23話
マリンの私室へと戻り、台座に腰をかけ頭を巡らせてからどれ程の時間が経っただろうか。
出来得る最高速で行われる思考は、士門の時間間隔を大幅に狂わせた。
ともすれば一日が終わり、既に異世界二日目に突入しているかもしれないが、しかしそれだけの時間をかけた甲斐はあったと言っていいだろう。
「ふぅ……」
ひとまず、精神を完全に落ち着かせることには成功したのだから。
恐らくは、士門自身に自覚は無かったが知らないうちにストレスが溜まっていたのだろう。
そこに『適応』によってマリンの、意識と呼ぶには違和感のある何かが一時的に混ざり込んだことが、士門をこれまでにないほどに不安定にさせた最たる理由と考えられる。
一人で部屋に篭り、自分と向き合う時間を作ればこの通り。
自身を、鳩羽士門と言えるまでに回復した。
サヴァ―リがどうしているかと言えば、部屋の外で待機している。さすがに部屋の中に押し入って監視をすることはしないようである。これが皇帝の給仕であったなら、その可能性もさもありなん。
ともあれ、士門の精神を大いに揺らしたあの一件は無事解決。
未だラエスタルからマリンについての情報は手に入れられてはいないが、それでもあちらが条件を守る素振りを見せた以上、こちらが破らない限り情報は手に入るはずである。
そして、強く自覚せざるを得ないことが二つ、浮上することとなる。
一つに、やはりマリン・モーガンル・ラドルグホープ。
『魔女』と呼ばれていること。ラドルグ帝国の希望と謳われていること。城の人間に恨みを買われていること。『適応』と士門が呼ぶ力を仕えること。
それ以上の情報は、ほぼない。
そもそも、一体何がどうなってマリンの体が士門に受け渡されることとなったのか。そこから不明だ。
死に、体だけが残ったのを惜しく思ったが故か。しかし『適応』を持つ以上、そう簡単に死ぬとは思えない。
それとも、マリンが体を他の何者かに渡すことを承知したのか。何のために。
儀式の全容を知らされてすらいない士門では、結論を出すのは些か難しい。
加えて、マリンの私室の位置。
城の北に存在する吹き抜け、そこからさらに幾らか歩いて見つけることのできる階段を降りた先に、今士門のいるこの部屋はあった。
あまりにも独立している。
サヴァ―リの案内で城内部の構造をおおよそ把握した士門だったが、違和感を覚えざるを得ないほどに城から離れた場所に配置されている。その上地下ときた。
果たしてこれが『ラドルグ帝国の希望』への待遇なのだろうか。
もはや隔離に近い。
不自然は、思考のそこかしこに転がっていた。
そして二つに、第二皇子が敵であるという事。
第四皇子ラエスタルはそんな気はしないのだが、第二皇子マガセルに関しては確実にこちらの行動を制限している。
『適応』の影響で不安定だったが故に、被害妄想が強かった節はあるが、それでもやはりあのタイミングでのサヴァ―リの介入は狙っていたとしか思えない。
現状の脅威ではなくとも、厄介ではある。
少なくとも士門へ制限をかけている事柄は二つ。魔法とマリン本人に関して。
前者はともかく、後者がおかしいのは言わずもがな。明らかに皇帝の思惑と外れている。まるでマリンの完全復活を望んでいないよう。
マガセルがどんな未来図を見据えているのかは分かりかねるが、こちらの想像を超えた何かであることは想像に難くない。
今のところマリンの中にいるのが士門であるということを露見させたくない士門、カイセルトと利害は一致しているように感じるが、目的が分からない以上、いつ裏切られるかも分かったものではない。
あくまでもカイセルトからは警戒しろ、とのお達しだったが、どうにもきな臭い。
相手がし得る行動のハードルを上げておいて損は無いだろう。例えば『反乱軍』と秘密裏に組んで、皇帝撃破を目論んでいる――はさすがに無いと思うが。
ともかくこれより、士門にとってマガセル、及びその息のかかった者は警戒すべき敵である。そういう心持ちで、今後は動く。
とすれば、目下サヴァ―リを使ってマガセルがこちらへ仕掛けてくるのは、ラエスタルにマリンの情報を聞く際か。
『適応』のおかげ、というよりはせいだが、士門の中でマリンへの関心が高まっている今、魔法はともかくマリンの情報の制限は勘弁してもらいたい。
体を使っているのだ。知るべきだと、士門は思う。
あまりに逸脱した執着を見せれば勘づかれる可能性が出てくるが、記憶を失っていると言う設定があるため、人を殺してでも記憶を取り戻すレベルのものでなければ違和感はないはず。
注目すべきは、給仕であるはずのサヴァ―リを、マガセルがどう用いてこちらへの妨害を働くか、その一点。
恐らくではあるが、後に会うだろうラエスタルを警戒する必要はない。
単純に、弱肉強食がモットーの『魔人族』である彼を倒したからだ。少なくともマリンの情報提供に関しては、嘘偽りを言うような雰囲気をラエスタルは出してはいなかった。
それでも、カイセルトが警戒しろと言った以上は何かしらの裏があるのやもしれないが。
ひとまず、ラエスタルとの会合は、皇帝への謁見とは些か別方向からのものになるが、大変であることは容易に想像できる。およその要因はマガセルだが。
しかしそれを乗り切らなければ、この城に跋扈する曲者たちを相手に、儀式の秘密を隠し通すことなど不可能だろう。
士門にとって、一つの分水嶺であると言えた。
と、そんな士門に、扉の向こうから声が聞こえた。
「マリン様、カイセルト殿下がお見えになられました」
部屋の外で待機していたサヴァ―リから、カイセルトの来訪が告げられる。
こういう時は、お入りくださいだの、どうぞだの許可を出さなければいけなかったかと思い出し、
「ど――」
「――入るぞ」
言い切るより先に、カイセルトは扉を開け放った。
そして台座に腰掛ける士門を視界に収めると、嘲笑うように鼻を鳴らして一言。
「目覚めて一日と経たずに部屋篭りとは、随分と根暗になったものだな。我が国の希望ともあろう女が」
「…………」
全力で煽りに来た。
思わず『疑似視覚』で見える範囲が、呆れるように狭まる。実際呆れていた。
「……それは申し訳ありませんでした」
「謝罪は不要だ。必要になれば這いつくばらせて心底からの謝意を述べさせる。それより貴様、この俺の私室に無断で入ったそうだな」
「何もなかったあの部屋ですか?」
「目は節穴のようだな。最低限のものはあっただろうが」
「ちゃんと見た上で、何もないと言って差支えがなかったのでそう言ったまでです。それに私は肉眼で視認しているわけではありませんが。お忘れですか?」
「ならばその魔法すら穿たれているということになる。あぁ、全くこの国の先行きが危ぶまれるな」
売り言葉に買い言葉。
どこか子供の口喧嘩に似た空気を漂わせながらの言い合いは、余裕のカイセルトが、士門を詭弁じみた言葉でいなす構図となった。
のらりくらりと躱され、目覚めた直後とは趣向を変えた新たな戦法に、士門はまたも活路を見いだせず、降参と同義である話の転換を行った。
「……それで。何の御用でしょうか?」
「それを貴様に告げる前に……給仕。名をサヴァ―リだったか、部屋の外で待機していろ」
そう言って、カイセルトの後ろに立っていたサヴァ―リを、半ば睨みつけるようにして士門と二人きりにしろと伝える。
するとサヴァ―リは特に抵抗を示さず、
「承知いたしました。何かございましたらお呼びください」
それだけ言うと開け放たれた扉を閉めて、部屋から姿を消した。
士門が言えば、恐らく何かしらの抵抗があるだろう。サヴァ―リがカイセルトの言うことを聞いたのは、偏に皇子だからだろうか。
立場の違いによる格差に若干の不満を垂れながら、士門は台座から降り、聞く姿勢を取った。
「それで。お話と言うのは」
「何、そう難しい話ではない。貴様への誘いだ」
「誘い、ですか?」
「あぁ、決闘のな」
「…………」
つまり、その誘いとやらをしてきた何者かは、士門――マリンと戦いたいのだ。
その事実に、士門は難色を示さざるを得ない。
何故ならば、戦うとなれば、まず間違いなく士門は『適応』する必要があるのだから。
それは士門の自我を、ラエスタルとの戦いの後のようにあやふやにする行為に他ならない。
思い返せば、何度も経験したいことではないのは確かだった。




