恋愛脳な母親たち、傷つく父親
「んー。美味しーい」
蟹の刺身に醤油を付けた口に運んだ母さんは、頬を緩ませて舌鼓を打つ。
昼食の用意ができて、テーブルには料理がずらりと並んでいる。新年早々、蟹づくしとは中々豪勢な昼食と言えるだろう。
先ほど俺も刺身を食べたが、引き締まった身は噛めば上品な甘みが溢れ出してくる。流石は特産ズワイガニというだけあって、そのままでも十分な美味しさだ。今回は刺身や鍋にしていただいているが、今度は天ぷらや他の食べ方で味わってもみたいものだ。
「この蟹鍋、蟹や野菜はもちろんそうだけど特にこの出汁。とても優しい味わいでこの鍋に良く合ってる」
「ズワイガニは身がぎっしり詰まっていましたから、下手に調味料を入れてバランスを崩すよりも蟹と野菜の旨みの方が本来の美味しさが出せると思って」
出汁に使用したのは昆布だし、醤油、料理酒、塩、そして白だし。白だしを使うことであっさりとした味になって食べやすくなるだけではなく、蟹の味を引き立てて野菜がより美味しく感じられる。
「とても美味しい」
「お口に合ったなら良かったです。圭吾さんはどうですか?」
「わたしも美味しくいただいているよ。わたしには料理の才がないから羨ましい限りだ」
希美さんは口元に手を当てて味を絶賛、圭吾さんは料理の腕を褒めて唸り声を上げた。双方から好評の言葉をいただいて「ありがとうございます」と俺も刺身に箸を伸ばした。
「良くん。鍋のおかわり要りますか?」
「あー。ちょっとほしいかも」
「分かりました。よそうので器貰いますね」
「頼む」
蟹鍋を盛り付けられた器が空になっていたのを見かけた優奈が俺にそう問いかけた。ここは優奈の優しさに甘えることにして器を手渡す。
お玉で具材を掬い上げて自分の器に盛り付けてくれている姿を間近で見つめていると、つくづく自分は尽くされていると感じる。
だからこそ、愛想尽かされないように気を引き締めなければいけないとも思うし、自分もその分優奈に返したいとも思う。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
よそい終えた器を優奈から手渡されて、俺は薄く微笑む。それに釣られたかのように、優奈もへにゃりと口元を緩ませた。
「沙織さん、本当に二人は仲がいいんですね」
「親の目の前でイチャついちゃってまぁ。青い春を謳歌しちゃってーもうっ!」
にやけ笑いを浮かべる母さんと微笑ましそうに温かい眼差しを向ける希美さんが、俺たちのやりとりを見てそう呟いた。
「べ、別にしてないし」
「そ、そうです。普通です」
「あらあらー。これが普通なんですって。つまり日頃からイチャついてるってわけか」
「若いって羨ましいですね」
「もうこの際だし、いろんなことを聞いちゃいましょう。あっ、二人とも答えられる範囲でいいからね」
俺たちは反論したが、返ってそれが二人の興味を駆り立ててしまったようで、次々と質問が飛び交ってくる。
この質問攻めにされる感じ。久しくて懐かしいように感じるが、それは思い出しくない感じだった。
母さんたちも久しく忘れていた恋愛脳たるものが蘇ったのだろう。俺たちとは対極に生き生きとした様子で、怒涛の質問の雨を浴びせてくる。
またまた対極的に、圭吾さんが顰めた面を浮かべている。そうなるのは当然のことで、娘の惚気話を聞かされて喜ぶ父親がどこにいるのかという話。
だが今回は、俺の責任ではないと思うので、勘弁してほしいところではあるのだが。
――最初の質問が降りかかってきてから二十分ほど経過。母さんたちは深呼吸をして、一旦お茶を口に含んだ。
「はー。この美味しいご飯と優奈と良介くんの話を肴にしてお酒を呑みたくなっちゃいますね。
「ほんとほんと。夜にこれだったら朝まで呑んでいられるわ」
「勘弁してくれ……」
喋り疲れながらも満足げな母さんたちに対して、俺と優奈はただただ疲労困憊で、深く大きなため息を漏らした。
お酒がなくシラフだったからこの程度で済んだが、これが夜だとしてお酒を呑んだ場合、希美さんは大丈夫としても母さんが酔った勢いでもっと攻めた質問+介抱という最悪コンボを決めかねられない状況だった。
「ごめんね優奈ちゃん。ちょっと意地悪なことも聞いちゃって」
「いえ、わたしはそこまで……」
「てか、俺の方が意地悪な質問多かった気がするんだけどな」
「いやー。楽しかったー」
「俺には謝罪の言葉なしかい」
俺はもう一度小さく息を吐いて、喋り疲れて失った体力を回復するべく蟹鍋を口にする。
「ほら、圭吾さんもご飯食べましょ」
「ゆ、優奈が完全に……わたしの元から……」
「良介くんに優奈のことをよろしく頼むって言ってたじゃないですか。それで今回、優奈が大事にされてることが分かって良かったじゃないですか。わたしは安心しましたよ」
次々と聞かされる惚気話に着々と心のダメージを負わされていき、今はもう見ての通り半ば放心状態。いつもの毅然とした様子の圭吾さんの姿はかけらも見えない。
これは圭吾さんがドイツに戻る前にご機嫌をとらないといけないなと強く思い、後日ご機嫌とりに奔走した。




