Side:視聴者S
東雲心音は悩んでいた。
「……配信、どうしよう」
もちろん観たい。
しかしそれは、他人の日記を覗き見るような行為ではないだろうか。
「……いやでも、配信を続けてるってことは見ても良いってことじゃん?」
彼女は欲望に正直だった。
「……っしゃ、来い!」
場所は浴室。
脱衣所にスマホを置いた彼女は、防水性能のある無線イヤホンを両耳に装備して、湯船の中で全裸待機していた。
『こんばんは。皆さん、今日はどんな一日でしたか?』
「イッくん来ちゃあああ~♡」
彼女は恍惚とした表情で言う。
「はぁぁ~、やっばい。ノイズゼロで鼓膜が震えるのやっばあ~。脳が溶けりゅぅ」
彼女は決して他人には見せられない表情を浮かべ、イヤホンの上に両手を被せた。音を外に逃さず全て受け止めるためである。
「んー、マイクちょっと安い奴なのかな? 低音域が弱いかも。生声の方がしゅき。でも配信中の方が自然な感じでしゅき。どっちもしゅき♡」
だけど、いや、だからこそ。
「……あの日の声、生で聴きたいなあ」
彼が配信を切り忘れた日。
それは偶然にも彼女が初めて配信を見た日だった。
配信の印象は九十五点。
あと一歩、理想に届かない。
でもリピートは確定。
それくらいの評価だった。
しかし、配信後の声が評価を押し上げた。
九十九点。
マイク越しの声で、九十九点。
──生で聴きたい!
彼女は強く思った。
そして彼が「ハルコウ」と口にしたことで直ぐに同級生の顔が頭に浮かんだ。
風早一颯。
印象は、とても大人しい子。
いつも一人で行動している。
他人と会話している姿は見たことが無い。
──なんか、声、似てるかも?
しかし声は聴いたことがある。
授業中、必要な場面でボソボソと喋る声を聴いて、ちょっと良いかも、と思っていた。
──まさか、同一人物!?
それからの出来事は一颯も知っている。
彼女は持ち前の行動力でスパチャ(物理)をして、彼と会話するようになった。
『正解は、ぶっちゃけ下心だ、でした』
「おーい、それ言っても大丈夫かー?」
彼の言葉にクスリと笑う。
そして同時に、心の中で呟いた。
……下心、か。
彼女が一颯に声をかけた理由も、下心だ。
彼と仲良くなって、いつかあの「素の声」を生で聴きたい。毎日でも聴きたい。だから声をかけた。
『それで、えっと、この前に話したKさんと付き合いたいのかと聞かれて……』
彼女は目を見開いた。
『その、協力することになりました』
ここで彼女は咄嗟にイヤホンを掴む。
『やば、これ内緒でした。しの、じゃなくて、Kさん見てないよね?』
そしてイヤホンを湯船に沈めた。
「…………ん? ん? んん?」
激しく瞬きを繰り返す。
それはもう衝撃的な言葉だった。
「……風早くん、あたしのこと、好き?」
いやいや、そんなわけない。
まだ二日か三日の付き合いだ。そんな一目惚れみたいなこと……
「……全然、あるじゃん?」
よくよく考えれば、一度も会話したことの無い相手から告白されたことが何度かある。
「いやでも、風早くん、そんな……」
そんな気配は無いと思う。
彼から感じるのは友愛というか、悪い表現をすれば子供っぽい感情だ。
「……ちょっと、待って。待ってね」
空き教室での会話を思い出す。
──風早くんは、恋する乙女だね!
打ち明けられたコンプレックスを聞いて、彼女は笑顔で返事をした。
──風早くんは、誰に恋をしてるのかな?
深い意味は無い。
頭に浮かんだ言葉を口にしているだけ。
──あたし、とか?
これも深い意味は無い。
純粋にからかっただけだ。
──東雲さんみたいに、なりたいです。
彼の言葉からも、恋愛的な気配は全く感じられなかった。でも、だけど……
「これゲームなら絶対フラグじゃん」
相手のコンプレックスを聴き、明るい言葉で道を示す。これで恋に落ちたヒーローなど親の顔よりも多く見ている。
「……っ!」
彼女は息を止めて、湯船に鼻まで沈めた。
「ぷはぁっ!」
数秒後、顔を上げる。
そして荒々しい呼吸を繰り返した。
この数秒間に考えたのは、自分の気持ち。
彼から好意を寄せられることに対して自分はどう思ったのか、それを考えた。
一番は、戸惑いだった。
恋愛的な気配は皆無だと思っていた。
次に、嬉しいと思った。
ぶっちゃけ話は合わないと感じる。趣味や考え方も全く違うだろう。だけど──
最も重要な「声」が良い。
とても純粋で、真っ直ぐな声だ。
もしも彼の特別になったならば、必ず大事にされるだろう。何より……彼は恋人に対して、どんな声で語りかけるのだろう。それはきっと、あの日の配信で聴いた声よりもワンランク上だ。
──聴きたいッ!
「いやいやいやいや、こんな理由で付き合うとかどうなの?」
パチャパチャと水面を叩く。
「そりゃ声は好きだけど、恋愛とか、よく分からないし……」
口を閉じる。
それから、ふとイヤホンを再装着した。
直ぐに彼の声が聴こえた。
話題は直前までと全く違う。
……大事なところ、聴き逃したかも。
大正解である。
イヤホンを外すタイミングが、ほんの数秒遅ければ、彼に恋愛感情が無いことに気が付いただろう。
しかし彼女は、聴き逃した。
それが彼女の判断に大きな影響を与えた。
心がグルグルと揺れ、言語化できない感情が頭をグラグラさせる。やがて彼女は無意識に口を開いた。
「……しゅき」
その顔は、のぼせたように真っ赤だった。
──
第二話「きっかけは勘違い」 終
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