18話
「と言いましても、このお城にあるのは皇帝陛下が座す玉座の間に、皇子様それぞれの私室、執務室、そして我々給仕の部屋、書庫、金庫、中庭、厨房で、先程までいた中庭を除けば、ほとんどが立ち入るのが困難でして……」
「そうですか……あれ? 皇帝陛下は玉座の間で眠られるのですか?」
「いえ、そのようなことは。玉座の間の、さらに奥に皇帝陛下が眠られる場所があるとのことなのですが、我ら給仕が入れる場所ではないので、詳細は分かりません」
「なるほど。では、どのあたりに行ってはならない場所があるのかを教えていただければ」
と、ひとまずお互いの都合がつく範囲で動き回ることが決まり、歩き出す。
――それよりおよそ二時間の後。
無駄に広い、もとい王族然とした気品溢れる広さを持った城は、少女であるサヴァ―リと男であった頃の士門より身長が低いマリンの体とでは、些か移動に不便であった。
ともすれば士門の元の体である男のものであったとしても移動に結構な時間を費やすことになるだろうほどに。
走っていければそれが良かったのだが、城で走るのは拙いだろ、という庶民的発想――おそらく間違ってはいない――が働き、前を歩くサヴァ―リも歩を早めることが無かったことも相まって、時間は余りあるとはいえ、相当な時間を移動に消費することに。
疲れはないとはいえ、精神的に多少なり消耗するのは仕方のないことだろう。
いや、士門を消耗させているのはそれだけではない。
いない。驚くほどに。
人が、いないのである。
果たしてこれだけの空間を使う意味があるのかというほどに超大な広さ故か、そこいらを歩く人すら見かけず、遭遇せず。
もしかしてこの城、士門があった人以外に人いないんじゃなかろうかと思ってしまうほどの人気のなさであった。
昼食の時には昇っていた太陽に似た星が、窓の外を見れば幾らか沈んでいる。
それが士門がこの城を歩いた、その時間の経過を示していた。
はっきりと時間の経過を認識し、思わず今日一日の出来事を振り返り、ふと黒ずくめ、即ち『反乱軍』の残党と思しき人物たちの襲撃を思い出す。
「サヴァ―リさん。何故『反乱軍』はヤラ様を狙ったのでしょうか?」
サヴァ―リたちが迎撃していた黒ずくめの男然り、どこからかヤラの頭部を狙い撃ってきた者然り、明らかに狙いはヤラであった。
そこで疑問が生じる。士門が発した言葉そのものだ。
士門は決して帝政に明るくはないが、その朧げな知識と、ラドルグ帝国で感じた雰囲気とは、明らかに異なる部分が見受けられる。
まるで操り人形もかくやというレベルで皇帝に無言の肯定を伝える大臣たちが、例えばそれにあたる。
残る違和感は、恐らくここが異世界で、士門が相手取っているのが『魔人族』という士門にとって未知の者であるのが理由になるだろうか。
ともかく。
少なくとも士門の常識で推し量ることのできない集団こそが、この城に住む『魔人族』であるのだ。
そんな者たちが、果たして皇子を一人殺した程度で揺らぐのだろうか。いや、まず間違いなく揺らがない。断言できる。
きっと弱かったからだと、切り捨てるのがオチだろう。それがどれだけ幼い子供だろうと。
士門ですら分かるのだ。士門よりも『魔人族』の、その王族の習性を理解しているはずの『反乱軍』が、一体どうして狙っていたはずの首を皇帝から皇子に変える必要があるのか。
そんな問いを投げかければ、返ってくるのはごく自然な声色で。
「王族を殺せば、その空いた椅子に自らが座ることができるからです」
「…………」
「それは皇帝であろうと変わりません。『反乱軍』がヤラ殿下を狙ったのは、恐らく第十皇子に成り代わるためでしょう」
士門は息を呑む。
認識が甘かったとは言うまい。
自分なりに推測を立ててはいた。弱肉強食こそが絶対だという推測を。
皇帝の首が狙われることも、地球の歴史では無かったわけではない。
だが。
まさかそこまでとは思わなかった。
皇帝の座どころか、皇子の座すら弱肉強食を以て決まるのだ。
たとえせいぜい五、六歳の少年であっても。
なるほど確かに、残酷な国、というのは決して間違いでも、誇張でもなかったわけだ。
そして、恐らく。
「仮に給仕がついておらず、ヤラ殿下が一人だったとして、殺されたとも思えませんが」
そんな世界の、最も危険な場所で第十皇子という立場にいる以上、ヤラ・ラドグラーゼという年端も行かない少年もまた、歳不相応の実力を兼ね備えた猛者である。
意図せずして、ではあるものの、ラドルグ帝国の実状を微かに覗き見ることに成功した士門は、再度息を呑む。
未だ幼さが残るヤラが、少なくとも大人四人に囲まれた状態を想像したサヴァ―リが、殺されることにはならなかっただろうと、そう言うのだからそれは紛れもない事実なのだろう。
あんな少年が、それほどまでに強い――いや、或いは強くならざるを得なかった。ここがラドルグ帝国、『魔人族』の住まう国であるが故に。
ああ、本当に残酷な世界だと、士門は思う。
上からものを言えるような立場ではないけれど、それでもこの国がどこか歪であることは覆しようがない。間違っていると、そう思えてならない。
全く、あの第五皇子カイセルト・ラドグラーゼは、なんてところに異世界人鳩羽士門を招いたのか。そういう国であると、本当に言葉少なに教えるだけをして、しかも使わせる体にはこの城の人間にとって恐怖に似た繋がりがあることは伝えずに。
だから。
ちょっと文句言ってやろうと思うくらいは許されていいはずである。
子供っぽいと思われようが、もはや士門の知ったことではない。
見た目の年齢が十八かそこらである以上、そろそろ報告、連絡、相談の三過程――『ほうれんそう』くらいしっかりしてもらわなければ、社会人たるこちらだって困る。
怠った結果、被害を怠った本人だけでなく、周囲までもを巻き込むのが社会というものなのだと、ちょっとばかり教えてやるくらい、相手の身分が王族だろうと、ことカイセルトに至っては士門の中ではオーケーだ。
と、そんな士門の思考が通じたかのように、タイミングよくサヴァ―リの口からある言葉が飛び出した。
「この先は第五皇子、カイセルト殿下の私室になります」
「……丁度良かったです」
微かな停滞、後行動。
思い立ったが吉日とはよく言った。かくも運とは降ってくるものだった。
走らず、それでいて歩むより速度を上げて。
早歩きに似た歩法で士門はサヴァ―リが指し示した扉に向かって一直線。止まることなくトップスピードを維持して目前まで迫る。
そして目にも止まらぬ速度で腕を振り、ノックノック。
返事も待たずに、流れるように扉を開ける。
「失礼しま――す……」
『疑似視覚』で取り入れた情報は、扉の正面、およそ二メートルの位置にデスク。上には何も無し。
部屋の左右に棚。何も入っていない。
デスクの奥にベッド。シーツにしわ無し。
以上。
面白味があるわけでもなく。
最低限の、それこそ与えられたものを並べただけの簡素を極めた部屋とも言えない広い箱。
士門の印象は、そんなものだった。
当然、その部屋にカイセルトはおらず、サヴァ―リの発言が無ければ果たしてここがカイセルトの使う一室なのか、そもそも人が使っている部屋なのかも分からないほどである。
そこに、士門は何か違和感を覚える。
合わないのだ。傲慢で上から目線なあの青年と。
あそこまで士門に対し、王族然とした態度を取るのだから、てっきり部屋はもっと豪奢で煌びやかで、目も眩むような高貴なものなのだと勝手に思っていた。
けれどどうしてか――そう、どうしてか。
目の前の光景は、士門の想像を裏切った。
そのことが士門に言い知れぬ不安感を与えるけれど、どうすればその不安感を除けるのか士門には全く分からなくて。
「ま、マリン様? 一体どうされたのですか?」
「…………」
一歩、踏み出す。
すると、胸の奥にじんわりと温かさが広がる。
これはマリンのものなのだろうか。まだマリンが生きていたころの思い出が、死して尚体を動かす士門に伝えられているのだろうか。
分からない。
けれど、もう一歩進んで、更に一歩進んで、後もう一歩進んで。
デスクに手の届く位置まで来て、手を伸ばして、触れた時。
「――――」
懐かしい気分になって。
何かが、思い出せそうに、なって――




