1-7 大ギルド・中ギルド・小ギルド
「なんてねえ。若い子は、可愛い受付嬢のほうがいいのは当たり前よね」
ギルマスは、ケタケタ笑いながら、からかいの入った笑顔を俺に向けてきた。
ひとまず、俺はホッとする。
「私たちのように家族経営している小さなギルドは、個別に受付嬢なんて雇う余裕なんてないの。すべて私がやらないといけないのよ。それでもやっていけないから、防具売ったり、兼業で飲食店をやったりしているの」
コックの恰好をしたギルマス夫が、隣で腕を組んで、うんうんと頷く。
小ギルドってことだけど、普通、ギルドは街に一つだよな。
「二人で街の全冒険者を見るのって、大変じゃないですか?」
「冒険者ギルドは、この街に複数あるわよ。昔は街に一つぐらいだったのよ。でも、仲間割れや考え方の違いで分割や新設を繰り返し、今や、大きさも大中小とまちまちのギルドがあるの。ここには、王都の大手ギルドの支ギルドもあるし、私たちはそういう大きなギルドと取引している中ギルドの下請けギルドの、さらにその下のひ孫請けギルドなのよ」
この世界でも、下請け構造が発生してしまったのか……
どの世界でも末端の下請けの経営は大変そうだ。
「大手ギルドだと、受付嬢に可愛い子もいるわよ」
ギルマスはニィィと下世話な顔をする。
ああ、前世でも、給料高そうな企業の受付嬢ほど、可愛かった……
「私はこれでも昔は痩せてて、ギルドの受付嬢だったんだから」
確かに、ちょっと小柄なギルマスは、若くて痩せていたなら、気が強い系美少女だったかもしれない。
「でも、受付嬢に期待しちゃだめよ。大手ギルドの受付嬢なんて冒険者の中でいい男を見つけるための腰掛けなんだから。まあ、ギルマスの愛人になる子もいたけどね」
うぅ、そんなリアリティのある話は聞きたくなかった。
「私も新人戦士だった夫をつかまえたの。この人、戦士としては才能があったけど、ウブで全く喋らないし、私が面倒見てやったのよ。今は怪我して引退してしまったけど」
「頼むから、その話はやめてくれよ」
顔を赤くしてギルマス夫が懇願する。
さっきから、尻に敷かれているように見えるが、姉さん女房なのだろうか。
「フフッ。後、受付嬢の成果なんて、どれだけクエスト捌くかだから。他のギルドで美人な受付嬢に色目使われて、危険なクエストを受けないように気を付けてね」
「大丈夫です!」
俺は即答した。
「えらい自信だねぇ」
前世で、派遣形態で働いていた時、綺麗なお姉さんに過酷なデスマーチの現場を勧められて、願い倒されて、結局行って、大変な目に合い懲り懲りしたので大丈夫です!
しばらくの間、いろいろと話していると、
――チリン
奥で、呼び鈴のようなものが鳴った。
「どうやら登録が終わったみたいね」
そう言うと、ギルマスは奥の部屋に入る。そして、暫くして出てきた。
「親ギルドに問い合わせたら、『虫とり』は昔にいたらしく、ひとまず、魔導鏡を渡すようにと言われたわよ」
「魔導鏡ですか?」
「魔導鏡。魔導鏡はね、いろんなことに使えるの。例えば、あなたのような初心者だと、自分の魔力を見ることができるわね。
魔導鏡、買う? この魔導鏡とかあなたによさそう。
あと、あなたの『魔導線スキル』は、魔法が通りやすい媒体を介して、魔力を伝えるスキル。媒体となる魔導線セットの在庫もあるよ。
魔導鏡が中古で30キロバイト。魔導線セットが2キロバイト、さっきのと合わせて10キロバイトでいいよ。端数の処理が面倒なので全部で40キロバイト」
そう言って、傷と汚れが目立つ魔導鏡と、小さい袋に入った魔導線セットを出した。
魔導鏡は名前が仰々しいが、見た目は1000円以下で売られているシンプルな卓上鏡を、少し大きくして、やや厚みを持たせた感じだ。
「ありがとうございます! それでお願いします」
ギルマスは購入したものを簡単な袋にまとめてくれている。
準備が終わったらしい。
「はい、冒険者カード。ランクはもちろん一番下のFランクね」
俺は冒険者カードを受け取った。
受け取った冒険者カードを上に掲げ眺める。
ああ、異世界だ。
男の憧れ、剣と魔法のファンタジー世界!
ここから、俺の冒険が始まるんだ!
俺はワクワクしながらカードを見ていた。
「ついでに王国民の仮登録しておいたから、この後、役所に行ってね」
「えっ!? 役所?」
俺はカードからギルマスに目を移した。
「貴方の世界ではなかったの? 戸籍」
「ありました……」
「なら分かるわね。報酬が入ったら、税金や社会保険の計算をしっかりとしとくんだよ。ナツキちゃんが教えてくれると思うけど」
そんなのあるの?
まあ、社会だから当然か……
現実に引き戻される感覚に襲われ、手元の冒険者カードがクリーニングのメンバーズカードに見えてきた……
「あと購入品はこれとこれ。はい、お金も」
買ったものは、クリーニングの受け取りに使うような袋に入っていた。
俺はその袋と、お釣りである借用金60キロバイト分の紙幣と貨幣を受け取る。
「いいクエストないかな」
ナツキさんが背伸びしながら仕事の掲示板を見ている。
「今、ナツキちゃんや初心者の虫とりさんに合うクエストはないね」
「うーん」
「色々ありがとうございます」
「頑張れよ」
ギルマスの夫が親指を立てて言った。
結構いい人達だったな。負けてくれたし。
出て行く前にギルマスに呼び止められた。
「ナツキちゃんとうまくやってね。彼女、ゾンビだから……根はいい子で、回復魔法もすごいけど、いつもチームから外されるの。色々とちょっとだけ我慢すればいいから」
昨夜の出来事で、過去にどういう事があったのか、なんとなく想像できる。
「わかりました。昨晩から一緒にいたので……」
ギルマスは苦笑いし、
「じゃあ頑張ってね」
と俺を見送る。
店を出ると、露出度の高いナツキさんが笑顔で待っていた。そして、周りの視線が彼女に集まっている。
「ナツキさん。まずは服を買いに行きましょう」
【IT業界の下請け構造(あいてぃーぎょうかいのしたうけこうぞう)】
下請け構造は、建設業、製造業、人材派遣業、小売業、食品業、運送業、イベント業、TV業界、アニメ業界と様々なところで見られます。もちろん、IT業界も例外ではありません。むしろ、IT業界には、下請け構造となる要因が多くあります。
IT業界、特には、SIer(System Integratorから来た和製英語。語尾がorではなくerに変わる)と呼ばれる、システム開発の請負サービスを提供するビジネスでは、建設業や製造業などと異なり、原材料費がなく、そのコストに人件費が多くを占めます。
通常、開発プロジェクトが始まると、人が集められ、終わると解散します。また、プロジェクト炎上による急な火消人員の確保などがあります。つまり、人材需要に大きな波があります。一方、日本には厳しい解雇規制があり、よほどのことがない限り社員を解雇できません。なので、より容易に必要な技術者や開発チームを集め解散させることができる、外部の会社を使うことが合理的になります。外部の会社も、サービスや人材の提供先をたくさん持っていれば、社員を持て余すことがありません。
また、3次受け、4次受けなど、ピラミッド型の多重構造は、規模の人材編成の柔軟性をもたらします。また、与信などを考えなければ、基本人を集めるだけでよく、初期投資が少なくて済むので、参入障壁も他の産業と比べ比較的低いものになります。
この下請け構造は、海外でも見られますが、日本は、解雇規制もあり、その階層の数や形態の割合が比較的多いと言われています。
一方、この下請け構造は、いくつか問題があるとして悪名高いものとして知られています。一つは、まったく開発に関わらない、丸投げする業者がいることです。彼らの存在は、開発費のコストや階層深化によるコミュニケーションの問題発生・情報漏洩のリスクの上昇をもたらします。
公正取引委員会の実態調査報告書[1]では、アンケートで、最終下請業者の1/3超が、なんら業務を行っていないのに利益を上げている業者がいると感じていると答えています。費用対比で正当な業務を行っていない業者を含めるとかなりの割合がいると見られます。
この対応策として、複数の省庁での再委託の原則50%までの規制、大手の3次受け禁止[2]、下請け構造になりがちな偽装請負の禁止などが行われています。しかし、その効果は限定的で、長年に渡って、日本のIT業界の課題になっています。
ほかの問題点としては、優越的な地位の企業(通常は親事業者)が、独占禁止法の観点から見て不当に減額や追加作業を強いることです。小規模な企業やフリーランスのような個人は、一つの取引に依存しています。そして、その取引がなくなると収入が途絶えることになります。そのため、無理な要望も聞いてしまいがちになります。ただし、必ずしも下請けが弱いわけではなく、特殊な技術を持っていたり、そのシステムを知っているのが下請けだけだったりすると、立場が逆転することがあります。
物語では、ギルドには大中小があり、多重下請け構造になっています。また、主人公が登録した小ギルドの経営は、それだけでは厳しいため、防具販売をしたり、飲食店を兼業したりしています。
[参考文献]
[1]: 公正取引委員会. (2022). "ソフトウェア業の下請取引等に関する実態調査報告書について".
https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2022/jun/220629_software.html
[2]: 玄 忠雄. (2009). "大半のSIerが3次下請け禁止". 日経クロステック.
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20090318/326896/