0-2 謁見の間
「ああ、俺は死んだのか……」
周りは暗くて何にも見えない。
奥に光が僅かに見える。
光はどんどん近づく。
俺は何かに引き寄せられる。
そして、光の中にスーッと吸い込まれた。
「ようこそ!」
眩しさに目が慣れて、声が聞こえた方を見る。
営業スマイルの30代らしき男性が立っている。
「こちらは死後の世界です。この世界はマルチバースと呼ばれ、一つのユニバースで死を迎えると他のユニバースに転生できます。今から会う方はそのユニバースの神々の1人です。
あなたがいたユニバースは『ビッグバンユニバース』という、ひっじょーに制約の多いところでした。が、我々のところでは、魔法が使えます。また、前世の記憶や身体もそのまま、言葉の壁も調整されます。
おめでとうございます! あなたはそこに選ばれました!」
胡散臭い歓迎後は、しばらく沈黙が続く。
「少し遅れて、ごめんなさいね」
女神らしい人が、神々しく天井から出現した。その演出で遅れたのかと邪推をしたが、ここではどうでもいい。
魔法が使える世界に転生するって? これは異世界転生ってやつか。
甘い話もない、惨めな人生を地道に頑張って歩んだ俺へのご褒美だろうか?
うは、チートスキルでハーレムか? 夢だとしても覚めないでくれ!!
「以上が我々のユニバースの状況です。勇者として我々のユニバースを救ってください!」
いろいろ説明されたが、単に魔王がいて、今のままだと、半年でユニバースが魔王軍に征服されるらしい。征服されると、ユニバースは崩壊するとのこと。
「承知しました。このわたくしにお任せを!」
俺はそう言うと握った手で胸をポンッと叩いた。根拠のない自信であり、思い返すとむず痒い返答だ。しかし、それぐらいテンションが上がっていたのだ。
女神は俺にニッコリとして、何かの準備を始めた。
「それでは今から転送します。希望と勇気にあふれた勇者に幸あれ!」
えっ、チートスキルは? 勇者だからあるよね? 多分、ある……と思う……
不安を感じながら、転送されてしまった……
――転送後
「名前を授けなくてよかったんですか? 名前の加護を受けないことになりますが」
と名簿を見ながら部下が女神に尋ねた。
「いいの、いいの。名前つけたら、9勇者月必要なところに1勇者6ヶ月しか付けてないことがすぐにバレるじゃない。さっきの子を1.5人換算して、名無しの勇者を2人送ったということにしておいて」
「と言いますと?」
「2人勇者送ったことにして、3ヶ月後に1人消えたことにするの。いつもやってることじゃない」
「承知しました」
「どうせプライベートは、たいしてないだろうし、進んで1.5倍分勇者をやってくれるでしょう。まあ、大変だと思うけれど、ここは勇者の試練ね。
で、今回の演出は、どうだった? 新米勇者すんごいテンション上がってたじゃない? うまくのせられたでしょう?」
「いやあ、素晴らしかったです。彼、ノリノリでしたね」
「のせてしまえばこっちのものね。ユニバース間の異動は至難の業だからね。フフフッ」
哀れ、新勇者、前世でも都合よく利用されてたが、転生後も同じなのか? これはデスマーチばっかりのブラックIT企業のプログラマーが異世界転生した物語である。
読んでいただきありがとうございます。
日本のIT業界は理不尽なことが多いです。その理不尽さを異世界で表現したくて、この物語を作りました。物語や世界観はIT関連をベースに作成していて、あとがきには、下記のように物語に関わるIT用語の解説を入れています。読み飛ばしてもストーリーは読めますが、良かったら読んでください。少しでも楽しみながら、コンピューターやIT業界のことを知って貰えればと思います。あと、間違っていることがあれば、指摘していただけると嬉しいです。参考資料は基本的にウィキペディアです。引用がないものについては客観的事実(著作権に当たらない)をなんとか理解しながら出来るだけ筆者の言葉で書いています。もし問題があるような記載があった場合、指摘を頂けると嬉しいです。
細かい話ですが、『異世界転生(死んで生まれ変わり、新しい人生を歩む)』か『異世界転移(死なずに、そのまま異世界に行く)』かで迷いました。死亡後に魂になるのと、他のユニバースでは生まれ変わる場合もあるという設定なので、『異世界転生』としました。
【人月(にんげつ)】
IT業界は作業量を1人が1か月働く量という『人月』で表すことが多いです。一人一人の能力や環境に慣れるまでのパフォーマンスは違いますので、良い指標ではありません。
およそ半世紀前の1975年に出版されたフレデリック・ブルックス著「人月の神話(The Mythical Man-Month: Essays on Software Engineering)」[1]では、人月換算の問題点を『ブルックスの法則』として指摘しています。有名な言葉として「9人の妊婦は1か月で赤ちゃんを産めない」があります。これは、システム開発が人月単位で分割可能な仕事ではないということを表しています。
半世紀前に問題点が指摘されたにもかかわらず、代わりがなく、『人月』はよく使用されます。正確ではないため、予定より仕事量が多くなった場合、残業・休日出勤で埋め合わせるということはよくあることです。
また、女神ほど酷くはないですが、外向けの数字と実際の数字を分けて、利益や人員を調整することも一部あります。もちろん、おかしいですが、システム開発プロジェクトの失敗を経験した顧客は、『人月』が直接成果に繋がるものではないということを知っています。そのため、いい技術者が割り当てられ、プロジェクトに問題がなければ、目をつぶるということは特に珍しいことではありません。
物語では、女神は主人公一人を、6か月の期間なのに9勇者月として送り込んだようです。
[参考文献]
[1]: Brooks, Fred. (1975). "The Mythical Man-Month: Essays on Software Engineering". Addison-Wesley.