19話
「――誰かと思えば。貴様か、『魔女』マリン」
扉の方から声が聞こえ、慌ててデスクに触れていた腕を引っ込め振り返る。
懐かしさと、喉元まで出かかった何かはすぐに失せた。
それを惜しみながら、未だ解ける気配を見せない『疑似視覚』で声の主を見やれば。
そこにいたのは黒髪に、黒い角を生やした男。
つまりは、王族。
目元が隠れるほどの長さの黒髪の隙間から見える切れ長の双眸は細められ、睨まれていることが一目瞭然だ。
顔全体を見ることはできないが、それでも見受けられるパーツだけでカイセルトやヤラ同様、整っていることは想像に難くない。
カイセルトと似たデザインの衣服を身に纏い、しかしカイセルトと違って帯剣はしていない様子。
歳はカイセルトより上の二十歳かそれよりもう少し高いかと言ったところだが、服の上からでもわかる鍛え上げられた肉体が、士門に感じさせる年齢を引き上げているため目測が正しいかは判断しかねるところ。
そんな、カイセルトともヤラとも毛色の異なる美形が、サヴァ―リを押しのけるようにしてカイセルトの私室に入り、腕を組んでこちらを見ていた。
(第……何皇子だ……?)
見た目だけで判断するのなら第四以上。しかし実年齢がカイセルトより低い可能性も考えられなくはない。
第四以上か、第六以下か。
敵か、それ以外か。
「珍しく奴の私室の扉が開け放たれていると覗いた結果、貴様に会うとは何かしらの縁を感じざるを得んな」
「…………」
「何を黙る。儀式の影響とやらで記憶が抜けているためか? それとも――」
男はそこで一度言葉を止める。
張り詰めた空気を肌に感じ、士門は動きを制止させた。
下手なことはできないと理性が告げる。
直後、男から威圧感と共に殺気が放たれ、
「――既に記憶を取り戻したためか?」
紡がれた言葉に、士門は閉じていた瞳を見開いた。
「先の一件、見せてもらった。『反乱軍』に未だこの城を、国を堕とさんとする気概があることには俺も僅かばかりの驚きがあったが……まあそれはいい。問題はそこではない」
そのまま男は一歩近づき、殺気をさらに強め、言う。
有無を言わさぬその物言いは、どこかカイセルトを彷彿とさせる面影があった。
「使ったな、貴様。皇帝陛下が我が国の希望とまで言わしめた、あの力を」
見られていた。
いや、それ自体は問題ではない。
問題なのは、士門が『適応』と呼ぶマリン・モーガンル・ラドルグホープの力を使ったことに勘づかれていること。
兆候があったか、それとも他の要因か。
ともあれ『適応』の発動を周囲に知らせる何らかの現象が起きていることは間違いない。つまり、サヴァ―リたちにも『適応』を使ったことが露見しているということに他ならない。
「その上でこの場に、カイセルトの私室に赴いたならば、もはや確定的だ」
どうする。
どうするべきだ。
体が勝手に動いたとでも言うか。いや、男がああ言っている以上、言ったところで不信感を募らせるだけ。
今日この日、最大の危機と言っても過言ではない状況だ。
助けは望めない。サヴァ―リも、第二皇子というカイセルトの敵に差し向けられた間者に過ぎない。
儀式の秘密の共有者であるカイセルトは今この場にいない。
下手をすれば、記憶を失っている、という設定すら崩れかねない。というか、そもそも無理があったのではないか。
…………ん、あれ?
そこで士門ははたと気づく。
慌てる必要、ないのでは? と。
「貴様は既に記憶が戻っている。で、あるならば俺も言葉は些かの変更が必要だ。
――久しいな、『魔女』よ。ラドルグ帝国第四皇子ラエスタル・ラドグラーゼ、貴様への雪辱、十一年越しに晴らさせてもらう」
その言葉には確かな威圧と殺気が込められてはいたが、限りなくプラスに近い感情から来る二つに思えて、士門は内心で胸を撫で下ろす。
プラスの感情から威圧感と殺気が生まれるとはおかしな話だが、事実そうなのだからさておき。
そういえばそうである。
頭の中で、中身が鳩羽士門であると露見してはいけないということがいつのまにか記憶を失っていないとバレてはいけないことと混ざってしまっていた。
その上で、カイセルトの私室のデスクに触れたことで感じた懐かしさと思い出しそうだった何か。そこに突然現れた男――ラエスタル・ラドグラーゼの剣幕に圧され、致命的なミスを犯した状況だと勘違いしてしまっていた。
が、それは完全なる思い違いに他ならない。
マリンが記憶を蘇らせることは、王族側にとっては失敗に近かった儀式が成功したことになるのだから。
ひとまず話を合わせることにして、しかし何もかも完璧に思い出したとしてしまうのは愚策。だって欠片も思い出してはいないので。
こんなところかと思考を纏め、
「カイセルト様のお部屋に来て、ようやく輪郭を掴んだ程度ではありますが」
とりあえず朧げに思い出してきた、ということにした。
実際思い出せそうではあったので、まあ輪郭を掴んだといっても過言ではない。
「ふむ、全てではなかったか。まあいい。ともかくだ。『魔女』マリン、この俺と戦ってもらおうか」
「はい?」
「む? いやだから俺と戦いを……面倒だな、ついてこい」
戦闘民族と見紛うばかりの申し出に思わず士門が聞き返せば、返答は手を掴まれることで以て為された。
そして、次の瞬間には景色がカイセルトの私室から廊下に変わる。
「え、ちょ……ラエスタル殿下!? マリン様!? どちらへ行かれるのですかぁ!?」
サヴァ―リの声が、もはや遠くなったカイセルトの私室前から聞こえてきたが、士門は返事も出来ずに、ラエスタルに『ついていく』のではなく『連れていかれる』のだった。




