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58話

「どうだかな。マリンはその程度の騙りは余裕で出来る女だった。信じ切れはしねぇ」


「そう、ですか」


「そうだ。俺は、大して学がねぇ。頭も良くねぇ。だから、マリンみたいに頭が良い奴の考えなんてこれっぽっちも理解できない」


「…………」


「だから、その……なんだ」


 エユクルはまたも頭を掻くと。

 槍を士門に向け、全身から闘気を放つ。


「――戦ってくれ、シモン。そしたら、なんか分かるかもしれねぇ」


 驚くほどに不器用に思えた。

 或いは、武人のコミュニケーションこそがそれなのかもしれないが。

 それにしたって、殺気にすら近しいそれを向け、本気でこちらを仕留めんとするその男はやはり不器用に見えてならない。

 それ以外に方法を知らないようだ。


 そして、それもまた士門は何となく分かっていた。

 故に。


「当然だ」


 敬語すら取り払って、目の前の男を倒すためだけに意識を向ける。

 今、残る全てがどうでもいい。目に映すべきはエユクルのみ。


 ――それでも、無理やりにでも介入せんとする男は、一人だけいた。


「っ、馬鹿が! こんなところで時間を喰う余裕がどこにある! 皇帝が動く気配は未だ無い、後続はひとまず離した! だがそれがどうした!? それだけだ! すぐ目の前だ! すぐ目の前に目指した場所がある! シモン! 来い!」


 似合わぬ焦燥を含んだ声が、士門の鼓膜を強く叩いた。

 自然、視線がそちらへ――向くことはなく。

 士門は反射的に腕をカイセルトの方向に伸ばし、形の良い指を一本立てる。


「な……」


「一分。一分だけ、時間をください」


「貴、様……!」


 と、士門の言葉に怒気すら滲ませて、近寄る足音が聞こえる。

 それは拙いと、士門は今度こそ視線を向ける。


 その赤い瞳で射貫き、しかし支配することはない。

 ただ、訴えかけるだけ。


「それで、十分です」


「…………チッ。その言葉、偽りにすれば四肢を叩き切って連れていく」


「気を付けますよ。さて」


 目前には、これまでの敵に勝るとも劣らない人物がいる。

 力が、ではない。精神が、でもない。

 ただ純粋に、ことマリン・モーガンル・ラドルグホープを相手どるに当たって、エユクル・ユビタライトという男には一日の長があるという、それだけの話。

 記憶はないのに、身体が覚えている。

 あの男と、遊ぶように組み合った何度もの戦いを。


 ああ、それこそが、マリンとエユクルの思い出。

 マリンが合わせる、エユクルの立つ土台の上での戦い。

 故に、士門のすべきことは今までとそう変わらない。そも、出来ることがそうない。

 士門に許されているのは、マリンの力を勝手に使って『適応』することだけ。

 圧倒的に、叩きのめすだけなのだから。


「やるぞ、エユクル」


 見ず知らずの他人とは思えないがための口調で、士門は相対する男の名を呼ぶ。

 同時に。


 ――『適応』。


 違和感はない。

 サヴァ―リとグルヴァ、二人を相手取った戦いの時にはあったそれが、今はなくなっていた。

 まるでこの身体が、マリンが、遠慮は無用と言っているよう。


 じゃあ、


「遠慮はしない」


 ――『適応』。

 『適応』『適応』『適応』『適応』『適応』。


 今士門が出し得る全てで以て、目の前の男にマリンではなく士門だと認めさせる。


「それでいい」


 合図はない。

 一瞬にして張り詰めた空気感の、微かな揺らぎがその代わりとなる。


 研ぎ澄まされた感覚が、ただ相対する敵を捉え続ける。

 微細な動きにさえ反応できるだけの集中が、エユクルの一挙手一投足を掴ん――


 ――消える。


「っ!」


 状況への『適応』を行ったマリンの体が、消えたと思わせるほどに速度を上げたエユクルを迎え撃つ。

 放たれたのは、なんてことないただの突き。工夫も無ければ、小細工も無い。あるのは純粋な、磨き上げた技量。

 シンプル故の、自信が乗り移った一突きであることは疑いようがない。


 その上で、致命的な違いが士門とエユクルの間にはある。

 即ち、無手と槍の差。リーチの違いだ。

 エユクルが得物で攻撃範囲を伸ばしたのに対し、士門はただの徒手空拳。

 確かな差がそこにはあった。


「――――」


 ただしそれは、士門に『適応』が無ければの話。

 魔境を生き、あまつさえそこにある物体を喰らって手に入れた、他に類を見ない唯一の力は、それを苦もなく覆す。


 切っ先鋭い槍の穂先が士門へ迫る。

 それに対し身体が取った行動は極々簡単。

 穂先を見て刃を持たない側面を確認し、押す。それだけ。


 力を込め、決して目標を外さないように槍を突いたはずなのに、押されただけで槍が行く方向を変える。

 その異常事態に身体が刹那の間困惑を見せた。


 士門はそんなエユクルに接近し、鳩尾に一発。

 痛みに喘ぐより先に、くの字に曲がったその体に流れるように蹴りを続ける。


「ぎ、ぉお……!」


 吹き飛ばされたことを悟ったエユクルが放さなかった槍を地面に突き立て、立て直しを図ろうとするが、吹き飛んだ彼の背後に追いついた士門が、踵を落とす。

 スラリと伸びた褐色の肌の脚は、吸い込まれるようにエユクルを襲い、


「があ!」


 立て直すより早く、地に堕とす。

 受け身も取れずに叩きつけられた身体は、まだ始まって数秒だというのに悲鳴を上げる。

 全身が焼けるように痛みを持っている。


 それでも間近に士門がいることを把握しているエユクルは、鞭を打って距離を取る。

 無様に地面を転がりながらも目的を達して、視線を上に。

 するとそこには。


 エユクルを追わず、来いと手招く士門の姿。


「はっ!」


 誘われていることは百も承知。

 だが、むしろ好都合。あのまま為す術なく攻撃を受け続けるより、幾分マシな展開だ。

 魔法を使って痛む身体を治すことは可能ではあるが、時間が勿体ない。

 士門が言った内容は、エユクルも理解している。

 一分。たかが一分。それだけの時間を要求した士門は、つまりこう言っている。

 一分でエユクルを納得させてみせると。


 使える魔力を全て、身体に――正確には生命の根幹たる魂に返還する。

 自身が動くための力を更に得た肉体が、ただでさえ速いエユクルを尚速い一本の槍とした。

 その上で、生まれてこの方、碌に使い道のなかった才を発動させる。

 同時に踏みしめる地面は、エユクルが足裏を放すと同時に大きく凹んだ。


「――――」


 先より速度を上げたエユクルを目前に、しかし士門に焦りはない。

 見えている。エユクルも、彼が持つ槍も。

 『適応』にも、やはり違和感はない。

 たとえ振りかざされる槍が、縦横無尽に士門を狙おうと、万に一つも負傷はしない。

 全てに『適応』できる。

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