東雲さんの野望
放課後の空き教室。
僕は、東雲さんと向かい合っている。
「この前と、逆ですね」
「……そう、だね」
東雲さんと初めて話をした日。
僕を呼び出した彼女は、スパチャ(物理)と言って僕に二枚の紙を渡した。
僕の声が、お気に召したらしい。
不思議なきっかけ。それから話をするようになった。
登校中。休み時間。下校。土日にも。
こういう関係を友達と呼ぶのだと思う。
だけど東雲さんには何か目的があるらしい。
べつに、気にする必要は無いのだと思う。でも気になってしまった。だから聞く。
「……あの、ですね」
退路は断った。
リリにも視聴者の方々にも宣言した。
後は話を聞くだけ。喋るだけ。
一度、深呼吸をした。それから彼女の目を見て、僕は言う。
「東雲さんのことが、知りたいです」
「……ほう?」
あまり意図が伝わっていない反応。
僕はお腹に力を込めて、ストレートに伝える。
「この学園祭は遊びじゃないって、どういうことですか?」
一瞬、彼女は目を大きくした。
僕は構わず質問を続ける。
「東雲さんの目的は、なんですか?」
やった、言えた、聞けた。
背中を指先で抓り、浮かれる気持ちを抑える。
「……あー、そっちかー」
東雲さんの第一声は、それだった。
額に手を当て呟いた彼女は、困っているようにも安堵しているようにも見える。
「んー、そんなに気になる?」
「気になります」
「どうして?」
「……気になるからです!」
咄嗟にごまかした。
何か目的があって、その為に声をかけたのか。そんな質問をするのは難しい。
「んー、べつに隠すことじゃないんだけどね」
東雲さんは困ったような笑みを浮かべた。
それから俯いて、フゥゥと息を吐き出す。
彼女は僕に背を向けると、窓際まで移動した。
そこで振り返って、床に腰を下ろす。それから僕に向かって言った。
「隣、座って」
長い話になる、ということだろうか?
僕は頷いて、彼女の隣、一メートルくらいの位置に座った。
「あはは、遠くない? まぁ良いけど」
彼女は目を閉じて、また長い息を吐いた。
それから口を開けて、しかし何も言わない。
静かだった。
テスト期間中だから部活の音も無い。互いの息遣いすら聞こえる静寂。
やがて彼女は目を開いて、ぽつりと声を出した。
「ウチさ、親どっちも医者なんだよね」
それは、初めて聞く彼女自身の話だった。
「風早くん、どうやったらお医者さんになれるか知ってる?」
「……いえ、知らないです」
「まず大学。六年通った後で国家資格を取る。そっから二年研修。終わったら専門の資格を取って最短三年の追加研修。やばない? 早くて二十九歳だよ?」
「……へー」
「いや、へー、って。雑かよ」
「……すみません。上手く言葉が出なくて」
東雲さんはいつものように笑った。
それは子供のように無邪気な笑い声。
その声が、ぷつりと止まる。
「二十九歳。その先は……まぁ色々と選択肢あるんだろうけど、ずっと病気と向き合う人生だろうね。誇らしいと思うよ。でも、あたしのやりたいことじゃない」
東雲さんは天井を見上げる。
それから少しだけ遠い目をして言った。
「絶賛反抗期、みたいな?」
想像と全く違う話だった。
正直、受け止められない。
ここまでの話を聞く心の準備はしていない。
僕は言葉を探す。
そして直ぐに気が付いた。
結局、僕の聞きたいことは変わらない。
「……東雲さんのやりたいことって、何ですか?」
彼女自身が言った。
医者は、やりたいことではないと。
「あたしは声が好き。病気を治すより、心を癒したい」
僕の質問に対して、彼女は直ぐに返事をした。
きっと、流れ星に願い事を語るようなものだ。
明確な目標を持ち、それをずっと考えている。だから突然現れた流れ星に向かって願い事を言える。急な質問にもハッキリと答えられる。
「そのうち親が条件出したのね? 自分達より稼げたら好きにして良い。年収にして五千万円以上だってさ。これ絶対やらせる気ないよね? でも負けない。諦めない。どうにかする。これがあたしの夢。野望。やりたいこと」
僕は彼女の横顔を見て、かっこいいと思った。
同じ高校生なのに、僕よりもずっと先のことを考えている。
「あはは、ちょっと語り過ぎちゃったかな?」
少し間があって、彼女はごまかすようにして笑った。
「……いえ、聞けて良かったです」
そのために僕を誘ったのか、とは聞けなかった。
「その夢、応援させてください」
彼女の本心は分からない。
でも、分からないままで構わないと思った。
「学園祭、がんばりましょう!」
グッと手を握り締めて言った。
彼女は驚いた様子で目を見開いて、普段とは少し違う笑みを浮かべた。
「ありがと」
窓から差し込む夕日が、彼女の頬を茜色に染める。
本当に楽しそうな、だけど少しだけ照れたような笑み。
それを見て、時間が止まったような気がした。
理由は分からない。だけど一瞬だけ、世界から、彼女以外の姿が消えた。
「んじゃ! 準備を続けますか!」
その声で世界が元通りになる。
「カノノンのシナリオで風早くんの声を彩る! これで勝つるぅ~!」
僕は不思議な感覚を胸に、笑った。
相変わらず言葉の意味はピンと来ない。でも、頑張ると決めた。
──その後、順調に準備が進む。
あっという間に時が流れ、学園祭直前、最後の土日が始まった。






