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3.あの子


人によっては不快と思われる表現があります。

ご注意ください。

危ないと感じたら回れ右をおすすめいたします。



 小学校3年生の時、あの子と初めて同じクラスになった。

名前は大山おおやま咲耶さくや。第一印象は影の薄い子。どこかぼんやりしていて危なっかしかった。



 勉強もできなければ運動もできない。絵や音楽が得意なわけでもない。ひどい言い方だが、ありきたりで、取柄らしい取柄がなかった。どこまでも地味で平凡。


 あの子はよく泣く子だった。

忘れ物をして泣く。転んで泣く。怒られて泣く。鳥や虫が怖くて泣く。何かなくても突然泣き出す。泣き始めると泣き止むまで長かった。担任は授業を中断してその子につきっきりになる。ストレスが溜まったことだろう。クラスメイトはしだいにあの子を疎ましく思うようになった。


 しかし疎ましいからとその子を除け者にすることはなかった。


『誰かが面倒をみればいい』

『自分じゃない誰かが』


そう結論づくのは早かった。そしてその役目が俺に回ってくるのも早かった。


「悠然君は落ち着いているし、安心してまかせられるわ」

「頼りにしてるからな」

「よかったよかった」



何が?


 何がいいんだ、この状況の何が? どこに安心できる要素がある?



 結局は、彼らにとってメンドウなものを押し付けられただけだった。


 俺は、彼らの残飯処理係にすぎなかった。



***


「咲耶、どこー?」


 咲耶は泣き出すとたまに教室から走って出ていく子だった。行先は決まっておらず、体育館の下のピロティだったり、中庭の池のそばだったり。校庭の木に登ろうとして落っこちたところを発見したこともあった。


今回はブランコに腰かけていた。


「咲耶、教室戻ろ?」

「......うーう」

「みんな心配してるって」

「うーう」

「いつも泣いてばかりだったら強くなれないよ?」

「うーう」


 たいてい返事は『うーう』だった。うまくしゃべれないのかと思っていたが、参観日に来た母親とは饒舌に話していたから違うようだ。


(きっと言いたいことや不満に思っていることがあって、でもそれを口に出せずにいるんだ)


 俺は咲耶を急かすことなく、自分から教室に帰ろうとするまでを待ちつづけた。午後ならいいものの、午前中にこれがあるとしんどかった。給食に間に合わず、保健室で食べることになってしまうし、掃除には遅れるし。授業もほとんど出ていないような状態だった。


 はじめは嬉しかった。しっかりしてるね、偉いねと言われるたびに誇らしくなった。でも子どもは聡いもので、大人たちの考えていることが分かるようになった。


俺は体よく押し付けられたのだと。


 でも俺はめげなかった。咲耶を何度も探しに行って、何度もかばってきた。あいつらを見返すために。咲耶自身を強くするために。



 小学5年に上がって、咲耶は少し変わった。


「悠然、君。か、髪、切った、んだ。ど、どう、かな?」

「いいじゃん。涼しくなったんじゃない?」


 恥ずかしそうに見せてきた髪型は、今までのあごまで伸びていた髪に代わって、ずいぶんスッキリしていた。どこぞの雑誌で見かけるようなおしゃれなものではないが、小学生らしい清潔感があって、俺は素直な感想を伝えた。


「悠然君、あ、あのね、僕、公園でバスケのドリブルの練習してね。一番長くて5メートルくらい、続けられたんだよ」

「すげーじゃん。頑張ってたもんな」


 苦手なスポーツを克服しようと、今、体育の授業でしているバスケの自主練習を毎日していた。コツをつかめず、苦労して、何度も諦めそうになった。放課後につきあって、日が沈む前に引っ張って帰る。それが最近の俺の日課になっていた。咲耶が成功したその日は、俺は塾があるため断ったのだが、見ておけばよかったと後悔する。咲耶が体育の授業で活躍すると、クラスメイトにひどく驚かれた。


「悠然! 見てコレ! 俺初めて83点取った!」

「やったな、咲耶ー! スゲェー!」


 わからないと頭をひねって勉強したテスト。特にできなかったのが算数と理科で、もう数字なんて見たくもないと泣いていたのに。本当によく頑張ったと思う。小学校のテストで80点は低いと思われるかもしれないが、今まで一桁しか取ったことのない咲耶が8割も取ったのだ。もろ手を挙げて喜んだ。クラスメイトも一緒になってすごいすごいとはしゃいだ。



 ここまででお気づきになっただろうか。咲耶の口調が変わっていることに。どもっていた会話がかなりスムーズに。一人称が『僕』から『俺』に。自信がついたようだ。


 そこからの咲耶は人並みレベルを維持するようになった。泣き出すことも減り、クラスメイトとも仲良く遊ぶようになっていた。俺はなんだか満足していた。巣立っていく子を見守る親のような、そんな気持ちだった。



 ある日、学校に行くと昇降口に人だかりができていた。右側から3列目、ちょうど俺の靴箱のある場所だった。


「何かあった?」


近くにいたクラスメイトに声をかけると、その場の全員が一斉に俺を振り返った。



  ひそひそ ひそひそ ひそひそ



モーゼのように人垣が割れ、俺を見ては口元を隠してささやきあう。


 いつものようにおはようの挨拶を返してくれると思っていたから、拍子抜けだった。

彼らの一人が一点を指さす。その先には、八つ切り画用紙に書かれた文面と、床に広がる真っ赤な液体があった。



『サクラバが殺したハトの血』



「は?」


 子供らしい拙い文字で書かれた身に覚えのないもの。理解するのに時間がかかった。


 人間に慣れて、最近では近づいてもなかなか飛び上がらなくなったハト。服に糞を落とされたときは本気でぶち殺そうかと思った。絶対そんなことしないけど。

 何を言いたいかというと、俺はやってないってこと。断じてやってない。


 『やったんだろ?』と言いたげな彼らの目が、俺に注がれている。その中には咲耶もいた。不安そうにこちらを見ていた。


(違う。俺じゃない。動物にこんなひどいことするかよ)


 5年の昇降口は4,6年と隣だったから、騒ぎを聞きつけた彼らも集まってきた。問題の中心と思われる俺と床の惨状を見て憶測が飛び交う。聞こえてくる言葉は俺を罵倒し、揶揄うものばかりで、心配の声など一つもなかった。


 ぐるぐるぐるぐる。みんなの視線と口が目の前で回っている。どこを向いても俺を嗤う声。



ぐるぐるぐるぐる

  ぐるぐるぐるぐる

    ぐるぐるぐるぐる




「待って!」


 ささやく声の波がいよいよ大きくなろうかというとき、一人の別な声が響いた。咲耶だった。


「悠然がこんなことするわけないよ。それによく見てよ、この血の量。明らかに多いでしょ。絵具なんじゃない?」



 結局真偽ははっきりしなかったが、咲耶の言葉にみんな納得したらしい。口々にごめんなと謝って教室に上がっていった。若干名、俺を疑うような目をしていたが。俺はホッとして、力が抜け、その場に座り込んでしまった。



 このとき、俺は、咲耶にものすごく感謝した。ありがとうと何度言っても足りないと、本気で思っていた。






@「おまえのとこにも似たようなやついたよな?」

*「いないよ」

@「あー、似たようなやつっていうと語弊があるか。めんどいやつだよ」

*「いたね」

@「頑張ったな」

*「俺がもっとうまく立ち回れたらよかったんだけどね。できなかった」

@「おまえが気にすることじゃねぇよ」

*「そうだね。ありがと」

@「......桜庭に話しかけてみようかな」

*「行ってきたら?」

@「おまえもだよ」

*「俺は特に用事ないからな。機会があればね」

@「? ああ、そろそろ小倉と、か」

*「そうだね。もう少ししたら俺の出番かな」

@「俺のはだいぶ後になりそー。つら」

*「どんとまいんど」

@「おまえってときどきそーいうの、ぶっこんでくるよな」

*「いーじゃなーい」

@「いいけどさ」



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