6.信じていた
「悠然君、ちょっとお話聞きたいんだけど、いいかな?」
2時間目の国語の授業中。『よだかはなぜ星になったのか』というどう考えても俺には答えがわからない哲学的な問いに取り組んでいる最中だった。そんなもの小5にわかるかよ、と悪態をつきながら、短い文章をなんとかして繋げていたとき、顔に小ジワの多い女性が教室を訪ねてきた。彼女は臨時で学校に来るスクールカウンセラーだった。今朝のハトの血事件について聞きたいらしい。
彼女が教室で俺を呼んだとき、咲耶の言った絵具発言が聞き入れられなかったのかと落胆した。どう足掻いても、俺が実際にやっていなくても糾弾されるのか、と悔しかった。
「悠然君。本当のことを言ってね。別に先生たちは怒っているわけじゃないの。ただ君のお話が聞きたいだけなの」
「......」
はなから俺をハト殺しと決めつけている時点で、カウンセラーの金村さんを信用できなくなった。それは生徒に課題を押し付けて一緒についてきた担任の中谷先生も同じことで、金村さんの横でやさしそうに微笑んでいるが、まったく信頼関係を築けるとも思えない。もちろん今まであったものは全て崩れてしまった。それに彼女の笑みには多少の困惑が見て取れる。『~そう』という印象は基本役に立たないものだ。昔、祖母が言っていた。
「俺は何もしてないです」
そもそもなぜ俺がこんなことを言われなければならないのか、さっぱりわからない。普段の行いはいいほうだし、むしろ褒められることのほうが多い。礼儀正しく、成績面にも気をつかい、教員とだって上手くやれている。そんな俺がなぜ。
あの惨状を用意した張本人が誰だか知らないが、迷惑極まりない。俺はイライラしながら目の前の2人の話を聞いた。
「あのね悠然君。誰だってストレスがあるの。みんなそれをうまく発散してるわ」
「そうよ。私だったら家の猫に癒されているわ。金村さんは?」
「私はお料理かな。お料理教室に通っていてね、自分で作れるものが増えていくのはとても面白いわ」
いかに自分たちの生活がキラキラと輝いているかについて2人で盛り上がっているが、そんな話は心底どうでもよかった。2人は俺がストレスでハトを殺したのだと勘違いしているようだが、俺は絶対そんなことしていない。俺の良心に誓ってもいい。
「あれ、絵具じゃなかったんですか?」
ここまで彼女らが、仮にも教師とカウンセラーが、俺を犯人扱いするのだから、あれは絵具ではなく、本物の血液だったのだろう。それはすぐに察しがついた。しかし、俺が犯人だと断定されるのは気に食わない。あの場にあったただの紙に俺が犯人だと書かれていただけで、その決め手となる証拠は一切ないのだから。
「......学校近くの路地でね、ハトの死体が8羽も見つかったの」
「は?」
この小学校の近くには池がある。パンくずばあさんと呼ばれる女性が餌をやるものだから、年々集まるハトの数が増えているのだ。そこから路地に8羽が連れてこられて、いたぶられて殺された。あたりの壁は血が飛んで、羽が散乱しており、発見した近所の人はその場で悲鳴を上げたという。閑静なこの地域でそんな残忍なことはめったに起こらないから、町の人々はさぞ怖かったことだろう。
「実はね、誰かは明かせないけど、悠然君がハトを殺しているのを見たって子がいてね」
「じゃあそいつが犯人ですよ」
戸惑う2人をおいて、俺はその場を後にした。これ以上話すことは何もない。やってもいないことをやっていたと虚偽の報告ができるのは犯人だけだ。
誰かが俺を陥れようとしているに違いなかった。
***
呼び出しから、少しずつ、みんながよそよそしくなっていった。俺が異端であると、レッテルを貼って、怯えた目で見てくるやつもいた。チラチラこちらに視線を寄越すくせに、振り向いてやれば顔を背ける。俺が別な方向を向くとまたこちらを見てくる。その繰り返しだった。散々陰口も言われた。休み時間に一緒にドッジボールをする仲だった友達も、クラスの女子も、みんなが俺を遠巻きにした。
「なあ、今日の体育、何するか聞い、」
肩にかけた手をパシリとはらわれる。唖然とした。クラスメイトは気まずそうに、しかし明確な拒絶をもって俺に言った。
「悠然。悪いけど、もうおまえとは一緒にいたくない」
俺の手はハトを殺した手。俺の目はハト殺しを悦んだ目。俺の心はハトをいたぶった。ソウイウ妄想が俺という人間なんだと。気持ち悪いのだと言った。頭の中が真っ白になった。
『信じる』って何なんだろうか。俺は『信じた』はずなのに。どうしてみんな、俺をそんな目で見るんだ。俺は何もしていない。絶対に。