55話
「……なんですか、ギメリアさん」
「いえいえ……ただ、仲がよろしいな、と」
「そう見えたのなら貴様の目と耳は終わりだ阿呆めが」
「おや、照れ隠しですかカイセルト様。いつもの態度と変わって随分可愛らしい対応をなさるじゃありませんか」
「戯言だな。シモンには調子がどうだと言っていたが、偽りのようだ。思考すらまともにできないと見える」
「シモン様、聞きましたか? 逃げましたよあの第五皇子」
ギメリアからのそんな問いに、士門は答えられずに呆気に取られていた。
まさか。
まさしく、まさかの光景である。
あのカイセルトが舌戦で後れを取っているなどと、そんなことは起きないと思っていた。
しかし現に、ギメリアにカイセルトは負けている。紛れもなく、軍配はギメリアに上がっていた。
傲岸不遜。
そんな言葉が似合い、それ以外の言葉は似合わないのではとさえ思えたあのカイセルト・ラドグラーゼの、士門の印象が大きく覆された瞬間だった。
「…………」
「その眼、潰すぞ」
「あ、いや、何でもないです」
思わず流れに乗って何か言ってやろうかと思ったが、それを読んだカイセルトに、本気のトーンでそう言われて士門は即座に引き下がる。
恐らく魔法で治せるだろうが、痛みはあるし、そんなことで時間を食っている場合ではないので無理をすることはしなかった。
「チッ……おいシモン」
「はい! なんでしょうか!」
「引き摺るくらいならそもするな愚鈍が。それより、見ろ」
カイセルトに言われるがまま、士門は前を見る。
「…………」
渦巻く暗雲。
轟く雷。
吹き荒れる嵐。
打ち付ける豪雨。
照りつける陽射し。
吹雪く極寒。
その他、およそ形容し切れぬ気象と、環境の数々が垣間見えた。
つまり、辿り着きつつあるのだ。
『魔女』マリン・モーガンル・ラドルグホープが生きた場所に。
人が生きれぬ、異常地帯。訪れる者に牙をむく厄災の地に。
――『胎造せし二』に。
「……っ」
自然と、気が引き締まる。
そうだ。
決して、あの場所に行くことが最終目標ではない。
あの場所で『反乱軍』と王族の争いが収束するまで生き残り、そして戻るまでがカイセルトの話した逃亡の全容なのだから。
「追手はひとまず遠ざけた。皇帝の動く気配はない」
「後は向かうだけ、ですか?」
「その前に、役に立たぬ関所があるがな。通るだけだ、そう時間はかからん」
目途が立った。
唯一の不安要素だった皇帝ハイレナス・ラドグラーゼが動けば話は違ったが、その可能性はカイセルトの口ぶりから無くなった様子。
本当に、後は向かうだけの状況となったわけだ。無論気を抜けるわけがないが、それでも目的地までの目途が立ったというのは安心に近い感情が浮かぶ。
そんなタイミングで、
「シモン、顔を隠せ」
「は?」
「貴様の瞳と容姿がそこらの『魔人族』の視線を惹いている。注目されるのは面倒だ」
「……分かりました」
カイセルトに速度を合わせていたので気づかなかったが、いつの間にか隣の男は走る速度を常識の範囲内に抑えている。
そして周囲も、その毛色を変えていた。
廃屋と呼ぶに相応しいボロボロの建物群が並び立つその場所は、言うならば貧民街。
二階から三階建ての建物には穴がところどころに空いており、中に入ろうが外に出ようが変わらないのか、ここに暮らす『魔人族』のほとんどが道端に座り込み、地べたを見つめている。
服装もみすぼらしく、布切れを体に巻き付けただけの簡易なもの以外が見受けられない。
食事にも苦労しているのか、布から見える肉体は痩せており本来の力を十分に出せないように思える。
ハエのたかっている者も決して少なくない。
何となく、士門は『反乱軍』の思想もまた理解した。
城とは雲泥の差だ。
絢爛と貧困。
贅沢と飢餓。
天国と地獄のような二面性が、このラドルグ帝国にはあったのだ。
それを強いたのは、皇帝に他ならない。
だからこそあんな集団が出来る。そこには一つも間違ったことは無いような気がした。
無論、士門の知る人間を三人も殺したことに対して、間違っていると感じる士門の憤りと悲しみは決しておかしなものではない。
嗚呼、けれどとても単純で。
正義には正義の、悪には悪の護りたいものがあって。そもそも、どちらが正義でどちらが悪だなんてことは見方の違いでしかなくて。
それを、小学校の道徳で遠回しに考えさせられたことを、突きつけられた気がして。
酷くやるせないまま、士門は先へ進んだ。
そうして辿り着いたのは、この貧民街から百メートルほど離れた位置にある、異様な門。
「――――」
不安を煽るように、赤と黒で塗られ。
横幅八メートル、縦十メートルはあろうかという大きさで。
横に続く同じ材質の壁は、どこまで続いているのか分からないほどに長い。
ここから先が異界であると告げるのにこれ以上ない不気味さの、門だった。
そして。
そして酷く――懐かしい。
走っていた時に感じたそれを、遥かに上回る感情の奔流。
それが士門の胸中で渦を巻いていた。
故に確信する。
マリン・モーガンル・ラドルグホープは、この門からこちらへ来たのだと。
「……行くぞ」
カイセルトの一言で止まっていた足を動かし、門に近づく。
その門の傍で一人、槍を持って立つ門番らしき男が鮮明に見えるようになる。
が、士門はハッとして顔を背けた。
カイセルトに、注目を集めるのは面倒だと言われたばかりだ。この容姿と赤い瞳を見られ、印象を持たれれば後々拙いことになる可能性は十分にある。
視線は向けず、視界の端と肌の感覚でカイセルトの位置を確認し、その後を寸分違わずついていく。




