第2話 商人をバカにするご令息に興味はありません!
男子たちに出入り口を塞がれているのは、ふわふわの赤髪を二つに分けて結んだ髪型が印象的な、小柄で可愛い子だ。
彼女は困った様子で必死にその集団から逃げようとしている。だけど、すっかり囲まれて身動きが取れなくなっていた。
男子たちは日頃から素行の悪さが目立ち、評判も良くない面々だ。正直言って、下衆よ。
「学び舎を何だと思ってるのかしら」
「まぁ、一部のお貴族様たちにとっては、大切な出会いの場だろうからな。アリシアだって、そんな繋がりを持ちたくて、ここに来たんだろう?」
「そうね。目的は結婚相手探しじゃないけど」
「似たり寄ったりだろ?」
「パークス、やたら貴族の肩を持つのね。好きな子でも出来たのかしら?」
「そんなんじゃないって。あ、おい、アリシア!」
カチンと頭に来て、鞄を持った私は荒々しく席を立つ。そのままパークスを振り返らず、男子たちに近づいた。
「ちょっと、そこに集まられたら、通れないんだけど」
「あ? なんだ商売人の娘か」
「態度がなってないな。俺たちを誰だと思っているんだ」
「お前なんて、俺たちがいなければ飯も食えないだろうに!」
「何を言っているのかしら。貴族として国に尽くしているのは、あなた達のご両親でしょ? そんなことも分からない愚息に育ったと知ったら、ご両親もさぞ悲しむでしょうね」
「何だと? お前、もう一度言ってみろ!」
「田舎貴族が、ろくに学びもしないで婚約者探しだなんて、恥ずかしいわね。ご機嫌よう」
はっきり言って、この時の私は頭に血が上っていた。
素行の悪い男子たちにもだが、助けに入らないクラスメイトにも腹が立った。さらに、彼らが商人をバカにしたことでイライラはピークに達していたのだ。
だから、彼らの一人が怒り任せに私の肩を掴むまで、自分の発言がどれほど彼らの自尊心を傷つけたかなんて、考えもしなかった。
教室から悲鳴が上がり、私の視界に握りこぶしを振り上げる姿が飛び込んできた。
殴られる。──瞬間、体が強張る。悔しいけど、私の出来たことは目をきつく閉ざして身構えることだった。
しかし、いつまでたっても衝撃は訪れなかった。その代わりに、力の抜けたパークスの声が届いてきた。
「はいはい。手荒なことは、よしましょうね」
恐る恐る目を開けると、パークスの姿が視界に飛び込んできた。彼は振り上げられた少年の手首を片手で掴み、その背に赤いローブの少女を庇っている。
「放せ! 俺を誰だと思っている!」
「クラスメイトのハーシャル子爵令息アントニー様、でしたよね? 北の羊毛は質が良いですよね。特にレイ村の縫製技術は素晴らしい」
突然何を言い出すのかと問うように、子爵令息アントニーは顔をしかめた。しかし、パークスの言葉が止まる様子はない。
「その一帯を預かるハーシャル子爵は温厚な紳士として慕われていると聞きますが……女性に手を上げる紳士というのは、いかがなものでしょうね。あぁ、お父様はお忙しく、アンソニー様に紳士の振る舞いのなんたるかを、お教えする暇がないのでしょうか?」
パークスの流れる言葉に、教室中がしんと静まり返った。
言い返す言葉が思い浮かばないのだろう。アントニーは顔を真っ赤にすると掴まれていた手を振り解き、行くぞと言い放って背を向けた。
彼の取り巻きたちも揃って教室を出ていくと、パークスの口から盛大なため息が落ちた。
心底疲れたと言いたい顔が、私に向けられる。
「アリシア、もう少し言葉を選んでよ。俺は敵を増やすために、ここに来てるんじゃないよ」
「……分かってるわよ」
「えっと、君もね。嫌なことは嫌だって、はっきり伝えないと」
振り返ったパークスは、庇っていた少女に忠告すると、再びため息をついた。
「ありがとうございます。次からは気をつけます」
ぺこりと頭を下げた赤いローブの少女は、ご機嫌ようと言って立ち去った。
静まりかえっていた教室がざわめき出す。
商家の娘のくせに出しゃばって。そう誰かが言うのが聞こえ、痛い視線が私の横顔に突き刺さった。
見て見ぬふりをしていた人たちが何を言っているんだか。私に目立たれたくないなら、あんたたちがどうにかしなさいよ!
苛立ちが募り、一言二言、文句でも言ってやろうかと思ったその時、パークスが私を呼んだ。
「アリシア、帰ろう。今日は本店で手伝いがあるだろう?」
「そうだったわ」
はたと思い出した。
そうよ。人助けも出来ない根性なしの貴族を構っている暇なんて、私にはないんだったわ。時間を守れなかったら、お父様に何を言われるか。
背中に刺さる視線を感じながら、パークスを伴って急ぎ教室を後にした。
「なぁ、アリシア」
「何よ」
「もう少し、肩の力を抜いたらどうだい?」
「三年しかないのよ。そんな暇はないわ」
「そうかな……これじゃ、敵が増えるだけだと思うけど」
「パークスのくせに、お説教?」
「そうじゃなくてさ……急がば回れって言うだろ?」
ため息をつく彼の顔を見れば、私を心配しているって分かるわ。言いたいことも。だけど、私だってどうしたら良いか分からないの。
だって、彼らが私をよく思わないのも分かってしまうんだもの。
バンクロフト家はグレンウェルド国で一、二を争う大商会。正直言えば、田舎貴族よりも蓄えはあるし裕福な暮らしをしている。それだけじゃなくて、私は優秀なわけだから、煙たく思っても仕方ないわ。
私のことを、金の力で貴族に仲間入りしようとしてるって陰口を叩く愚か者もいるわ。スタートラインがマイナスみたいな状況よ。そんな中で貴族と繋がりを持つなら、歩み寄るべきは私なのも分かってる。
分かっているけど……根性の曲がったやつらに腰を低くするとか、生理的に無理なのよ。
困っている女の子一人助けられないだけじゃなくて、こそこそ陰口を叩くような、品性の欠片もない名ばかり貴族のボンボンたちよ。屈してなるものかって思うじゃない。
私は、あんな男たちになんて負けたくないのよ!
◇
店に着くとすぐに、今日はティールームが少し混んでいるから接客に入るよう、店長から指示が出された。
給仕服に着替え、長い三つ編みを丁寧に結びなおして店へ出ると、入り口に見覚えのある赤いローブ姿の少女を見た。帰り際の教室で絡まれていた子だ。
私の記憶が正しければ、彼女の名はミシェル・マザー──隣国の侯爵令嬢だわ。お供もつけないで来るなんて、変わったお嬢様ね。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
営業スマイルで声をかけると、驚いた顔をしたミシェル・マザーはそうですと答えた。さっきの今だと言うのに、彼女は私に気づいていない様子だ。
まぁ、店の制服に着替えているし、魔術学院の学生がティールームで働いてるなんて想像もしないわよね。
彼女を窓辺の席へと案内し、テーブルにメニューを広げた。
「本日のおススメは、シャーリー牛のバターをふんだんに使用したスコーンになります。当店自慢のクロスグリのジャムとバターを添えてご提供いたします。紅茶はティベル産の夏摘みが先日入荷となりましたので、ぜひご賞味ください」
「ティベル産!」
両手を合わせて歓喜の声を上げたミシェル・マザーは、その豊かな赤毛を揺らした。少年たちにおろおろしていた様子は見えなかった。夏空のように鮮やかな目を輝かせる表情は、少しの幼さと素朴さが感じられて、とても可愛らしい。
これは確かに、男の子受けする女の子だわ。
「紅茶、お好きですか?」
思わず口元を緩めて尋ねると、彼女は白い頬をぱっと赤く染めて頷いた。大きな声を出してしまったことを恥ずかしく思っているのかしら。
「お母様が生前、好んで飲んでいたお茶なの……あ、あの、ごめんなさい。あなたのおススメをください!」
少しだけ悲しみを含んだ声音に、彼女の胸の内を察した。
「かしこまりました。それではティベル産の夏積み紅茶とスコーンのセットをお持ちします」
「ありがとう」
楽しみだと言って手を合わせたミシェル・マザーは小さく安堵の息を吐く。窓の外へ向けられた彼女のつぶらな瞳が、外の日差しを浴びて煌めいた。その様子は、少しだけ哀愁を感じさせた。
丁寧に頭を下げてその場を後にした私は、急いで厨房に注文を伝えた。
次回、本日17時頃の更新となります
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