69話
「――目覚めましたか」
声に気づいた何者かが、そんなことを言ってきた。
した方向は、視界の外左下。
丁度触られている感触のあった辺りだ。
極めつけに、その辺りを今も触られている感触がある。
既に先手を取られている。
折角拾った命、ここで無様に散らすわけにはいかないと身体を跳ね起こす――
「――っ! いったぁ!?」
ことは叶わず、情けない声が上がった。
身体を動かそうとした瞬間に、全身に激痛が走りそれどころではなくなった。
これまでの人生で一度も感じたことのない常軌を逸した痛みに、視界が白黒に点滅する。
「動かないでください。まだ治りかけです」
「ご、親切に……どうも」
敵意を感じさせないその声に、しかし警戒を解くことはなく返す。
治りかけ。
つまり、『殲禍』で重傷を負ったことは確か。
この声の主に、自分は救われたという事だろうか。
そうだとすれば、恐らく今自分がいる場所は城から遠く離れた貧民街一帯のうち、『殲禍』の影響を受けなかったどこかということになる。
わざわざ誰とも知らない人物を治すことには、些か警戒が足りないと言わざるを得ないが、傷を治してもらった手前言いにくいのもまた事実。
とはいえ、今自分はベッドに寝かされている。
地面ではなく、ベッドにだ。
貧民街の中でも、それなりに金のある人物に拾われたと考えるべきだろうか。
少なくとも、そんな場所に寝かされている以上、厚意か打診の何れかに従って自分を治療したと言うことになる。ただの道楽でこんなことをする余裕は、彼らにはないはずだ。
目覚めた直後に殺されるような死の危険は無いと見ていいだろう。先程は勘違いであったようだ。
だからといって、やはり警戒を解くつもりは欠片もないが。
ひとまず寝かされたままでは情報を得づらい。
視界はどうあっても上を向いている。左右に頭を振ろうにも、治りかけの言葉通り動かしにくい感覚がある。
先の推測を信じて、声をかける。
「起こしていただいても?」
「えぇ、構いません。目覚めたらそうするつもりでしたので」
起こしてもらったら、意識のない間に何があったのかを聞こうと思考した直後。
触れられていた腕から感触が消え、次いでゆっくりと視界の左下から声の主が姿を現す。
その色は――藍だった。
瞬間、言葉を失う。
為されるがままに身体を起こされる。
「これでよろしいですね」
「…………」
まだ自立できる状況ではないと判断されたのか――果たしてその判断は正しかったが――壁に背中を寄りかからせる形で起こされる。
しかし、状況の確認の旨の言葉が口から出ることはなく、代わりに出たのは乾いた笑いだった。
「ははは……なるほど」
状況を察した。
完璧ではないが、およそを把握できたと言っていいだろう。
さもありなん。
あの皇子ならそれが出来る。
意志の反映の遅い右腕を動かし、今度こそ頭を抱える。
その右腕は、端的に述べるなら、ぐちゃぐちゃだった。
容赦なく叩き潰され、引き潰され、ただの肉の塊となったものを、無理やりに人の腕の形に取り、繋ぎ、継ぎ接ぎ、しかし体の一部として正しく機能している。
赤黒い皮膚のような何かの感触は人肌そのもので、不気味を感じさせた。
恐らくは、身体の大部分がそうなっているはずだ。
状況を、更に詳しく把握する。
否、把握していた細部をより理解できたと言った方が正確か。
「はい、目覚めました。もうお一人はまだですが」
今いる部屋の扉を開け放ち、その先にいる何者かと話す藍の少女。
その言葉を受けて、広がった視界でそのもう一人を探す。
ついでに、この部屋の内装を軽く見取る。
豪華な灯り。
気品溢れる色調。
荘厳な雰囲気。
ああ、見覚えがある。
そうして見つけた目当ての人物は、やはりと言うべきか。
考え通りの、男だった。
「エユクル様、貴方も、ですか」
エユクル・ユビタライト。
『胎造せし二』とラドルグ帝国を隔てる門の門番を務めた男。
『魔女』マリン・モーガンル・ラドルグホープと縁を持つ者。
そして、死んだと、微かに聞いていた人物だった。
しかし、自身と同様にベッドに寝かされたエユクルの胸は、僅かではあるものの上下を繰り返している。
呼吸はしている。少なくとも死んではいない。
右腕と同じく、ぐちゃぐちゃと形容するに相応しい肉の人体が、頭部の半分以上を占めるその姿は酷く痛々しかった。
はてさて。
寝ぼけていた、とそう言わざるを得ない。
ここがどこで、自分が仕えた主が誰で、何をしたのかを、一時ながら忘れるあるまじき失態だ。
腑抜け過ぎだと自身を叱責する。
と、不意に耳に。
コツコツと、足音が二つ。
一つは恐らく給仕のもの。
そしてもう一つの検討もついている。この状況を作り上げた張本人その人だと。
扉のすぐ近くで待機する藍の少女を視界に入れながら、意識を扉の奥に集中させる。
次の瞬間に開かれた、その先にいたのは。
「――目覚めたようで何よりだ。サヴァ―リも、様子見ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「……お陰様で」
「おや、どうやら状況は把握しているらしい」
「全てではありませんがね」
見据えた先に現れたのは、黒髪黒角の中年の男。
何処かくたびれた印象を与えるその顔に、しかし警戒を緩める必要はない。
楽な格好で、武装もしていないその出で立ちにも、やはり警戒は必要だ。
その男の何もかもに、注意する必要がある。
何故ならば。
「いやはや、こちらも気を揉んだよ。何せ、久しくやっていなかった。目覚めなければどうしようかと思って止まなかった。何せあの『稀代の神童』、僕の自慢の弟の、カイセルトの付き人なんだから――ねぇ、ギメリア」
「……何を企んでいらっしゃるのですか――第二皇子、マガセル殿下」




