55:どうしてなんだ
朝日に照らされたエキドナの甲板。
鋼の巨体に空の冷たい風が吹き付ける中、俺は厚手のジャージを着込んでジョギングを。
バトルモードのブリードでも走れてしまえるこの甲板は、生身の俺にとってはマラソンコース同然ではある。が、大は小を兼ねると言うし、作業の邪魔にならない時間とコースとでいくらでも調整のしようはある。
そうして寒風が叩きつけてくる中を走っていれば、リズミカルな蹄の響きが後ろから。
程なく俺の隣に金の髪を靡かせ、淡い栗毛の馬体を下半身とした女性が並んでくる。
「リードくん。病み上がりそうそうにあまり無茶をしてはよくないぞ?」
足を緩めて気づかいの声をかけてくれるのは地上戦の相方であるクリスエスポワールだ。
彼女の体は湯気の立つほどに暖まっていて、この空の風ですら、程よいクーリングにしかなってないのだろうな。
「気づかってくれてありがとう。だけどさ、体調には異常感じて無いし、休んでばっかじゃ鈍っちゃうだろ?」
クリスの優しさに感謝を返して、その上で無茶はしてないんだって返す。けれどもクリスは余計に凛々しい眉を下げてしまう。
「だがあんな……敵の本拠地に飛ばされた上に、帰って来たところに気を失うような仕打ちをされていて……それからようやく目を覚ましたばかりだと言うのに……」
まるで自分がされてきたかのように苦しげなクリス。彼女の事だからきっと、自分が同行して、仲間のキツい思いを引き受けられなかった事が悔しいのだろうな。
ユーレカの仲間の誰が俺と同じ目にあったとしても、クリスはそれを我が事のように思うのは間違いない。
とはいえ、俺としてもあんな目に合うのは俺だけだった方がいいと思うのだけれども。
体の、そして頭の中までもを探られるあの感覚。そしてブリードに対する疑いから見てしまった悪夢。
ブリードに乗っ取られているかもしれない俺にしか起こり得ない事だけども、あんな気持ち悪いもの、見ない方がいいに決まっている。
聞いた話によれば、結局あの後俺は車の中に吐き出されるみたいに分離して、目を覚まさない間にルーナと同じ生体スキャンをされて異常なし。そこへ駆けつけたユーレカ基地のメンバーに確保されて、エキドナにマシンごとに運搬。昨夜に目を覚ましたって事らしい。
ルーナ曰く、アタシらはバイタルチェックのメカにかけられただけで、ブリードとイクスビークルの解析にかかりきり。監禁状態のがしんどかったって話だったから、ホントに生身の方には何にも無いんだと思う。そのはずだ。
だからすぐにでも迫った戦線復帰で足を引っ張らないために、軽くからでも訓練を始めているだけなんだが。クリスからすると無理をしてるように見えるのだろうな。
「いやだからホントになんとも無いんだって! むしろ寝過ぎでだるい感じだったから動いててちょうど良くなってきた感じだし!」
「本人が言うのだからそうなのだろうが……」
「そりゃあそうでしょうがー……なんてね。ほら、目を覚ましてからルーナにも顔合わせたけどさ、あっちも監禁状態からの解放感で釣竿振り回してたし」
無理してる奴に決まって平気だへっちゃらだって言うもんな。俺自身の元気アピールにも空元気を見通そうとするような目を向けられてしまう。けれどもルーナの有り余った解放感を引き合いに出したらば、呆れたような諦めたような苦笑を浮かべて空の彼方を見るのだ。
そしてそこから咳ばらいを一つ。改めて並走する俺に顔を向ける。
「……まあ、ともかく……無事の帰還が何よりだよ。リードくんも、ルーナも。帰って来ると信じてはいたが、行方知れずになったと聞いた時から、顔を見るまでは気が気で無かったんだぞ?」
「そりゃあ悪かったよ。でもさ、同じ状況になったらクリスだって生き残りのために博打に出るだろ?」
「だからこそ無茶をしてくれるなとは言えないんじゃないか。ちゃんと生きて帰って来ているワケだしな。ただ、次に無茶をする時には私が付き合いたいモノだが」
「ええ? 今回のでも結構分が悪い賭けだったんだぜ?」
「だからこそさ。リードくんも一人じゃ無い方が諦めもつかなくなるだろう?」
完全に見切られてる。
確かに今回、ルーナだけでも帰さなきゃって粘れたもんなぁ。俺一人で飛ばされてたなら、俺だけだし仕方ないやってなってただろうし。だとしても諦めた俺の代わりにブリードが動いて……ってなるんだろうが。
「……でも今回、ホントにラッキーだったってところはあるぜ? 敵の本拠地だったってのに、最後の最後まで襲われなかったし」
「ああ、報告は聞いてるし、シーイクスに残ってた映像も見たよ。逆にいつまでも襲撃に構えなくちゃでキツいってぼやきも何度も入っていたね」
「いやアレはホントにメンタルに来るって。あり得ないでしょあのもぬけの殻っぷりは」
「まったくだ。あれでは完全に放棄されていたも同然じゃないか。リードくんたちの侵入が偶発的に起こったものだとはいえ、アレでは何のためにあんな状態になっていたのか……」
レッドプールの作ったゲートを潜って行ったのだから中継点なりにしていたのは間違いない。それでゲートをコントロールする機構も半ば放置状態とはいえ残しておいて。だがその守りはほぼゼロ。首魁も外装だけの状態とはいえ放棄するように残して。
何をするにも半端なやり方で、クリスから見ても戦略・戦術的な意味が見いだせないようだ。
「しかし、惑星デモドリフトだったか? その放置度合いの目的はともかく、最悪の状況は見えるな」
「ああ。長官たちも言ってたよな。この世界に本拠地を移してる可能性があるって」
惑星デモドリフトの偵察結果を見た上層部の出した最悪も最悪な予測がそれだ。
すでに本拠地をこちらに構えていて、惑星デモドリフトは用済みである。そうであるならば、半端な放置度合いはともかく、放棄されたような状態に説明はつくのだ。
少なくともこっちの世界にある拠点が本拠でなく前線基地程度だとしても、また別の世界か星にか、新しいデモドリフトの本拠地があるのは間違いないだろう。それが俺たちの偵察結果を見た者たちの見解だ。
「仮にこちらに本拠地があるというのなら、それはそれでチャンスではあるのだがね。総力をもって敵大将を討ち取ればいいだけなのだから!」
「前向きに考えればそりゃあそうなんだろうけどさ、そう言えるかぁ……」
「何を言うんだ。敵の幹部一人を討ったのはリードくんと私だぞ? どれだけの力があろうと、討ち取れない敵では無い!」
勝てる可能性がある。それを証明したのは自分たちだろう。
そう言うクリスの目に、俺はうなずき返すだけしか出来なかった。
クリスたちと共に戦っているという俺。その意思がどこにあるのか、俺には今一つ分からなくなってしまったからだ。
死にかけの俺を救い、同胞の侵略行為に反旗を翻したこちらの世界の味方。そして侵略者共々に、遺物をこの世界に残した者。それが門武守機甲からの人物像で、それは間違いないはずだ。
だけれど、その救われた人間であるはずの俺はどこにいるんだ?
ブリードを疑いたくは無い。無いが、一度芽生えた疑念はこびりついて離れないんだ。
「リードくん?」
「ああ、いやごめん何でも……」
と言いかけたところで、被せる様に警報が鳴り響く。
空陸の混成部隊がエキドナの左斜め前から来ているのだと。
それを聞くよりも早く、クリスは俺を第二の背に乗せ、蹄を響かせて格納庫へ。
するともうブリードが航空機格納庫へ競り上がって来ているところだった。
「地上で待っているよ!」
「あ、ああ……」
転がるようにクリスの背を降りた俺は、走り去る彼女にどうにか了解の返事を。
とにかく今は敵を倒すのだと、俺はブリードに手を触れる。
しかし何も起こらない。
触れあっている俺とブリードの体が重ならない。一体化が起こらないんだ。




