二人の母親
店内は変わらず満席。徐々に外客の姿が増え始めていた頃、廊下の前で席が空くのを待っている一人の客の姿を見つけて、慣れつつあった営業スマイルが少し険しくなった。
そこには母さんの姿があった。俺の姿に気がつくと、手を振るということはしないまでも表情を緩ませて目を細めてこちらを見てきた。
しばらくすると席が空いて、母さんが店内に入ってくる。ちょうど手の空いていた俺が母さんの元まで歩み寄って、
「おかえりなさいませ。ご主人様」
眉間に寄ったシワを必死に抑えながら今できる限りの笑みを作って俺は挨拶をした。実の母親に「ご主人様」などと言う日が来るなど誰が想像できたことか。
席へと案内して、「おかけになってください」と言えば椅子を引いて母さんは腰掛けた。
「メニュー表はこちらになっております」
「メイド服。似合ってるわよ」
「注文が決まりましたら近くの店員にお声がけください」
「ちょっと。少しは会話しなさいよ」
言葉に耳を傾けない俺に、母さんは少し不服そうに顔を顰めて苦言を呈す。
「はいはい、ありがとうございます。それで、メニューはどうする?」
何も母さんの前までかしこまった態度をとる必要なないと考えた俺は、肩の力を抜いて普段通りの口調で話す俺に、「そっけないなー」と愚痴を溢しながらメニュー表に視線を落とした。
「じゃあ、ハムとレタスとチーズのサンドイッチに暖かい珈琲で」
「はいよ」
「それにしても凄いわね。大盛況じゃない」
「お陰様で」
「優奈ちゃんの執事服もとてもよく似合っているし」
母さんは視線を優奈に向けた。
「言っておくけど、間違っても『優奈ちゃん』って変に声をかけたりすんなよ。周りは母さんと優奈の関係を誰も知らないんだから」
仮に声をかけられたとしても、優奈も人前であるため「お義母さま」と呼ぶことはしないだろうが、念のため母さんに釘を刺しておく。
「分かってるわよ。あ、もう少ししたら美樹ちゃんもここに来るから」
やっぱりな……。俺は内心で呟いた。
まぁ美樹さんには小さい頃からお世話になっている。会うのは久々だし挨拶ぐらいはしないとな。
「ん。分かった。注文の品が届くまでお待ちくださいませ」
最後の挨拶は礼儀正しい言葉と丁寧な所作で行い、俺は裏へと向かう。
俺の横を優奈が通り過ぎ、心配になって振り返る。母さんの存在に気がついた優奈は驚いた様子を見せながらも会釈。母さんも変に声をかけることなく、穏やかな笑みを見せて軽く頭を下げていた。
釘を刺しておいて良かったと胸を撫で下ろして、踵を返し再び裏の方へと向かった。
注文の品を調理担当から受け取り席へと向かえば、母さんの向かいの席にもう一人の人物がいた。母さんよりも少し小柄でショートカットの黒髪の女性。斗真の母親の美樹である。
そして美樹さんの対応は、斗真が行っていた。
「お待たせしました。サンドイッチと珈琲でございます」
母さんの目の前に注文の品を置く。
「ひょっとして……良介くん?」
俺の声を聞いて、ハッとしたような表情を浮かべて美樹さんがこちらを見た。
「はい。お久しぶりです。美樹さん」
「久しぶり!前よりも身体大きくなった!?最後に会ったのって中学生の頃だもんね!?」
「中二の夏なので、二年ぶりぐらいですかね」
久々の再会に喜びの感情を見せる美樹さん。俺も表情を緩ませて応じていた。
「それにしてもあれね。良くん以前よりも格段に男前になったというか……すごくカッコよくなっているわ」
俺を見つめながら、美樹さんは言った。
「何を言ってるのよ。それを言うなら斗真くんなんて昔からイケメンで学校でもモテモテじゃない。梨花ちゃんって可愛い彼女もいるし」
「それはそうなんだけど……でもそれって学校にいるときだけでしょ?家にいるときはゴロゴロしちゃってテストが近くなったら毎度良介くんに泣きついちゃって……」
話し込む二人を見て、斗真は「な?二人が来たらやっぱりこうなった」と小さく呟き肩をすくめる。
「お母さん。話し込むのもいいけど早くメニュー決めてくれよ」
「じゃあ沙織ちゃんのと一緒のやつでお願い」
「了解。しばらくお待ちください」
この場から逃げるようにして、斗真は去っていった。美樹さんと一緒にいては墓穴を掘ってしまうと言う可能性があると感じたのだろう。
「それではお客様。心ゆくまでお楽しみください」
二人にそう挨拶を残して俺も仕事へと戻った。
この後、二人は食事を終えるまで俺と斗真の姿を見ては微笑を浮かべて、思い出話に花を咲かせているのだった。
今日の23時にもう一話投稿します。
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