40話
入った城内部にはやはり人がいない。気配すらしない。
単純に人がいない時間帯なのか、それとも人があまり寄らない場所に士門がいるためか。
仮にそのどちらかだったとして、それでも尚違和感がある。
人件費削減のために大量にリストラした、とかそんなことではないだろなと士門が考えながら道を進んでいく最中。
大雑把な城内部の地図を頼りに、サヴァ―リがバスケットを返しに行った厨房に向かって歩いていたところだった。
不意に耳に聞いたことのある声が入ってきた。
「――マーリーンー!」
「……ん?」
『疑似視覚』の視界を細めて、疑問の声をあげる。
つい今しがた人の気配がしないと断じたばかりだというのに、どうやらそれは勘違いだったようだ。
そして、頭の中でもう一度声を再生し、やはり聞いたことのある声だと思い至る。
声のした方向に首を向ける。
するとそこにいたのは、こちらへ疾走し迫るヤラ・ラドグラーゼの姿が。
既に距離はない。およそ二、三メートル。
『魔人族』の身体能力、それも第十とはいえ皇子のものとなれば一呼吸で士門のいる今の位置まで到達できる。
体勢からしてヤラがやろうとしていることは突進に近い。ブレーキをかけて士門の前で止まるような動作は欠片もない。
受け止めるのが一番か。
そこまでを即座に分析し切った士門は、『適応』を使わずに女性の体の特徴である柔らかさとしなやかさを活かして、ヤラを受け止め、勢いは士門の後ろに逃がす。
「ふぅ」
上手く行ったと内心で喜びながら、同時に少し困惑もする。
異世界に来た直後に比べ、余りにも動きが違う。常人が出来ないような技術で以て、士門は今ヤラを止めたのだ。
当然のように、一社会人でしかなかった士門にそんなことはできなかったはずである。異世界に来た直後に関しても同じ。
それに近いことが出来たのは、初めて意識して『適応』した時だったか。
つまり、意識せずとも『適応』しているに近い状態に、今の士門はなっているということ。
もしそうだったとして、何故そうなったのだろうか。
思い当たる節はマリンという人物の背景に、少なからず触れたこと。
それが、結果としてマリンの体と士門との関係性に変化を与えた――のかもしれない。
詳細は一切不明。
ただ一つ分かるのは、徐々に士門がマリンの体の本来の力を使えるようになってきた、ということである。
最低限、自分を守るための力が備わった。士門としては嬉しいことである。
と、そこまで考えたところで。
「えぇと……どうしましたか、ヤラ様?」
「マリンをみつけたからはしってきただけだぞ」
マリンの胸で抱き留められていたヤラに声をかけるが、返ってきたのは実に子供らしい、衝動に近いものだった。
「マームさんたちはどうされたのですか?」
「む、いるはずだぞ。ほら」
そう言って来た方向と逆を見て、指をさすヤラ。
釣られて士門もヤラが指さした廊下の先に視線を向けると、歩きのモーションで、しかし全力疾走と変わらない速度を保ってこちらへ向かってくるマームともう一人の給仕の姿が。軽くホラーだった。
ひとまず給仕を置いて、一人で城を出歩いていたわけでは無いことにホッとする。いや、給仕から離れて動いているだけで十分に危ないのだが。
というか、『反乱軍』に命を狙われてからそう時間は経っていないというのに凄まじい胆力である。
さすがはラドルグ帝国の王族と言ったところだが、
「危ないので一人になるのはやめてください。また以前のように襲われたらどうするのですか」
一応注意はしておく。
サヴァ―リも、仮に『反乱軍』とヤラ一人が戦ったとして殺されていたとは思えないと言ってはいたが、心配なものは心配だ。
さすがに知っている子供が死ぬのは勘弁してほしいというのが士門の本音である。
ので、過保護になるくらいが丁度良いのではないかと思ったが、追いついたマームによってそれは止められる。
「『魔女』……貴様、一度ならず二度までもヤラ様に近づくか」
「あの、本当に偶然なのですが……」
本当のことを伝えるも、それがマームに届くことはなく。
「ヤラ様、こちらへ」
「……うむ」
マームがヤラの手を引いて士門から離れさせる。
話を聞かないにも程がある。
「しかしマーム、ぼくはきょういちにちマリンといっしょがいいのだが」
「…………ヤラ様、それは」
「ぼくはマリンをきにいっている。いいだろう、べつに」
「で、ですが……」
士門が想像し得なかった方向への突然のシフトに、対応し切れず士門は口出しすることが出来なかった。
結果、ヤラとマームの話し合いは進み、最終的にはある場所に辿り着く。
「……承知いたしました」
「そういうことだマリン。きょうはぼくとあそぶぞ!」
「えぇ……と、はい。謹んで」
まさか負けることは無いだろうと思われていたマームが先に折れた。一昨日の出来事に関してはマームに非があったので口論で負けたとしても仕方ないと思っていたが、今回はマームに付け入る隙はない。
その上で、マリンへの恨みで首を搔っ捌こうとまでした人物が、仕える主相手とは言え、結構すんなりと要求を吞むに至ったのは、完全に想定外と言える。
それへの驚きに、戸惑いながら返事をした士門が、チラリとマームの方に視線を向ければ、どう見ても不服そうな彼女がこちらを睨んでいた。
マリンへの感情が少なからず改善したとか、そういうわけでは断じてないようだ。出会いがしらの発言があれだったのだから、その可能性は切り捨てていい程に低いものではあったが。
マームが承知したことで機嫌を良くした第十皇子様は、鼻歌でも歌いそうな後ろ姿で城の廊下を歩き出す。
マームともう一人がそれに追従する。
士門は少し遅れてその後を追った。
道を歩く途中。
気になったのでマームの隣に移動し、声を抑えて問うてみる。
「貴方は私が嫌いだったのではないのですか?」
「……今尚嫌悪している」
予想通りの回答。
やはり中身がマリンから士門になったことで、マームの好感度が上がったなどという荒唐無稽な話ではなかったらしい。
変わらず一切の容赦なくこちらへ敵意を剥き出して来るマームに、士門は内心で苦笑いを浮かべた。
だが、マームの言葉はそれだけでは終わらず、しかし、と続けて。
「貴様は、ヤラ様をお守りした。それだけは評価するに値する」
「……そう、ですか」
「図には乗るな。私は貴様を認めたわけでも、許したわけでもない。仕える主の意向を、汲んだに過ぎない」
「そうですか」
敵意の裏に隠れて――いや、単純に士門がマームの敵意に圧されて見えていなかった忠義を垣間見て、少し眦が下がるのを感じる。
マリンとの因縁さえ無ければ、或いはマームとも仲良くやれたのだろうか、とそんなことさえ士門は思い浮かべる。
「そういえば、本日はどうしてこちらに?」




