌日。交渉の場には、保守派の監視役として、連盟語が聞き取れるというバルトロメウス侯爵の部下が同席していた。


 彼は四十代の、痩せた男だった。鋭い目つきで、アルフレッドの一挙手一投足を監視している。手元には、記録用の羊皮紙とペンが置かれていた。


「では、本日の議題に入ります」


 アルフレッドは、翻訳魔法具を起動させた。宝石が明滅する。その光が、男の眼鏡に反射した。


「自由都市連盟の皆様。本日は、技術交流に関する提案を——」


 その時、エリックが、さりげなく翻訳具の宝石を軽く叩いた。


 宝石の明滅が、わずかに乱れた。それは、ほんの一瞬の出来事で、誰も気づかなかった。


「——させていただきます」


 翻訳具が、アルフレッドの王国語を、連盟語に変換した。


『お前ら、今日は俺様の素晴らしいアイデアを聞け!感謝しろよ!』


 グスタフ老人が、目を丸くした。


 そして、監視役の男が、勢いよく立ち上がった。彼の椅子が、ガタンと大きな音を立てる。


「待たれよ!今の言葉は、明らかに侮辱的だ!」


 広間が、一瞬にして静まり返った。


「……侮辱的?」


 アルフレッドは、わざとらしく首を傾げた。もちろん、彼は連盟語を聞き取れないので、実際に何が翻訳されたか分からない。だが、彼の演技は完璧だった。


「私は、ただ"提案させていただく"と言っただけですが」


「だが、翻訳は"お前ら"と——」


「ああ、それな」


 エリックが割り込んだ。


「それ、連盟の方言だよ。『お前ら』ってのは、最高の敬意を込めた二人称なんだ」


「……何?」


 監視役の男が、困惑した表情を浮かべた。彼のペンが、宙で止まる。


「そんな話、聞いたことがないぞ」


「そりゃ、お前が無知なだけだろ」


 エリックは、グスタフ老人を見た。そして連盟語で話しかけた。


 老人は、一瞬、目を瞬かせた。


 だが、すぐにエリックの言葉の意味を理解したようで、にやりと笑い、連盟語で返答した。その声は、朗々と広間に響く。


 エリックが、王国語で通訳する。


「爺さんが『そうだ、"お前ら"とは、自由都市連盟の古典的な言い方で、最上級の敬意を意味する言葉だ。アルフレッド殿の博学さに、感動した』って言ってる」


「ほら、な?」


 エリックは、監視役の男に向き直った。その笑みには、勝利の色があった。


「勉強不足だぜ、おっさん」


 監視役の男は、顔を真っ赤にした。彼は連盟語を理解できるため、グスタフ老人が本当にそう言ったことを確認できた。だが、それが本当に伝統的な表現なのか、確かめる術はない。


「……失礼、いたしました」


 男は、渋々席に戻った。羊皮紙には、何も記録されていなかった。


 アルフレッドは、エリックを見た。


 エリックは、ウインクを返した。


(……不完全な、作戦だ)


 アルフレッドは小声で呟いた。


(でも、効果的だったろ?)


(……ああ)


 アルフレッドは、ふっと笑った。


 それは、彼が初めて見せた、共犯者としての笑みだった。


 交渉は、その後も順調に進んだ。監視役の男は、もう何も言わなかった。


 ◇ ◇ ◇ 


 交渉後。アルフレッドとエリックは、王宮の庭を歩いていた。


 夕陽が、二人の影を長く伸ばしている。庭の花々が、風に揺れていた。


「やったな、アルフレッド!完璧な作戦だったぜ!」


 エリックは、両手を広げて、大きく伸びをした。


「ああ。……君のおかげだ」


 アルフレッドは、空を見上げた。


 夕陽が、庭を赤く染めている。その光は、温かく、優しかった。


「なあ、エリック。君は、なぜ私を手伝ってくれる?」


「んー、何度も言うけど、お前が面白いから」


「それだけか?」


「それだけ」


 エリックは、アルフレッドの肩を叩いた。その手は、相変わらず油の匂いがした。


「でもさ、お前と一緒にいると、俺も楽しいんだよな。完璧主義者が、少しずつ崩れていくのを見るの、最高に面白い」


「……私は、崩れてなどいない」


「そうかな?」


 エリックは、アルフレッドの髪を指差した。


「お前の髪、少し跳ねてるぜ?」


「……!」


 アルフレッドは、慌てて髪を直した。だが、エリックは笑い続けている。


「それに、さっきの交渉。お前、結構楽しんでただろ?」


「……否定はしない」


 アルフレッドは、小さく笑った。


「確かに、少しだけ、楽しかった」


「だろ?完璧じゃなくても、いいんだぜ」


「……それは、君の価値観だ」


「お前の価値観も、そのうち変わるさ」


 エリックは、夕陽に向かって歩き出した。


「俺たちのコンビ、まだまだ続くかな?」


 アルフレッドは、エリックの背中を見つめた。


 油染みのついた、不完全な背中。


 だが、その背中は、妙に頼もしく見えた。


「……ああ、続くさ」


 アルフレッドは、小さく呟いた。


 そして、エリックの後を追って、歩き出した。


 二人の影が、夕陽の中で重なり合った。


 完璧と不完全。


 対極の二人が、相棒として一つになった瞬間だった。




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