思い出したくなかった相手
「お前……柿谷じゃねぇか」
男は目を細めてこちらを見下しているような口調で口を開く。
夏祭りのときでも思ったが身体はひと回り大きくなっている。鋭い目つきに髪は昔と変わらず短く切り揃えられている。
「久しぶりだな……古畑」
声が震えているのが分かる。それを必死に抑え込もうとするが、本能がこの場を今すぐ逃げたがっている。しかし足はコンクリートに埋められているかのように動かない。神様のいたずらか、そこには人の気配はなく、俺と古畑の二人だけとなっていた。
「何?誰かと来てんの?」
「まぁ、友人と」
「へぇ。お前に友人なんていたっけ?」
ギロっと睨みつける。明らかに俺を嫌悪している表情。小学校時代のあの頃と一緒だ。
「懐かしいなぁ。今でも昨日のことのように覚えているぜ。毎日毎日いじめてやってよぉ。その度に泣いて謝ってくるお前ときたら。フッくくくっ」
腹を抱えて笑いを堪える古畑に、俺はただ黙っていることしかできなかった。あいつが言っていることは紛れもなく事実だ。それに何かを発しようとしても、声が出せないのだ。胸が締め付けられる感覚に襲われていて、呼吸することすらできないのだ。
「あー。そういやそんなお前を助けようとした女もいたなぁ。まぁ俺に歯向かってお前なんかを庇ったせいでそいつもどっかに行っちまったしなぁ。お前なんかを庇ったせいでなぁ」
その言葉が俺の頭の中で流れ続ける。
「……やめろ」
「あぁ?誰が口答えしていいっつったよ。中学は三年間クラスが違うせいで絡みなかったし、高校に上がるにつれてどっかに行っちまうし、ストレスの発散源なくて困ってたんだよ」
蓋をして思い出さまいとしていたその記憶が溢れ出してくる。
怖くて動けない。頭では動けと指示を送っているのに身体が言うことを聞かない。拒絶しているのだ。吐き気が込み上げてくる。
こちらに近寄ってきて奴の手が俺の肩を掴もうとしたそのとき、
「おい。俺の親友に何してんだテメェ」
腹の底から冷えた声が聞こえると、斗真が古畑の肩を掴んだのだ。
彼の後ろには優奈と瀬尾さんの姿もあった。最高のタイミングと思ったと同時に、最悪とも思った。
「ん?あぁ、石坂に瀬尾か。久しぶりだな」
聞き覚えのある声、見覚えのある容姿に「古畑か」と呟く。それを分かったからこそより一層、肩を掴む力を強めた。完全に敵意剥き出しの瞳を向けて。
「それより俺の親友に何してんだって聞いてんだ」
「何って……久々の再会を祝っていただけだっつうの。つーかお前ら親友だったのか。こんなやつと絡んでたなんて意外だな」
掴まれていた手を払い退けて、軽く肩をまわす。古畑は至って悪びれた様子は見せてはいなかった。
「良介を侮辱してんじゃねぇよ。それに久々の再会だと?笑わせんなよ。あんときお前がどんなことしてたのか、忘れたわけじゃないよな?」
「あぁ、覚えているぜ。その日はどうやっていじめたのか明確になぁ」
「テメェ……」
斗真が怒りを露わにして、古畑に詰め寄ろうとする。
「やめてくれ……斗真……」
斗真を巻き込むわけにはいかない。その想いだけで俺は酸素を肺に取り込んで言葉を必死に紡いだ。
「ん?おい。瀬尾の横にいるその彼女は?石坂。お前が連れてきてんのか?両手に花だな」
奴は視線を優奈たちの方へと向ける。
「ちげぇよ。彼女はただの友達だ。今日は四人で遊びに来てんだよ」
「ふーん。可愛いじゃん」
そう言って優奈の元へと向かう。彼女は逃げも隠れもせず、ただ真っ直ぐ古畑を見上げた。
「ねぇ君。名前は?」
「あなたに名乗るほどの名は持っていません」
優奈は氷のように冷たい表情で対応していた。
「ガード固いね。石坂と瀬尾が付き合ってんのは知ってんでしょ?あいつを狙おうとしたって無駄だよ」
「知っています。二人の仲を引き裂くような真似はしません。それに今日はダブルデートでここに訪れているので」
彼は驚きを隠せないと言った様子で目を見開いくも、ニヤッと笑みを見せる。
「へぇ。こんな可愛い彼女がいんのか。柿谷のくせに生意気な」
優奈が絡まれている。間に入って止めないと。
斗真たちが来てくれたことで思考は落ち着きを取り戻したが、それでも身体はまだ動かない。動かすことができない。
俺はあいつの護衛役だろ。動け。動けよ。俺の身体。あのときの過ちをまた犯すつもりか。あんな想いもう二度と味わいたくないから変わろうとしたんじゃないのか。変わったんじゃないのか。
「あんな奴のどこがいいの?今は知らんが昔は何もできないただの弱虫だったんだぜ?ピーピー泣き叫んで」
「昔のことはあまりよく知りませんが、今はとても強く、優しい方ですよ」
「それじゃなんで彼女が絡まれてんのに助けに来ないの?今も昔も何もできない臆病なままの弱虫さ」
「古畑。これ以上はマジでやめろよ」
斗真が怒りを必死に押さえ込んだ声で言った。周辺を歩く人たちがチラチラとこちらを見る人が増えてきている。これ以上騒ぎを起こせば迷惑にしかならない。
「ちっ。わーったよ」
忌々しそうに舌打ちをして、古畑はこちらに歩いてくる。そしてニヤニヤした顔を浮かべて、
「じゃあな柿谷。あの彼女がお前のせいで目の前から居なくならなければいいな」
それだけ言い残すと、人ごみの中に消えていって奴の姿は完全に見えなくなった。
それを確認して、安心感と今まで見ないようにしていた記憶が鮮明に蘇ってきて、足元がおぼつかなる。
「良介!」
斗真がこちらに駆け寄ってきて、支えてくれた。先ほどまでの憤怒の表情は消え去っていて、いつも通りの親友の顔に戻っていた。
「すまん……」
「謝んな。とりえあずあそこの椅子に座って休め」
「……悪い。体調が悪くなったから今日はこれで帰る。せっかく誘ってくれたのに、水を差すようなことになってすまん。あとは三人で遊んでいてくれ」
正直、これ以上楽しめる気がしなかった。
一刻も早くこの場を去りたかった。踵を返して彼らに背中を向けようとすると、
「付き添います。こんな状態の人を一人で帰すわけにはいかないです」
「そうだね。天野さん、お願いしてもいいかな?」
「はい。帰り道も一緒ですから問題ないです」
「頼むよ。良介、あんま気にすんなよ」
「そうですよ。柿谷くんは何も悪くないんだから」
斗真も瀬尾さんも俺を気遣って優しい言葉をかけてくれる。だがそれを聞けるほど余裕すら、今の俺にはなかった。
☆ ★ ☆
ハウォーレで斗真たちと別れたあとバスに乗り込んで、気がつけばアパートに着いていた。
「悪いな優奈。せっかく四人で遊んでたのに……」
「石坂さんたちもおっしゃってたじゃないですか。良くんが気にすることじゃないです」
「……今日は一人にさせてくれ……少し疲れた……おやすみ……」
「は、はい。おやすみなさい」
心配そうな表情を浮かべる優奈に軽く手を挙げて別れて、エレベーターのボタンを押す。
階段を登る気力すら起こらなかった。
五階に着くと、家の鍵を開けて真っ先にベットへと顔を埋める。
過去の記憶が次々と浮かび上がってくる。それ以上思い出したくなくて無理矢理目を瞑って、意識を遮断しようと必死だった。
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