42話
「――は?」
突然の、困惑。
それは何に対してだろうか。
――つい今しがたまで士門の目の前で笑って手を伸ばしていたヤラが、その手と鮮血だけを残して潰されたこと、に対してだろうか。
それとも、突如として士門たちがいる場所が何かによって崩壊したことに対してだろうか。
否。
断じて否。
そうではない。それに対する困惑などでは全くない。
士門が声を上げたのは。上げてしまったのは。
――まるで『適応』したかのように、ヤラが潰される直前にマリンの体が自動的に後ろへの回避行動を取ったからである。
見えていた。
強引に後ろに退かせられるその最中、ヤラがどうなったのかを『疑似視覚』は捉えていた。
とてつもなく巨大な球体が音速を超え、光速でこの場所へと左から迫ってきた。
その速度は、マームたちであっても反応できるものではなく、『反乱軍』襲撃の際に飛来した円錐よりも尚速く、無慈悲にヤラに吸い寄せられるように直撃した。
そこからは、ただ悲惨。
コマ送りのように視認できる光景を、士門は見るしかなかった。
まず、右腕が壊れた。
間髪入れずにヤラには大きすぎる球体は胴に到達し、折り潰し千切り抉り貫く。
顔はそれに伴って破壊の限りを尽くされ、声を上げる間もなく血流を放出し、それすら球体に呑まれるかのように付着し、それを逃れた微かな血液だけが渡り廊下に散らばることを許される。
余波により足は吹き飛び、見る影も与えない。
速度はそのままに、次なる標的は左腕に。しかし伸ばされていたが故に、手首より先のみは残る。が、それだけ。右腕同様に何の抵抗もさせずに肉を断ち骨を割る。
即ち、死。
呆気なく、簡潔に、球体は第十皇子ヤラ・ラドグラーゼの殺害を果たす。
しかして、それだけでは終わらない。
ヤラのみに限らず、城と地面を抉っていた球体が、地盤を揺るがす。
風が吹き荒れ、飛び退くように回避していた士門は更に後ろへ飛ばされる。
「が、ぁ!」
城の壁に激突し、背中に受けた痛みに喘ぐ。
それでも『疑似視覚』の性質上、視界が遮られることはなく、士門は周囲の状況を確認しにかかる。
渡り廊下は完全に崩壊。
その下にあった地面には大きく丸い穴が空き、最下層に先の球体があることは容易に想像がつく。
ばら撒かれた渡り廊下の残骸が歩行を困難にし、ヤラの血液の付いた瓦礫がどれなのかは判断が不可能なほど。唯一残ったヤラの左手首より先もまた同じ。どこにあるのかは不明だった。
「っ、マームさん達は……!」
士門の後ろにいたはずのマームともう一人の給仕の存在を思い出し、首を振ってその安否を探る。
士門にとってその二人の生死は一つの分岐点であった。
死んでほしくない存在が、会ったのは二回目であっても親しくなった子供が、死んだ。
それも、目の前で。
その事実だけで、士門は既におかしくなりそうだった。
もしこちらへ嫌悪を示していようとも知っている二人すらも死んでいたとすれば、その時士門は――
「――ぁ、ああ、ぁああ……」
絶望に身を委ね、ただ悲しみを叫ぶ声が士門の耳に届いた。
反射的に聞こえた方向に視線をやれば、瓦礫の上で崩れ落ち、ヤラがいた、しかしもはや何もない場所を眺めるマームを見つける。
その近くに、血の池。
マームに外傷は見られない。五体満足だ。
代わりにもう一人の給仕は見受けられない。
つまり、つまり。
「く……そ」
奥歯を噛みしめ、それでもマームが生きていたことに微かな希望を見出す。
叩きつけられた衝撃で作られた凹みに座るようにしていた士門は、すぐにマームのいる場所へと向かう。
近寄ってもマームがこちらへ気づく様子はないが、外傷はやはり見られない。
庇った、とそう考えるのが自然だろう。
球体が何であるのかは、士門には分からない。
だが、このままここに留まることが危険であることは分かる。
目下最優先すべきは、ここからの離脱。
飛んできた方向から、どのあたりから放たれたものであるかは予想がついている。少なくともその射線から離れれば。
そう考えながら飛んできた方向を見てみれば、士門は唖然とした。
飛んできた方向と、今士門たちがいる場所。
その間に、つい昨日、バラムとの決闘で吹き飛ばした区画があったのだから。
即ち、この射線は、士門が通したと言ってもいいということ。
士門が絶級魔法での衝突を行わなければ、この状況にはなっていなかったかもしれないということ。
「ぁ……っ!」
後悔をしている暇ではないと、口内を噛んで己を叱責する。
後で良い。反省も後悔も謝罪も。何もかもが後で良い。
全てを士門の責任にされても構わない。だから『今』、生き残ることを優先するべきだ。
覚悟を決め、決断して、士門は呆然とヤラがいた場所を見つめ続けるマームの肩をゆすり、声をかける。
「マームさん! 危険です! ここから一度離れましょう!」
「……ヤラ、様」
ゆすられて尚、マームはここを動こうとしない。
強引にでも担いでこの場を離れた方がいいかと士門が思考した、その瞬間。
ゆすられ視界が上下左右に動いた結果、マームが士門を捉えた。
呆然は、憤怒に塗り替わる。
士門に掴みかかり、
「あ、あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ! 『魔女』! マリン・モーガンル・ラドルグホープ! 何故殺した! 何故ヤラ様を殺したぁ!?」
「――――」
「間に合ったはずだ! 貴様ならヤラ様を助けられたはずだ! 何故殺した! 何故……何故――見殺した!?」
「……ぁ」
見られていた。
あの一瞬の出来事を、マームは見ていた。
故にこそ、これは必然の出来事で、余りにも自然なこと。
主を殺された従者の、当然の怒り。
しかし、それを向けられる士門は受け止めるだけの力を今、持ち合わせていない。
分からないのだ。
何故後ろに飛び退いたのか。
何故ヤラを守るために動けなかったのか。
何故、見る他なかったのか。
『適応』を発動させたつもりはない。仮に無意識に発動させていたとして、ヤラが助けられるのなら、そうしていたはずだ。
だというのに、身体が勝手に動いたかと思えば、取った行動は己だけを助ける回避。
叩きつけられた感情に、目の当たりにする己の行動に、士門の中の何かが引き裂けそうになるのを感じる。
後で良いとしたありとあらゆる全てが、それを是とせず士門を襲った。




