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第3話 赤毛のお嬢様とお友達になりたい!

 スコーンと紅茶のセットを銀盆にのせ、再び窓辺の席へと向かうと、彼女はまだ外を眺めていた。


「お待たせしました」


 振り返ったミシェル・マザーの瞳がぱちくりと瞬かれた。想像よりも早い提供だったのかもしれないわね。


 テーブルに一通りのカトラリーを並べ、温まったティーカップに色づいたお茶を注ぐ。

 バラの花を思わせるような柔らかい香りが広がる。すると、カップの中を見ていた彼女は目を細め、胸いっぱいに香りを吸い込んだ。

 本当に、ティベル産の紅茶か好きなのね。


 本音を言うと、私はこの紅茶が少し苦手だ。

 優しい花のような香りはバンクロフト商会でも人気の茶葉だし、商売人としては文句のつけようのない品だと思う。誰にでもオススメ出来るわ。


 でも、多幸感をもたらす豊かな香りは、私にわずかな寂しさをもたらすの。私の成長を楽しみにしながら死んだ母が、大好きだった香りだから。


 ティーポットをテーブルに置くと、ミシェル・マザーは小さく鼻を鳴らして白い指で目元を拭った。

 もしかしたら、彼女も同じように亡き母を思って胸が苦しくなっているのかもしれない。そう思いながら、私は頭を下げた。


「ごゆっくり、おくつろぎ下さい」


 挨拶を終えて背を向けると、突然「ありがとう!」と声がかけられた。

 まるで侯爵令嬢らしくない大きな声に一瞬驚いたが、私は彼女に微笑みを返して会釈をした。



 店の手伝いを終えて迎えた夜。私はパークスの部屋を訪れていた。

 ここはバンクロフト本店の裏にある従業員の居住区。私とパークスはそれぞれ部屋を借り、ここから学院に通っている。その代償として、店の手伝いをすることになったんだけど、商売に携われるから一石二鳥よね。


 学院内にも寄宿舎があるけれど、貴族に囲まれて毎日過ごすなんて息が詰まるし、夜はこうしてパークスと勉強をするのが息抜きにもなっている。


「パークス。私、決めたわ!」

「今度は何?」


 教本を広げていたパークスは首を傾げた。


「あの子とお友達になる」

「誰のこと?」

「ミシェル・マザーよ!」

「あぁ、赤毛のお嬢様か。教室で囲まれてた」

「そう! 絶対、お友達に……って、なんであの子の名前を知ってるのよ?」 

「ロンマロリー学院長の秘蔵っ子を知らない方が珍しいと思うよ」

「秘蔵っ子? あの子が?」

「え、知らなかったのかい? そのせいで、彼女、クラスでも浮いてるって感じだよ」

「顔と名前は全員覚えてるわよ。マザー家が隣国ジェラルディンでも名が知れた侯爵家だってことも知ってるわ。でも、まさか彼女がね……」


 私の記憶力は人並み以上だ。クラスメイトの名前と顔は全員一致している。それだけでなく、それぞれの家柄や力関係も把握済み。

 噂で同期に学院長の秘蔵っ子がいると聞いたこともあった。でも、それがまさか彼女だとは思っていなかった。


「彼女、今月の試験順位、下から数えた方が早かったわよ。あなたといい勝負じゃない」

「……そうだったね。いやぁ、うん。でも、彼女は学院長の屋敷に下宿してるって話も聞いたしな」

「てことは、寄宿舎暮らしじゃないってことね?」


 意外な情報に面食らった私は、気持ちを落ち着けようと、少し冷めたハーブティーを一気に飲み干した。


 寄宿舎暮らしでないなら、帰り道をご一緒しましょうとお誘いが出来る。ますます私にとって好条件ね。


「秘蔵っ子なのに勉強が出来ないってのは引っかかるけど……マザー家なら申し分ないわ!」

「なぁ、アリシア。君のやろうとしていることは、下心ありなアントニーと、大して変わらないと思うんだけど」

「違うわよ! 私はお友達になりたいだけ!」


 ため息をつくパークスに言い返し、私は席を立った。


「部屋に戻るのかい?」

「ちょっと用事を思い出したわ。勉強会はまた明日にしましょう」

「それは助かった」

「宿題、サボるんじゃないわよ」


 ぴしゃりと言って、パークスの部屋を出た私は、まだ残っているティールームの責任者アラナの部屋に向かった。

 


 翌日。

 一通りの授業を終え、私は窓側の席に視線を向けた。そこで帰る準備をしているのはミシェル・マザーだ。


 今日の彼女も、豊かな赤い髪を左右に分け、頭の少し高めの位置で二つに結んでいる。他の令嬢は毎日のように編み込んだり結い上げて飾り立てているのに、彼女の髪型は毎日同じだ。シンプルで少し子どもっぽさも感じるし、令嬢らしくないのがかえって親近感をいだかせるわね。

 席を立った彼女の肩を叩くと、振り返った大きな青いと視線が合った。


「ご機嫌よう。ミシェル・マザー様」

「……ご機嫌よう」


 首を傾げて瞬きを繰り返す彼女の綺麗な眉が、何の用かと問うように少しだけ寄せられた。


「ふふっ、驚かせてしまいましたね。私、アリシア・バンクロフトと申します」

「あの……どうして私の名前を知っているの?」

「同級の皆さんの顔と名前は、入学式の時に覚えました。気分を悪くさせてしまったのでしたら、謝りますね」


 つぶらな瞳が見開かれ、そのふっくらとした唇も少し開かれた。驚いているのは明白だ。


 今年の入学生は例年より少なく五十人ほど。そう簡単に名前を覚えられる数ではないだろう。教員だって全員をすぐに覚えているか怪しいものだ。それを全員覚えてるなんて聞いたら、誰だって驚くに決まってる。だからこそ、私を印象付けるにはもってこいの材料だ。

 彼女が驚いて、私をじっと見ているのが良い証拠だわ。


「えっと……私に何か用、ですか?」

「えぇ。これをお渡ししようと思って」


 にこりと笑って、私は鞄から小さな缶を取り出した。可愛らしい花の絵が描かれたそれは、手のひらに載る程度の小さいものだ。昨日、アラナに頼んで少しだけ分けてもらった茶葉が入っている。


「少しですが、ティベル産の茶葉です。ずいぶんと気に入って頂けたようでしたので。お近づきの印にと思いまして」

「でも……売り物でしょ?」


 さらに困惑の表情を浮かべ、貰えないと言うように彼女は頭を振った。

 やっぱり、彼女は私たち庶民と感覚が近そうだわ。

 彼女の可愛らしい反応は想定済みだし、こんなところで引き下がったりするもんですか。


「気に入って頂けたら、次は買ってくださいね」


 柔らかな白い手を引っ張り、私は彼女に缶を押し付けて握らせた。

 商魂たくましく商品の宣伝をしていると思われても良い。この小さな紅茶の缶一つで、私個人が貴族との繋がりを持てるなら、最高じゃない。


 缶を見つめたミシェル・マザーは「ありがとう」と言って微笑んだ。その笑みに一瞬、惚けそうになったけど、私は開きかけた唇の端を持ち上げた。


「というのは口実です。その……私と、お友達になってください」

「……私と友達に?」

「えぇ。きっと、私たち仲良くなれると思うの。だって……私のお母さんもティベル産の紅茶が大好きだったから……」


 大好きだった母。もうこの世にはいない母。その思い出の香りが同じだなんて運命的でしょ。

 それは言葉にしなくても、彼女に伝わったようだ。


 缶を握りしめたミシェル・マザーは一度大きく息を吸うと、唇をきゅっと引き結ぶ。ややあって小さな口から吐息がこぼれ、赤い唇が弧を描いた。


「……じゃぁ、勉強、教えてくれる?」


 砕けた口調で尋ねてきた彼女の顔に、ぱっと花開くような笑みが広がった。それがあまりにも可愛くて、私は二度、三度と瞬きを繰り返した。


「勉強?」

「うん。私、筆記が苦手なの」


 ちょっと照れた表情を見せた彼女は、すいっと視線を外した。


「実は昨日ね。学年成績一位のアリシア・バンクロフトさんを探しに、お店に行ったの」

「……私を探しに?」

「バンクロフト商会のことは知っていたから」


 これを運命的と言わず、何をそう言うのか。

 気恥ずかしそうに頬を染めるミシェル・マザーは、再び私を見た。


「ごめんなさい。あなたのことを探るような、はしたないことをして」

「それじゃ……美味しい紅茶を飲みながら勉強会をしましょう、ミシェル様」


 口実は何でもいい。少しでも彼女と仲を深め、信頼を勝ち取るのが今は大切だわ。


 それに、パークス並みの筆記試験の点数なのも問題だしね。そこで躓いて退学になんてなられたら、私の計画が台無しじゃない。ここは優しく勉強を教えて、仲良くなるのが得策ね。


 私の誘いを嬉しそうに頷いて受け入れたミシェル・マザーは手に持っていた缶を机に置いた。

 小さな手が私の手を握る。


「ミシェル……ミシェルでいい! 私も、アリシアって呼んでいい?」


 突然のことに驚いて、私は即座に返事が出来なかった。でも、その手を握り返して「よろしくね、ミシェル」と告げ、笑みを浮かべた。

次回、本日18時頃の更新となります


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