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氷の外交官と天才技師の誤訳外交録~相性最悪コンビの和平交渉〜  作者: 朔月 滉


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第2話 誤訳が招く外交危機と、翻訳具のセンス

 

 三日後。アルフレッドは執務室で、山のような書類と格闘していた。


 予備交渉の失態——いや、彼の中では「災厄」と呼ぶべき出来事——の後、保守派貴族たちからの抗議文が次々と届いていた。その筆頭が、バルトロメウス侯爵だ。


「アイゼルベルド王国の威信を、泥にまみれさせた!」


 抗議文には、そんな文言が躍っていた。アルフレッドは額を押さえた。彼らの言い分も、理解できなくはない。だが——。


 コンコン。


 扉がノックされた。


「入れ」


 扉が開き、エリックがひょっこりと顔を出した。相変わらずの作業着姿で、今日は髪に木屑がついている。そして、相変わらず癇に障るほど流暢なアイゼルベルド語を話す。


「よう、アルフレッド。元気してるか?」


「……君に会いたくない、という意思表示は、どうすれば伝わるだろうか」


「無理だな。俺、空気読むの苦手なんだ」


 エリックは入室許可をしてもいないのに、部屋に入ってきた。そして、アルフレッドの机の上に、何かを置いた。


 それは、修理された翻訳魔法具だった。


「直したぜ。前より精度も上げといた」


「……精度を、上げた?」


 アルフレッドは翻訳具を、まるで爆弾でも扱うように、慎重に手に取った。


「ああ。今度は誤訳の確率を、三割減らした」


「三割……」


「おう。完璧だろ?」


「三割減らしても、まだ七割は誤訳するということか……?」


 アルフレッドの左目が、再び痙攣した。


「いやいや、誤訳っつっても、意味は通じるから。むしろ、お前の堅苦しい言葉を、もっとフレンドリーにしてくれるんだぜ?外交に必要なのは、親しみやすさだろ?」


「外交に必要なのは、正確性だ」


 アルフレッドは翻訳具を机に置き、エリックを睨んだ。


「君は、言葉というものを、どう考えている」


「言葉?」


 エリックは首を傾げた。


「んー、意思疎通の道具、かな。伝わりゃいいんだよ、伝わりゃ」


「伝わればいい……」


 アルフレッドは深く息を吸った。


「言語とは、意思を正確に伝達するための、最も神聖な道具だ。一語一句に、話者の意図が込められている。それを『伝わればいい』などと、君は——」


「でもさ」


 エリックはアルフレッドの言葉を遮った。


「お前の完璧な言葉、この前の交渉で、何か伝わったか?」


「……何?」


「俺の誤訳のせいで、グスタフの爺さん、笑ってただろ。あれ、お前の完璧な挨拶じゃ、絶対に引き出せなかった反応だぜ」


 エリックは机に腰かけ、足をぶらぶらと揺らした。


「完璧な言葉ってさ、確かに正確だけど、冷たいんだよ。人間味がない。でも俺の翻訳は、多少不正確でも、温かい。どっちが外交に向いてると思う?」


「……君の理屈は、詭弁だ」


「詭弁ねえ」


 エリックはにやりと笑った。


「じゃあ、証明してやろうか。今日の午後、本交渉があるんだろ?そこで、俺の翻訳具を使ってみろよ。お前の完璧な言葉と、俺の不完全な翻訳、どっちが役に立つか」


「……君は、私を試しているのか?」


「試してんのは、翻訳具の性能だ」


 エリックは机から飛び降り、アルフレッドの肩を叩いた。


「なあ、アルフレッド。お前、もうちょっと遊び心を持てよ。人生、完璧じゃなくていいんだぜ」


「……手を、離せ」


「はいはい」


 エリックは手を離し、部屋を出て行った。


 アルフレッドは一人、翻訳具を見つめた。宝石が、まるで彼を嘲笑うように、明滅していた。


 ◇ ◇ ◇ 


 午後。大広間は、本交渉のために、さらに厳粛な雰囲気に包まれていた。


 アイゼルベルド王国側には、フィオナ王女の他に、保守派貴族の代表であるバルトロメウス侯爵が同席している。彼は五十代の、厳格な顔つきの男だった。


 自由都市連盟側には、グスタフ老人と、数名の技術者たちが座っている。


「では、中庸協定の更新に関する、本交渉を開始いたします」


 フィオナ王女の声が響いた。


「まず、アイゼルベルド王国からの提案を述べさせていただきます。アルフレッド、お願い」


「畏まりました、殿下」


 アルフレッドは立ち上がり、翻訳魔法具を手に取った。宝石を叩き、起動させる。


 彼は深呼吸をした。そして、用意していた原稿を読み上げ始めた。


「自由都市連盟の皆様。本日は——」


 だが、その時。


 バルトロメウス侯爵が立ち上がった。


「待たれよ、アルフレッド殿」


「……はい?」


「その翻訳魔法具は、先日の予備交渉で重大な誤訳を引き起こしたものではないか。なぜ、それを再び使用される?」


「こちらは、製作者によって修理され、精度が向上したと——」


「精度が向上した、と?どの程度だ?」


 バルトロメウスの視線が、鋭くアルフレッドを射抜いた。


 アルフレッドは口ごもった。()()とは、とても言えない。


「……十分な、精度です」


「十分、とは曖昧な表現だ。外交官たるもの、もっと正確な数値を述べるべきではないか」


「それは……」


 その時、エリックが広間の隅から声をあげた。


「おいおい、そんなに心配すんなよ、爺さん。俺の翻訳具は世界一だぜ?」


 バルトロメウスが、ぎろりとエリックを睨んだ。


「……君が、例の技師か。自由都市連盟の、エリック・メレディスとやらだな」


「おう、その通り。で、あんたは?」


「バルトロメウス侯爵だ。アイゼルベルド王国の、伝統と威信を守る者だ」


「伝統ねえ……」


 エリックは鼻を鳴らした。


「伝統に縛られてると、進歩できないぜ?」


「進歩?君の作ったガラクタような、不完全な技術を"進歩"と呼ぶのか?」


「不完全で悪いかよ。完璧なんて、つまんねえだろ」


 広間の空気が、一気に張り詰めた。


 フィオナ王女が、慌てて仲裁に入る。


「まあまあ、お二人とも。落ち着いて——」


「殿下」


 バルトロメウスが、王女に向き直った。


「私は、この翻訳魔法具の使用に、強く反対いたします。先日の失態を繰り返せば、我が国の威信は地に落ちます」


「ですが、バルトロメウス卿。他に適切な翻訳手段が——」


「では、私が直接、自由都市連盟の言語で話しましょう。私は、連盟の公用語を学んでおります」


 バルトロメウスは自信満々に、グスタフ老人に向き直った。そして、連盟語で、たどたどしい発音で話し始めた。


『貴国の提案を——』


 その言葉は、アイゼルベルド語ではなく、連盟語だった。バルトロメウスは翻訳具を使わず、直接、連盟の言葉で語りかけたのだ。


 だが、グスタフ老人が、目を丸くした。


 老人は連盟語で答えた。『……今、何とおっしゃいました?』


 もちろん、王国側の者たちには、二人が何を話しているのか理解できない。アルフレッドは連盟語を読むことはできるが、会話を聞き取る訓練は受けていないため、この速度の会話についていけない。


 だが、バルトロメウスは連盟語を学んだと豪語していたため、問題ないはずだった。


『ですから、貴国の提案を——』


 バルトロメウスは、連盟語で再び同じ言葉を繰り返した。


 グスタフ老人は顔を真っ赤にして、怒りを露わにした。


 その時、広間の隅にいたエリックが、慌てて大声で叫んだ。


「おい、ちょっと待て!バルトロメウスの旦那、今マズイこと言ったぞ!」


「何……?」


 フィオナ王女が、エリックを見た。


 エリックは冷や汗をかきながら説明した。


「バルトロメウスさん、『貴国の提案』って言おうとしたんだろうけど、発音が完全に間違ってて、『あなたの()()()()』って意味になってる!グスタフの爺さん、マジで怒ってるぞ!」


「な、何を……!?」


 バルトロメウスが狼狽する。彼は自分が何を言ったのか、理解していない。


「私は、ただ『貴国の提案』と言っただけです!」


 エリックが、アイゼルベルド語で続けた。


「いや、発音が全然違う!『提案』は『テイアン』だけど、あんたが言ったのは『ティアーヌ』これ、『母親は豚』って意味だから!」


 広間が、静まり返った。


 そして、一拍の間の後——騒然となった。


 フィオナ王女が、慌ててグスタフ老人に謝罪しようとしたが、王女も連盟語を話せない。アルフレッドも、会話レベルの連盟語は話せない。


 その時、エリックが前に出た。


「俺が通訳する!」


 エリックは、連盟語でグスタフ老人に話しかけた。


 老人が、少し落ち着いた表情で、連盟語で返答した。


 エリックが、アイゼルベルド語に切り替えて、王国側に伝えた。


「グスタフの爺さんが、『バルトロメウス殿に悪意がないことは理解した。だが、言語は正確に扱うべきだ』って言ってる」


 フィオナ王女が、ほっと息を吐いた。


 バルトロメウスは、顔を真っ赤にして、震えていた。


「……これは、侮辱だ。私の連盟語の学習が、不十分だったというのか……」


「不十分だったんだよ」


 エリックは、あっけらかんと言った。


「言語ってのは、完璧に学ぶのは無理なんだ。特に発音は。だから、俺みたいに両方の言語を実際に使って育った人間が作った翻訳具が必要なんだよ。翻訳具はただ翻訳するだけで、常に中立だから、どちらかを優位に進めようとする事はできない。だから、特に外交では必須とされてるんだよ」


 バルトロメウスは、何も言い返せなかった。


 アルフレッドは、エリックを見つめた。


 彼は、今、この場を救った。


 不完全な翻訳具を作った男が、完璧を目指した男の失態を、フォローした。


「……エリック」


「ん?」


「君の翻訳具を、使わせてもらう」


 アルフレッドは、翻訳魔法具を手に取った。そして、起動させた。


「グスタフ様。先ほどの無礼、深くお詫び申し上げます」


 翻訳具が光り、連盟語に変換された。


『よう、グスタフの爺ちゃん!さっきのは、マジでごめんな!あの堅物、悪気はないんだ。ただのアホなんだ!』


 広間が、静まり返った。


 そして——。


 グスタフ老人が、ぷっと吹き出した。


『あ、アホ……?』


 老人の笑いが、広間に響いた。それは、腹の底から湧き上がる、豪快な笑い声だった。


 エリックが、小声で囁いた。


「おい、アルフレッド、今『あの堅物はアホだ』って翻訳されたぞ」


「……構わない」


 アルフレッドは、小さく笑った。


「今は、この不完全な翻訳が、必要だ」


 グスタフ老人は、連盟語で言った。エリックが通訳する。


「『久しぶりに笑ったわい!アルフレッド殿、あなたは面白い!』だって」


 交渉は、予想外の成功を収めた。


 グスタフ老人は、アルフレッドの「率直さ」を気に入り、協定の更新に前向きな姿勢を示した。フィオナ王女は満足げに微笑み、連盟の代表団と握手を交わしていた。


 だが、バルトロメウスは、最後まで不機嫌だった。


「……アルフレッド殿。この件は、後で報告書を提出していただきます」


「はい、侯爵」


 アルフレッドは頭を下げた。だが、その表情は、どこか晴れやかだった。


 ◇ ◇ ◇ 


 交渉後、アルフレッドは広間の隅で、翻訳具を見つめていた。


「よう、どうだった?」


 エリックが、背後から声をかけた。


「……不完全だ」


「だろ?」


「だが、効果的だった」


 アルフレッドは、翻訳具を手のひらに乗せた。


「君の言う通り、完璧な言葉では、人は動かないのかもしれない」


「おー、やっとわかってくれたか」


 エリックはアルフレッドの隣に立ち、翻訳具を覗き込んだ。


「なあ、アルフレッド。お前、笑ったりしないの?」


「……笑う?」


「そう。お前、いっつも真面目な顔してるだろ。たまには、笑えよ」


「私は、外交官だ。感情を表に出すことは——」


「つまんねえなあ」


 エリックは、アルフレッドの頭をくしゃりと撫でた。


「完璧な外交官より、ちょっと崩れた外交官の方が、面白いぜ?」


「……手を、離せ」


「はいはい」


 エリックは手を離し、広間を出て行った。


 アルフレッドは、自分の髪を直した。七十三回、櫛を通す。


 だが、何度直しても、髪は少しだけ、跳ねていた。


 ◇ ◇ ◇ 


 その夜。フィオナ王女は、自室でお茶を飲んでいた。


 侍女が、報告書を手渡す。


「殿下、本日の交渉の報告書です」


「ありがとう」


 王女は報告書を読み、くすりと笑った。


「アルフレッドったら、本当に面白いわね」


「殿下?」


「いいえ、なんでもないわ。それより——」


 王女は窓の外を見た。月明かりが、庭を照らしている。


「あの二人、いいコンビになるかもしれないわね」


「二人、と申しますと?」


「氷の外交官と、適当な技師。完璧と不完全。真逆の二人が、協力したら……」


 王女は微笑んだ。


「きっと、誰も見たことのない、素敵な外交が生まれるわ」





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