僕とは違う世界を生きる人
朝の時間。
同級生達が次々と教室に入る中、僕は本を読む振りをして、今日も独りだった。
……勝負は、放課後。
現在、教室に東雲さんの姿は無い。
だから僕は少しだけ油断していた。
「おはよっ」
耳元で囁くような声がした。
「今日も放課後、よろしくね」
息を止めて顔を向ける。
東雲さんと目が合った。
彼女は明るい笑みを浮かべると、バイバイと手を振って自分の席に戻った。
「シノ、何話してたの?」
「昨日は案内ありがとねって。それだけ」
それから彼女は普段通り話を始めた。
その声を聞きながら、僕は視線を本に戻す。
……あんな不意打ち、ありなのか?
心臓がドキドキしている。
驚きと混乱で頭が真っ白になりそうだ。
……落ち着け。
一言、質問をするだけ。
昨夜の配信みたいに声を出すだけ。
……大丈夫。
きっと彼女は悪い人ではない。
勝手なイメージだけど、良くも悪くも正直で真っ直ぐな人だ。
……大丈夫。
何度も自分に言い聞かせる。
リリにあれだけ背中を押されたのだ。
僕は兄として、最低限の意地を見せたい。
……頑張ろう。
* * *
長いようで短い授業が終わった。
放課後、僕は昨日の空き教室へ向かう。
東雲さんには声をかけなかった。友達と話をしていたからだ。このため、僕が先に到着するはずだ。
到着。ドアを開ける。
これから彼女が来るまで──
「おっそーい」
「東雲さん!? なんで」
空き教室には、既に彼女が居た。
ドアの隣、廊下からは注意しなければ見えない場所に座っていた彼女は、僕を見て立ち上がる。
「走った!」
「……なる、ほど」
色々な情報を省略した端的な言葉。
ただ、僕よりも後に教室を出たはずの彼女が先に居た理由は分かった。
……いや、そんなことよりも!
「あの!」
「ん?」
彼女はグッと顔を近付ける。
思わず後退ると、彼女はケラケラ笑った。
「今の動きヤバ。面白すぎでしょ」
「……いや、今のは、その」
「あっ、ごめん。何か言いかけてたよね」
彼女は軽く咳払いをすると、急に真剣な顔をして僕を見た。
「いいよ。言ってみ」
……それは、ちょっと、卑怯なのでは?
僕は唇を嚙む。
聞いてくれるのは有難い。でも急にこんな真剣な目で見られたら、逆に無理だ。
……何を言えばいいんだっけ。
頭がふわふわしている。
用意したはずの言葉が出て来ない。
……落ち着け。
俯いて呼吸を整える。
その間、彼女は何も言わない。
……良い人だ。ちゃんと待ってくれてる。
だから大丈夫。
自分に言い聞かせて、彼女の目を見る。
「……」
やばい、なんだこれ。全然声が出ない。
人の目を見て話すのって、こんなに難しかったっけ?
「風早くん」
名前を呼ばれ、思わず息を止めた。
彼女は相変わらず楽しそうな表情をして、両手の人差し指を自分の頬に当てて言う。
「あたしの名前、なーんだ」
「……東雲さん」
「苗字じゃなくて」
「……心音?」
質問の意図が分からない。
とりあえず答えると、彼女は目を細めた。
「お? 呼び捨てか?」
「ああいえっ、すみませんっ、つい!」
咄嗟に謝ると、彼女は声を上げて笑った。
「風早くん」
そしてまた名前を呼ばれた。
僕はまたドキリとして再び息を止める。
次の発言や行動がまるで読めない。
やはり僕とは違う世界を生きる人だと痛感する。
「もしかして、人と話すの、苦手?」
単刀直入な質問だった。
返事はイエスだ。一言で足りる。でも──
……なんで、何も言えないんだ。
重たい沈黙が続いた。
彼女はそれを肯定と捉えたようで、どこかバツの悪そうな様子を見せた。
「そっか。ごめんね。迷惑だったね」
謝らせてしまった。
途端に自分が惨めになった。
……リリ、ごめん。
やっぱり無理かもしれない。
何も聞けずに終わるかもしれない。
「でもごめん。あたし、君の声が好き」
今日二度目の不意打ち。
それは僕にとって、雷に打たれるくらい衝撃的な言葉だった。
「だから今日も、スパチャ、いいかな?」
不思議で仕方がない。
どうしてあんなに堂々と話せるのだろう。
「……あの」
「ん?」
その声は、ほとんど無意識だった。
強烈な疑問、そして知りたいという欲求に支配された僕は、直前までの迷いが嘘だったかのように、あっさりと彼女に問いかけた。
「どうやったら、そんな風になれますか?」






