東雲さんの様子がおかしい
「風早、一颯くん、だよね?」
「…………そう、ですが、何か?」
翌日、学校にて。
トイレから教室へ戻る途中、東雲さんに呼び止められた。
「何か言ってみてよ」
「…………何か、とは?」
「何でもいいから。今日は良い天気ですね、とか」
「…………今日は、良い天気、ですね」
「そのままかよ。ウケる」
以上、会話終わり。
東雲さんはニッと笑みを浮かべ、何事も無かったかのようにトイレの方へ向かった。
……擦れ違ったから声をかけただけ、なのかな?
とにもかくにも驚いた。
だって、一度も会話することなく卒業すると思っていた。
……まあでも、これっきり、だよね。
僕はドキドキしながら教室へ戻り、自分の席に座った。
これっきりと思いながらも、短い会話が頭から離れない。
……休み時間に同級生と会話したの、初めてかも。
僕には友達がいない。
授業などの事務的な会話を除けば、さっきの会話が高校生になってから初めてだった。
……今日は、何か良いことがありそうだ。
* * *
1コマ目、現国の授業。
今日から新しい章が始まる。
とても嫌だ。
出席番号順に音読させられるからである。
僕は人前で声を出すことが苦手だ。
配信中は大丈夫だけど、それはキャラクター効果である。オフラインの僕は、まともに声を出すこともできない。
……平常心。平常心。
どうせ僕の音読なんて誰も聞いてない。
自分に言い聞かせて、心を落ち着ける。
あっという間に順番が来た。
席を立ち、ぼそぼそとした声で数行の文章を音読する。
……ほら、あっさり終わった。
腰を下ろして脱力する。
そこでふと強烈な視線を感じた。
……東雲さんに、見られてる?
僕は咄嗟に教科書で顔を顔した。
……僕、何かしたっけ?
今朝に続き今も見られているなんて、何か理由があるはずだ。でも分からない。だって僕には友達がいない。彼女はもちろん他の誰とも会話したことが無い。
それはもう、空気みたいな存在だ。
そんな僕をクラスの中心人物である彼女が気にするなんて、絶対に理由があるはずだ。
……まさか、朝の会話がダメだったとか?
その後も定期的に視線を感じた。
授業はもちろん、休み時間にも。
僕は胃がキリキリするような不安を覚えながら、その日の授業を最後まで受けた。
* * *
下校時間になった。
帰宅部である僕は小走りで教室を出た。
「風早くん、ちょっと良いかな?」
先回りされていた。
相手は、やっぱり東雲さん。
「……その、図書室に用事がありまして」
僕は咄嗟に嘘を吐いた。
図書室と言った理由は、図書委員だからである。
「じゃ、一緒に行こうぜ」
「……なぜ?」
「あはは、何その顔おもしろ。べつに、理由なんてなんでも良くない?」
彼女がいつものようにケラケラと笑う。
当然、周囲の視線が集まる。それからいつも彼女と一緒に居る女子達も集まってきた。
「シノ何してんの? それ友達だっけ?」
女子Aが言った。
いきなりの「それ」扱いで胸が痛い。
「もち。あたし全人類マブだと思ってっから」
「出た。謎理論」
「謎言うなし。まあ、その、なに? 先生に図書室来いって言われてんのね。でも場所知らないの。ウケるよね。だから図書委員の彼に案内してもらおうかなって」
「図書室ならウチら案内するよ? その子も迷惑っしょ」
女子Bが言った。
彼女は良い人かもしれない。
「それなら平気。彼もちょうど図書室に用事っぽいから。てかちょっと長くなりそう? みたいな? だから先帰ってて。ごめんね」
「うぃ、りょーかい」
「また明日ねー」
AとBに続き、Cも手を振って立ち去る。
「またね~!」
その三人組に向かって東雲さんが元気に手を振る。
僕が呆然と様子を見ていると、彼女は振り向いて言った。
「じゃ、行こっか」
とても良い笑顔だった。
その笑顔から逃げる勇気なんて、僕の中にはカケラも存在していなかった。