26話
真っ先に浮かんだのは、詠唱の二文字。
ファンタジーによくある魔法を使うための前口上。
しかし、それはこの世界にはないものだと士門は思っていた。
『疑似視覚』を習得した時も、魔法の維持時間が異常に長いことを指摘された時も、ラエスタルとの決闘で『山牙』の発動を見た時も、詠唱に関する情報など無かったからだ。
つまり、この魔法が、『魔人之血戦』と呼ばれた魔法が、他の魔法とは一線を画すものだということなのか。
自然、その魔法を発動させたバラムと周囲への警戒が高まる。
変化は、一瞬にして訪れる。
士門とバラム、両者の立つこの空間の中心部分に、突如としてドーム型の半透明な壁が出来上がる。
「……?」
閉じ込められた。
それは即座に理解した。
しかし、それをする理由は一体どこにある。
士門が決闘を放り投げて逃げられると思っているのだろうか。第一皇子ともなれば、カイセルトと士門、そのどちらもの立場がこの時点で中々に怪しいことは承知のはず。となればあり得なくはないが、考えにくい可能性だろう。
果たしてバラムがその可能性を第一に考慮して動くのか。
突然の事態に士門が思考を巡らせ、これから起こる何かしらの現象を推測している、その時。
視界に映る、接近――
「――っ」
それを出来得る限りの速度で避ける。
狙いは顔面。凶器は刃。
えげつない一撃ではあったが、よそ見をしていた訳ではなかったことが幸いした。
が、さすがに完璧な回避とは行かず。
目を覆っていた布を切られ、はらりと地面に落ちる。もう使い物にならないことは言わずもがな。
この状況で目を開ければ、『魔人族』にとっての恐怖の象徴である赤い瞳がお披露目することになった。
士門は目を閉じたまま、『疑似視覚』での視界の確保を続行。
バラムを見やれば、そこにいたのはもはや先程までの優イケメンなどでは断じて無く。
戦闘態勢へ移行したラエスタルと同じように、玉座の間で見た皇帝と同じように。
――弱肉強食を常とする『魔人族』そのものであった。
「この魔法を効果を知りたいのなら、教えよう」
冷たい声色でバラムがそう告げるのと同時に、士門の頭にもマリンの知識から『魔人之血戦』の概要が流れ込む。
「『魔人族』が対象に限り発動し、対象を閉じ込め――」
「――自身を強化する儀式魔法、ですか」
正確に言うならば、強制的に一対一の状況を作り出し、敵にデバフを、自身にバフを付与する魔法。
それを儀式魔法と、そう称するのは、『魔人族』にとって戦う行為が儀式に近いためか。
ともあれ、なるほど強力な魔法であることは間違いない。
一対一を強いられるだけで相当に強いというのに、その上で敵の弱体化と自身の強化を同時に行えるのだから。
「知っていたのか……いや、思い出した、かな。ひとまず先手は打たせてもらったよ」
「では、次はこちらですね」
『適応』――
「――いや。まだ僕の手番だ」
バラムの身体より、白い靄が溢れ出す。
それを士門は知っている。
地球にはない、異世界の超常。名を魔力。
それが、バラムを覆いつくさんばかりに、膨大に放たれていた。
本能的に、これから発動する魔法の規模と威力を悟る。
『魔人之血戦』が覆う範囲を超え、この城を破壊しつくさんばかりの、圧倒的な暴力。
何を考えているのかと思わず正気を疑うほどに、目線の先の男はあり得ない量の魔力を費やしている。
故に。
「火属性絶級魔法『灼火煉獣』」
――『適応』。
「水属性絶級魔法『捩潮波魔』」
現れたるは、炎を全身に帯びる竜と水を全身に纏う怪物。
停滞は一瞬。
咆哮するように、魔法で形作られた二体の化け物は灼熱を吐き、潮流を生む。
激突の衝撃は当然のように周囲に及び、『魔人之血戦』を破壊し、辺りをくまなく蹴散らした。
それは、ラドルグ帝国のみならず、五大国全ての歴史を鑑みても尚、特異な光景だった。
絶級魔法とは、使える者など数えられる程度しか存在しない、実質的な魔法の頂点。
習得までに数百年の歳月をかけるとさえ言われた、究極の魔法。
それを使える存在が二人、相対するなど稀も稀。過去に類を見ない、歴史的な瞬間に他ならない。
故にその魔法の衝突はおよその物理現象を飛び越え、常識を破壊する。
士門たちのいる決闘場。
それを囲う壁が、『灼火煉獣』と『捩潮波魔』、それぞれが生み出す炎と水がぶつかり合い気化した水蒸気によって、溶かされる。
余波で地面は抉れ、空すら割れる。
天地を揺るがす魔法の衝突は、たっぷり二十秒以上続き、そして。
一歩も引かず、しかしバラムの『灼火煉獣』が維持出来ず消滅することで終わりを迎えた。
それを刹那の瞬間に見極めた士門もまた『捩潮波魔』を消滅させる。
バラムは表情に無視できない程度に汗を浮かべ、杖を捨てる。
絶級魔法の使用に、もはや残る魔力は毛ほどのみ。これ以上魔力を使うつもりはない。杖の必要は無かった。
直剣を握り、即座に距離を詰める。
鋭く、致死性の塊が士門へ迫った。
だが、士門に焦りはない。
『適応』を使うことに、もう躊躇はない。
自らが自らである証明は済ませてある。呑まれる心配も、混ざり合う不安もない。
よって、今や『適応』は士門の確かな手札。
切ることに、何ら抵抗は示さない。
――『適応』。
「土属性上級魔法『双翼』」
ラエスタルの戦いと同じように、身体は土で構成された双剣を選ぶ。
左横から迫り来る死を、『双翼』と名付けられた双剣の両翼が、迅速に受け止める。
止められた、とそう理解してもバラムは直剣に込める力を緩めない。
鍔迫り合いに移行し、微かな金属音を響かせながら、状況は停止した。
「……何故だ」
否、バラムがそれを許さなかった。
どこか絞り出すような声で、士門に投げられたその問いは要領を得ないものだった。
『疑似視覚』の視界が狭められる。
「何故、君は戻ってきた。記憶を失って、それでも。君がしたことを怨む者が多いなど、分かっていることだろう」
「…………」
「ああ、だから、君の言葉は偽りなのだろう。記憶を失ったなど、嘘なのだろう。答えろ、マリン・モーガンル・ラドルグホープ。『魔女』よ、我が国の希望よ。
全てを覚えているのだろう。全てを理解しているのだろう。
――何故だ。何故戻った! これ以上、あの御方に何をする気だと言うのだ!?」
「あの……御方?」




