鼓動
いつも通り朝食を終えて身支度を整えていると、今から向かいます、と優奈からのメッセージが目に入る。
そのメッセージを見て、自然と頬が緩んでいくのが分かった。
文字で伝えられるのは、言葉とはまた違う破壊力がある。女性らしいたおやかな丸みがあって、それでいてとても丁寧な優奈の字。文字の可愛らしさと直球な想いが込められた恋文。
今にやけてしまったのはそれを思い出してしまったからで、我ながらこれはないな、と苦笑しつつ緩んだ頬を二回ほど強めに叩く。おかげでその緩みも痛みを代償に引き締めることができた。
優奈の顔を見れば、その効果もすぐに薄れていってしまうのだろうが。
分かった、と返信をして、急いで着替えを済ませ、優奈が来るのを待った。
しばらくして、インターホンの音と鍵の施錠が解かれる音が聞こえてくる。
俺は立ち上がって玄関まで向かおうとする。リビングと玄関を繋げるドアを開けたとき、優奈もまたドアに手をかけようとしていたらしく――、
「おっと」
「ひゃっ」
ドアを開こうと少し前のめりになっていた優奈がぽすんっ、と小さな音を立てながら俺の胸に顔が埋まる。柔らかな衝撃だったので、よろめくことなくその小さな身体を抱き止めた。
「悪い。急にドア開けてしまって」
「いえ。出迎えに来てくれたんですよね。別に責めるつもりなんてありませんよ」
腕の中にすっぽりと収まった優奈が顔を覗かせながら淡い微笑みを見せた。
不慮だったとはいえ、別に抱き止める必要はなかったと内心思う。ただ反射的に身体が動いてしまった。
別に今も、こうしている必要はない。
さっさとこの腕を解いてリビングへと向かい、渡すものを渡していつも通りの日常を送ればいい。
そう思っていたとしても、その腕が緩まることは決してなく、気づいたときには優しく抱きしめていた。
「良くん?」
「ちょっとだけこうさせて……」
温かみを感じる声で疑問系で名前を呼ぶ優奈に、俺はそう返事をする。
抱きしめる腕は優奈をこの場から動かすことを許さない。だが決して力強く抱きしめているわけではなく、その力はむしろ弱く優しくしていて、多分抜け出そうと思えばいつでも抜け出せると思う。優奈もそれには気がついていると思うが、俺の言葉にただ小さく頷いて、俺の腕の中に収まっている。
「……どうしたんですか?」
胸に埋めていた顔を僅かに上げて、優奈が俺の行動について問う。
「いや別に。最近こうする機会があまりなかったから。嫌だったか?だったら離すけど……」
「……そういうところ、良くんずるいです」
「別に意地悪したくて言ったわけじゃないんだけどな」
再び顔を埋めた優奈に、俺は肩を竦める。
もう十分満足できたので、最後にきめ細やかで綺麗な髪を背中に回していた手でさらりと触れて腕を解き、
「おはよう」
「おはようございます」
一歩も引かず身体を密着させたまま、少し遅れた朝の挨拶を交わした。その優奈の視線は少し下がり、俺の上衣へと向く。
「プレゼントした服、早速着てくれたんですね」
「まぁな。似合ってるか?」
「はい。よく似合っています」
「そいつはよかった」
これをプレゼントしてくれた張本人からの褒め言葉をいただきながら、リビングに移動した。
優奈はコートをハンガーにかけてソファーに腰を下ろすと俯きざまに小さく息を吐いて――、
その視線の先にある、それに気がついた。
「優奈。渡したいものがあるんだけど……てか、もうバレてると思うけど」
優奈の座るソファーの前にある炬燵の台の上。
そこにはリボンで包まれた小さなギフトボックスが。
それを手にして優奈の隣に腰を下ろした俺は、ギフトボックスを優奈に差し出す。
「俺からのクリスマスプレゼント」
「ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「もちろん」
リボンを解いて箱を開けると、スティック状のシンプルなデザインのものが顔を覗かせる。それを一目見た優奈はすぐに気がついたようだった。
俺が用意していたのは口紅だ。
化粧品はあまり詳しくない、女性が使うものに至っては当然のことながら全くの無知。だから色々ネットで調べた上で、デパートに出向いて優奈に一番似合いそうな口紅を一時間かけて悩みに悩んだ末に決めた一品だ。
優しい色合いの桃色のリップは、優奈の穏やかで柔らかい雰囲気に合うと思ったし、唇に優しい成分が多く含まれている。
「ありがとうございます。凄く嬉しいです。大切に使わせていただきます」
と、優奈は目を細めて笑顔を弾けさせた。その反応に、俺も肩を撫で下ろして口元を綻ばせながら、
「手紙も用意すればよかった?」
そう尋ねた途端、優奈の頬が薔薇色に染まる。
むしろこの質問の方が意地悪なような気がする。
「手紙、読んでくれたのですか……」
「入ってたし読まないわけないだろ」
「そうですよね、それでその、どうでした?」
「まぁその……普通にめちゃくちゃ嬉しかった。優奈の気持ちが凄く伝わってきて心が温かくなったっていうか。好いてくれてるんだなって分かった」
昨日の手紙を読み終えたあのときのことを思い出すかのように、俺の身体にも熱が宿るのを感じる。
「それは……当然です。良くんの彼女なのですから」
人を引きつけるその美しい瞳で真っ直ぐ俺を見つめて、はにかむ。その表情に釣られるように、自然と笑みがこぼれた。
この熱に当てられたかのように、鼓動もまた機能同様強く打ち鳴らすのを感じていた。




