婚約はできません。私の初恋を探してください。
「えーっと? なんだっけ?」
「だから! 赤い髪の男の子よ!」
「あー……はいはい。それが初恋の男なのは知ってる。で? 俺との婚約を保留にした理由がそれだって?」
「そう!」
力強く頷いた私に、ランベルトは眉間にシワを寄せて、頭を抱えた。
「でもさー、そいつはさ、大昔に犬からお前を一度助けただけで? 俺はいつも助けてやってる。それでもその男がいいわけ? なんかこう、不公平とは思わんのか」
「んー。あんまり」
「ひでぇな、ホントにお前は。俺の求婚を無下にしやがって」
こんなやり取りだって、気兼ねなくできる。そんな関係が気に入っている。
ランベルトと私は、それぞれ王都から少し離れた伯爵家に生まれた。家格としては同等だ。
社交シーズンになると、伯爵領から出て王都のタウンハウスでしばらく生活をした。知り合ったのはその時だ。なんでも母親同士が友人らしく、彼の母親に連れられてランベルトが我が家のお茶会にやってきたのだ。それが八歳のとき。
お互いのタウンハウスも歩いて通えるほどの距離にあったから、なんたかんだそれからずっと一緒にいる。
私の両親は——特に母は、友人の息子を大歓迎し、結婚させたいらしい。ランベルトもその気になっているようで、冗談まじりだが婚約しようと言われていた。
その度に私は、笑って誤魔化した。
「はあ。シリィ、いつになったらその初恋は忘れてくれるんだ?」
「あら、忘れないわよ。大事な思い出だもの」
ランベルトのことは気に入っている。婚約も結婚も、別に構わない。
両親も喜ぶだろうし、ランベルトの親も優しいし、お互いの領地の場所もそう離れているわけでもない。良い結婚相手だと思う。
——ただ、忘れられないのだ。タウンハウスの庭に咲く薔薇と、同じ色の髪をした男の子を。
「だからって、俺に探させようなんて、いい根性してるよな、シルフィーナ」
いつもはシリィと愛称で呼ぶ。シルフィーナと呼ぶのは真面目な時——本気でイラッとした時だ。
「怒ってる?」
「いや、普通は怒るだろ、こんなの。求婚した女の初恋探しだぞ。馬鹿げてる、というか馬鹿にしてる」
「ごめん。でも……ランベルトは手伝ってくれるでしょ?」
「〜〜〜〜手伝わなきゃ終わんないだろ」
そうは言いながらも、私の初恋を終わらせるために動いてくれるのだ。ちゃんと、ランベルトと進むために。
「でもなあ、少し聞いてみたが、赤い髪の男で同年代、シリィの家のタウンハウスに招かれるような奴は二人ほどしか見当たらなかった。ま、もしかしたら貴族じゃないってことも考えられるが……」
「え! 仕事が早い! さすが王宮勤めしてるだけのことはあるわね」
「ったく、こんな時だけおだてやがる」
パチパチと叩いた手を、軽く払いのけられた。
社交シーズンだけ王都に滞在する私とは違い、ランベルトは王都に身を置いていた。結婚すればまた変わってくるだろうが、今のところ領地管理は父親である伯爵様自らが取り仕切っている。
ランベルトの顔が呆れたものから、少し困った顔になった。
「ただな、あんまり、シリィに紹介できる感じでもなくてだな。会えばがっかりするかもしれん。それでも会うか? まあ俺としてはこれっきり他の男に目移りしなくたっていいと思うが」
これには会うと即答した。
ランベルトは不服そうな顔をしていたけれど約束は守る男。
面会の場を設けてくれた——と言っても、彼らも参加するパーティーに連れて行ってもらっただけだが、ランベルトの言葉通り、紹介された男二人はなんとも微妙だった。
一人目は、私たちと同じく地方に領地を持つ伯爵令息。
騎士として王宮に仕えているという言葉通り、鍛え上げられた肉体に燃えるような真っ赤な短髪が目を引いた。
が、少々厳つい顔つきは、記憶にある少年とはかけ離れている。
いやいや訓練を積むうちに骨格が変わっていったのかもしれない。希望はある。
「いえ、私は昔からこのような顔立ちですね」
あ〜〜うん、そんな感じ。近くにいた古くからの知人という方も頷いていたから、間違いないだろう。
二人目は、子爵家の令息だった。
今ではあまり交流がないようだが、我が家とは領地も近く、呼ばれていたとしてもおかしくない。
見た目は優しそう……というか長身細身でイケメンで、モテそうな感じ。少し長い赤髪がふわふわと靡いている。先の伯爵令息と比べれば、初恋の少年に似ている部分は多い気がした。
「え? 犬? この僕がそんな野蛮なことするわけないじゃないか。仮にそんな場面に出くわしたなら、使用人を呼ぶね」
あ……うん、これは違うわ。断言できる。健気に犬を追い払ってくれたあの少年がこうはならないでしょ。
撃沈だ。
せっかく赴いたパーティーだったが、ものの見事に期待を裏切ってくれた。
「ほら、会わなくたってよかっただろ?」
「ええそうね。会わないほうがよかったわ。せめて最初に紹介してもらった伯爵家のご令息であれば納得できたのに」
パーティー用に着飾った姿も、すっかり無駄になってしまった。
楽しそうな笑い声も音楽もどこか別世界のようだった。
「いや良い事もあったぞ。俺とお前でパーティーに出席したことだ。シリィはこんなドレス、滅多に着ないだろ。よく似合ってる」
「そうね? そういえばランベルトの衣装もとても似合っているわ」
「おい、そう思ってたんなら、まず一番に俺を褒めろ。これでも結構気合い入れてきたんだぞ」
怒ったように装うランベルトは少し照れているようだった。
知ってる。見た瞬間に分かった、いつもの格好とは違うスーツ姿。華やかな場に相応しいように、銀ボタンや飾り刺繍が入れられている。
私だって、久しぶりのパーティーだ。隣に立つだろうランベルトに負けないくらいにはお洒落してきた。
似合っていると褒められて、嬉しくないはずがない。
「ふふ、ランベルトが格好良くてびっくりしたわ」
「シリィこそ、いつもと比べると随分と綺麗だな」
「もっと素直に褒めなさいよ」
「人のこと言える立場か?」
笑い合いながら、セットして固められたランベルトの髪を見る。
優しいピンク色の髪は、何度見てもやっぱりピンク色で。
あの助けてくれた少年ではないんだと思い知らされる。
それがとても残念で。だからこそ知っておきたかった、赤い髪の少年のことを。
「やっぱり、赤い髪の男の子なんて、いないのかしら。ランベルトも私の妄想だって、夢だったって思ってるんでしょ?」
私の幼い頃の記憶はとても曖昧だ。
五歳くらいのことだ。私は屋敷の階段から落ちたことがある。頭を強く打ちつけたことが原因で丸二日眠り続け、起きた時には記憶の一部が抜け落ちていたそうだ。
抜け落ちた記憶は数ヶ月間ほどだったらしい。その中で唯一覚えていたのが、自分を助けてくれた薔薇色の髪の男の子。
その時の私は、屋敷の庭の薔薇を指差しながら、懸命に語った。
自分より背の高い薔薇が立ち並ぶ中、棒切れ一本を握り締め、どこからか侵入してきた大きな犬に立ち向かう、自分と同じくらいの少年のことを。
しかし、そんな少年に見覚えはないと、聞いた全員が首を振った。
「さあな。いるかいないかなんてわからないが、シリィがいるって言ったんだから、まあいるんだろ、どっかに」
「頭の中に?」
「んー、ま、それでもいることには変わらんだろ」
ガリガリと頭を掻きながら、いつもと何も変わらない口調で言う。
それが不安を取り除いてくれる。私を肯定してくれるのはいつもランベルトだ。
口は悪いが優しくて、頼りになる、自慢の幼馴染。
だからこそ、早く赤い髪の男の子を見つけて——一抹の不安も取り除いてしまいたかった。
「でもここまで引っかからないなんて、何かあるのかも」
「何か?」
「うーん、思い違い、とか? お母様に聞いてみるわ。まだ覚えているかしら」
この判断がとても優秀だったと思うのは、母を捕まえて、当時の出来事をもう一度確認してすぐのことだった。
「あら。あなたが落ちた階段は、うちじゃないわよ」
「え?」
「話してなかったかしら? いえ、記憶が曖昧なのかもしれないわねえ」
呑気な母の袖を握りしめた。
幼子のような仕草に、あらあら、と母が零したが、それどころではない。
「待って、うちじゃなかったら、どこの屋敷だったの」
今、何か、重要なことがわかるような。
食い入るように詰め寄ると、母はこてりと首を傾げた。
「——ランベルト君のお屋敷よ。あ、タウンハウスの方のね」
ぱっと手を離すや否や、母が制止するのもの聞かず走り出した。
弾けるように外に飛び出すと、目の前に飛び込んできたのは、綺麗に咲く満開の薔薇の花。赤色の薔薇。
——だから、赤い髪だと思っていた。
はやる気持ちを抑えられないまま、近くのランベルトの家まで走った。
「ランベルト!」
屋敷の前にいたランベルトは驚いたように振り返った。
「シリィ? どうした、そんなに慌てて。何かあったか!?」
「っはあ、いえ、何も、ないけれど」
上がる息を整える間もなく、心配そうに駆け寄ってくれる。
ああ、見つからないはずだわ。
赤い髪の男の子なんて、いなかった。
彼の背後に見えるのは、咲き誇る薔薇の花々。ピンク色のそれは——ランベルトの髪と同じ色。
ランベルトに探すのを手伝ってもらって、ランベルトとの婚約を保留にして。
そうまでしたのに。
初恋の相手を知ったら、呆れるだろうか、それとも怒るだろうか。もしかして、笑って、くれるだろうか。
「私の初恋は、貴方だったみたいよ、ランベルト」
それを知った貴方は、どんな顔をするかしら。
大きく目を見開いて驚いている。少し落ち着いてから、私は自分の思い込みを語って聞かせた。
「薔薇と同じ色の髪だと思っていたの。私は自分の家の薔薇だと勘違いしてたみたい。赤じゃなくて、本当はピンク色だったのよ! 私はランベルトに犬から守ってもらってたのね! 覚えてない?」
「んんー? 犬から守ったこともあるとは思うなあ。けど、今さら、いつどこでだなんて覚えてねぇって」
……まあたしかに?
ランベルトにはたくさん助けてもらっているし、お世話にもなっている。
覚えていないのも仕方のないことかもしれないが。
もうちょっと、感動があってもいいじゃないのよ。
ランベルトとの温度差に少し気落ちしていたところ、彼は違うことを思っていたようだった。
「ほら、やっぱり居たろ。初恋の男」
夢でも妄想でもなかった、とランベルトは誇らしげに胸を張る。
「しかも俺だって? あほらし。完全に無駄な労力だったじゃんか。やっぱりいつも俺はお前を助けていたんだなあ」
呆れて、少し怒って、最後は吹き出した。
ランベルトは私の手を取り、その甲に口を寄せる。
見慣れたピンクの髪がくすぐったかった。
「じゃあ、シリィ。シルフィーナ、ずっと忘れられなかった男からの求婚だ。受けてくれるな? ——俺と、結婚してくれますか?」
真摯な瞳で見つめられ、釣られるように吹き出した。
そんなもの、当たり前だ。
「喜んで」
破顔したランベルトの顔は、ピンク色の薔薇に囲まれていて。
犬から守ってくれた少年とぴったりと重なって見えた。
私は今、一番ほっとした顔で笑っているだろう。
——ようやく言える。
「誰よりも一番、貴方が好きよ、ランベルト」
おしまい