2:悪夢からの始まり
俺の背を叩く音がする。
重たく、けれど素早いその音に追われて、俺はもつれる足を前へ、前へ。
でもそんな俺の鼻先を、ズドンと落ちてきた壁が塞いでくる。
これに俺はたまらず尻餅をつく。
それで弾みで見上げたなら、そこには錆び割れた外身から中身の見えた機械が。
さっきから追い立ててきてたこのデカイ機械は、立ち上がろうとする俺に筒状のものを向けてくる。
「うわッ!? あぁあああああッ!?」
反射的に腕を突き出したら、そのデカイ機械はぐしゃぐしゃに潰れて飛んでいく。
けれど俺が突き出したはずの手は俺のじゃ無かった。
角張った金属の五本指。青くて分厚い籠手で覆ったような前腕。そして両肩もまた、赤いXマークの入った白くて大きく外に広がった鉄の塊だ。
いや腕どころか、胴も、足も、全部が箱型の金属を組み合わせたようになってる。
まさか……まさか、だよな?
そんな思いでおそるおそるに顔をメタルの指でなぞったら、イヤに滑らかな、だけれど金属の頬がヒクついていて――
「なッ!? なんだって、なにがこんなッ!?」
俺、いつの間に人じゃなく!?
なにがどうして俺を変えたんだ。誰か分かるように教えてくれよ!?
そう当たり散らして叫ぶ俺を、爆発が殴りつけてくる。
「ぐあッ!? う、おお……」
金属の体の軋む痛みと混乱に呻きながら顔を上げたら、そこには四つの角張った人影が。
サイズの様々なカチカチの人型は、光る目で俺を見下ろしてくる。
異様にギラギラと輝き瞬くその目は、まるで仇を睨みつけるかのようで。
向けられる覚えのない憎しみは、鋭く冷たいものを突き付けられているようで、それがまた俺の心をかき乱す。
恐ろしい。
どれだけの痛みをいつまで与えられるのか分からない。
それがただとにかく恐ろしいんだ。
その恐れのまま鉄の体を引きずり後ずさった俺は、ある一点から目が離せなくなる。
それは角張った人影の一つが突き出した腕の先。握り拳からはみ出した三人の顔だ。
壮年の犬男。猿女。そして若い犬男。よく見慣れたその顔を俺が間違えるはずがない。
「……は、放してくれ、その人たちは……!」
だけれどそんな俺の願いもむなしく、三人を掴んだ鋼の手は容赦なく握りしめられてしまう。
※ ※ ※
「うあッ!? はぁッ!?」
気づけば粗く息を吐きながら俺は体を起こしていた。
じっとりと肌に張りついたシャツの感触が気持ち悪い。喉もカラカラで肩を動かして息する度に痛みがある。これ、汗で水分を持ってかれたからか?
「……それにしても、ここ、どこだ?」
目に入るのは俺が寝かされてるベッドと、それを取り囲む厚手の白いカーテンだ。
消毒薬のような匂いもあって、多分病室なんだろう。ただ花なのか果物なのか、滴るように青々しい香りも混じっているが。見舞いのものなんだろうか?
そう思いながら痛む喉に手をやって、俺はギョッとなった。
指先と首の肌から感じたのが、いつもの柔らかさと熱くも冷たくもない人肌の温度だったからだ。
手も改めて見てみたら、角張った金属のじゃなく、元々の黄色っぽい肌のそれだ。
ああそうか。アレは夢だったんだ。
「あら。目が覚めたのね。良かったわ」
そんなおっとりとした声がかけられるのと一緒にカーテンが引かれる。
そうして仕切りの中に入って来たのは、白衣を羽織った女性だ。
緑の葉の飾りを着けた朱赤色の髪は長くたっぷりと広がって背中に流れていて、柔らかく下がったたれ目と上がった口角の曲線からは何だか安心感が出る。初対面のはずなのに、子どもの頃から世話になっていた相手に会ったような。
ただ、白衣の下にもあるたっぷりしたモノには緊張してしまう。近づかれて果物みたいな匂いもグンと濃く、重くなったし。
「コホッ……あの、ここは?」
「ああ、無理に喋らないで。大丈夫、ここはユーレカの門武守機甲基地。その医務室よ。私は医師のキッカ・パーシモンよ」
俺が咳き込みながら質問するのに、パーシモン先生は宥めるように答えてくれる。加えて喉を湿らせるようにと水の入ったコップも添えて。
女医さんの気づかいを俺は頭を下げて受け取ると、まずコップの中身を一口含む。
すると口の中にはほんのりとフルーティーな香りと甘味が。どうやら果汁を一滴し混ぜてくれていたらしい。そうか、さっきから香っていた果物の匂いはこれか。
パーシモン先生の心配りに感謝しながら、俺は口の中で果実水を転がして少しずつ飲み下していく。さらりとした甘味を帯びた水分は、カラカラになっていた喉に優しく染み込んで滑らかにしていってくれる。
でもそうか、門武守機甲の。
空間の歪みからやってくるロボット兵器。それに反応して暴走する超文明の遺物たち。
それらに対処し、その為に遺跡遺物を調査研究している機関だ。
言ってみればスーパーヒーローの防衛組織ってところだろうか。
まさか俺なんかが保護された形でもその施設の中に入る事があるだなんてな。
とにかく水分補給して一心地ついている間に、女医さんは俺の背中に入っていたタオルを抜き取って、笑顔で首や顔の汗を拭き取ってくれている。
その笑顔は深くなっただけで、変わらず柔らかいままなんだ。なんだ……けれど、俺の口や喉を見る目が妙に熱っぽいような気がするんだけれど? 気持ち呼吸も小刻み、と言うか荒っぽい気もするし?
「……コホン。ごめんなさいね。味わって飲んでくれたものだから、つい……じゅるり」
俺の視線に気づいたのか、パーシモン先生はヨダレの溢れた口元を慌てて隠して背筋を伸ばす。
「あ、いえ……美味しかったですから。ありがとうございます」
「美味しかった!? なら、おかわりはどうかしら? 今ならいくらでも出せそうだけれど?」
「い、いえ、まだありますし。まずゆっくり一杯いただきますから」
「そう……」
まだ大丈夫。たったこの一言で、前のめりにおかわり出そうとしてたのが急に萎れたみたいになってしまった。
いやちょっと待って。今ならいくらでも出せそうって、この果実水ってまさか?
……止そう。藪をつついて出すことなんてない。先生の葉っぱみたいなアクセサリーもなんか生っぽい気もするけれども。ここは踏み込まない。踏み込まないのが、吉!
「ごめんなさいね。私、果樹の樹人系だから、味わってもらえるのが嬉しくて嬉しくて」
「そ、そうですか」
あえて避けてたのにこれだよ。自分から答え合わせしてくるんだもんなあ。
おっとり系の美人さんだけどさぁ。
もう貰った手前、いまさらお断りもできないし。毒でもないし、美味しいことは間違いないしで、先生の「何か」入りの水でチビチビと口を湿らせ続ける。
そんな俺を見て、パーシモン先生はまたうっとりと赤い顔して豊かな腰を揺するんだもんなぁ。
「……コホン。話がそれてしまったわね。目覚めてからどうかしら、異常は感じない? 自分の事で分からなくなってる事はない?」
「それは、まあ……なんでここに運び込まれてるのかはさっぱりですけど。名前はリード。父親はキース、母の名前はシファ、上に兄のエルクがいて、自分は次男。住所はユーレカシティの……」
唐突に問診が始まったので、俺も切り替えて分かってる事を並べてく。
最後の記憶。その当日の事も覚えている限り、正直に。
「……そう、ご家族との旅行の途中で……」
「はい。それで父と母、兄は? まだ隣で寝てるんですか?」
家族が同じように保護されている事を期待して尋ねる。が、パーシモン先生は辛そうに顔を伏せてしまう。
「う、嘘、ですよね? 俺が五体無事に寝かされてたっていうのに、なんでみんなが……」
「その先は私も加わって情報交換とさせて貰おう」
信じられなくて腰を浮かしかけた俺の言葉を遮って、医務室のドアが空気の抜ける音と共に横へ。
合わせてキリリとした声で入って来たのは、灰の毛色に青い目。大ぶりな狼の耳と尾を持つ凛々しい制服美女だった。