下心の正体
「俺のことはクロと呼んでくれ」
キャッチボールを始めて直ぐ、彼が言った。
「それは、黒柳だから?」
「名前、言ったっけ?」
僕と彼の距離は近い。
多分、他の人に話を聞かれないためだ。
「体操着に……」
「そうか……」
大きなボールと一緒に、小さな言葉を投げ合う。
最初は戸惑ったけれど……楽しいかもしれない。
普段と音が違う。
いつもは雑音だった話し声の中に、僕の声が混ざっている。ただそれだけのことが新鮮に思えて、思わず頬が緩む。
「体操着ってのは、孤独だな」
僕は突然の暴投に困惑した。
「常に自分を主張している。まるで、無理して高校デビューした結果、やがて偽りのキャラが自分を苦しめることになった坂下くんを見ているかのようだ」
彼は何処か遠い目をして言う。
「存在とは、主張するものではない。自然と滲み出るものだ。そうは思わないか?」
「……良い言葉ですね」
とりあえずボールと一緒に言葉を返した。
「ふっ、分かってるじゃないか」
よく分からないけど嬉しそうだ。
「本題に入ろう」
彼は少し声のトーンを落として言った。
真剣な雰囲気が伝わってくる。僕は唾を飲み、次の言葉を待つ。
「風早、東雲に目を付けられたな」
目を付ける。
少し嫌な言い方に感じるけれど、否定する言葉は出てこない。
「中学から知ってるが、あいつが特定の男子に絡んでいるのは初めて見た」
「……同じ中学だったんですね」
彼はボールを受け、動きを止める。
そして僕の目を真っ直ぐに見て言った。
「風早は、どう思ってる?」
「……東雲さんのことですか?」
「そうだ。付き合いたいとか、そういうこと」
「……付き合いたい? 買い物とかですか?」
あれ? なんか目付きが可哀想な人を見る感じになったぞ?
「もっと話がしたいとか、休日一緒に遊びたいとか、家に呼びたいとか、そういう感情があるのかって質問だ」
なるほど、そういう意味なのか。
「はい、付き合いたいです」
リリと約束をした。いつかきっと友達を家に呼ぶ。僕自身も、もっと話がしたいと思っている。学校の外でも一緒に遊べたら、きっと楽しい。
「それ、協力してやるよ」
「……え、なんで?」
「言っただろ。下心だ」
思わず素直な疑問を口にすると、彼はボールを投げて言った。
「風早と一緒に居れば、東雲が寄ってくる。もちろんそれは、あいつ一人じゃない」
「……あの三人の誰かと、付き合いたいってことですか?」
疑問と一緒にボールを投げ返す。
彼はボールを素手でキャッチして、返事をする代わりに笑みを浮かべた。
「取引だ。俺が協力する代わりに、協力してくれ」
僕は少しワクワクした。
取引。まさかそんな言葉を学校で聞くことになるとは思わなかった。
「はい! こちらこそ!」
「バーカ、声がデケェよ」
その言葉とは裏腹に、彼は満足そうな様子でボールを投げ返した。
──変わる、変わる。
東雲さんと話をしてから、僕の日々が色を変えている。
予感がした。
これから何か、もっと大きなことがある。
ただの直感。根拠は無い。
単純に、浮かれているだけかもしれない。
学校が楽しい。ワクワクする。
それは、生まれて初めての感覚だった。