図書室と昨日の人
お昼休み、図書室。
今日は僕が受付係の日。
僕はカウンターの裏に弁当箱を置き、静かに呟いた。
「……東雲さん、大丈夫かな?」
──今朝のこと。
僕はいつも通りの時間に登校した。
あとひとつ角を曲がれば校門が見えるという位置。そこに東雲さんが立っていた。
……あ、東雲さんだ。
ぼんやりとした感想を抱きながら歩く。
数秒後、目が合った。彼女はいつもの明るい笑顔を見せて僕に駆け寄った。
「うぃー」
「おはようございます」
最初は口を開くだけで緊張したけれど、少し慣れた。
もちろん完全に緊張が消えたわけではない。でも挨拶くらいなら普通に返せる。
「風早くん、あの角から来たよね」
「はい、そうです」
「じゃあ、明日はあの角で待とうかな」
「ええっと、大丈夫ですか?」
「何が?」
「その……わざわざ待って頂かなくても」
「あたしと二人で話すの、嫌?」
「いえっ、そんなことは!」
強く否定すると、彼女は楽しそうに笑った。
……これは、からかわれてしまったのだろうか?
気恥ずかしい気持ちで彼女を見る。
そこで僕は、ちょっとした異変に気が付いた。
「東雲さん、目が真っ赤ですけど、大丈夫ですか?」
「平気平気。ちょっと寝不足なだけ」
と、笑顔で言った東雲さんだったが、
「──東雲さん? 体調不良ですか?」
授業中、机に突っ伏していたことで教師に声をかけられ、
「余裕っすよ?」
「……保健室へ行きなさい」
恐らく充血した目が原因で指示を受け、
「……はーい」
周囲を見た後、教室から出た。
その後、昼休みが始まる頃になっても戻らなかった。
────
「様子を見に行きたいけど……」
先程から定期的に生徒が入室している。
僕が仕事を放棄したら迷惑をかけてしまう。
「……後で話せるよね」
彼女の言葉を信じるならば、ただの寝不足。
なぜ急に……遅くまで勉強していた、とか?
「……見習わないと」
もちろん時間をかければ良いというものではない。自習で体力が削られ授業が疎かになるのは本末転倒だ。でも、その姿勢は見習いたい。
そういえば、彼女はどんな勉強をしているのだろう?
昨日は楽しそうに参考書を読んでいたから、黙読するタイプだろうか?
羨ましい。僕の場合、読むだけでは半分くらいしか頭に入らない。
そもそも勉強が楽しいとは思えない。必要だから最低限のことはしてるけど……
「進路、どうしようかな」
春高では一年の終わりに進路を決める。
二年から進路に基いた自己学習を進めるカリキュラムになっているからだ。
その分、受験勉強を先取りする。だから授業の密度が普通じゃない。
僕は赤点を回避するのに精一杯で、先のことを考える余裕なんて無い。
……他の人は、どうなのかな?
ぼんやりと考えていたら、目の前にヒトの姿。
本を持っている。
多分、図書室の利用者だ。
「貸出ですか? 返却ですか?」
こういう事務的な会話なら普通にできる。
マニュアルは良い。その通りに喋るだけで良いのだから。
「貸出期間は二週間です。忘れないでくださいね」
ぽつりぽつりと現れる生徒に対応する。
図書室を利用する生徒は、どうやら上級生が多いようだ。
春高は上履きの色で学年が分かる。
退出する生徒を見ると、ほとんどが二年か三年だった。
……自己学習なのかな?
上級生の借りる本は、なんか賢そうだった。
資格とか、外国語の本とか、授業とは無関係な勉強の本が多い。
……僕のやりたいことって、何だろう。
ぼんやり考えて、直ぐに頭痛を感じた。
最近、課題が多い。授業だけでも大変なのに、会話とか、進路とか……大変だ。
それはさておき、気になることがある。
受付から一番離れた位置にある机。
そこに座った女子生徒が、先程からチラチラと僕を見ている。
……何か用なのかな?
なんとなく見覚えがある。
あの長くて綺麗な黒髪……そうだ、昨日の人だ。
……どうしようかな。
会話を避ける理由は分かる。
昨日、彼女は東雲さんに声をかけられ、図書室を飛び出した。
要するに……スパチャを聞かれた可能性がある。
確かに意味不明ではあったけれど、決して恥ずかしい内容では……ノーコメント。
……どうしようかな。
僕から声をかける?
幸い図書室に残っているのは二人だけ。今なら話しやすいはずだ。
……でも、急に声をかけられるのって心臓に悪いんだよな。
悩んでいる間にも時間が過ぎる。
もしも彼女が本の返却を考えていたとして、その期限が今日までだったなら、早目に声をかけた方が良い。
……用事が無いなら、こっちを見たりしないよね。
俯いて、静かに呼吸を整える。
大丈夫。僕の勘違いなら、ちょっと恥ずかしい気持ちになるだけ。怖くない。
「あの、何か用ですか?」