大事なこと
「お、お久しぶりです」
約四ヶ月ぶりの再会としては、あまりにも突然のことすぎて俺は慌てて背筋を伸ばす。
「お久しぶりです。そんなに気を張らなくても大丈夫ですよ。今はお互いプライベートなんですから」
宮島教授は優しい口調で言った。
そう言われて、伸ばしていた背筋を少し楽にさせるが、少なくとも宮島教授と話している間は張ってしまった気を緩めることはできないと思う。
「あの、どうしてここに?」
「午後からここの近くの会館で講演がありまして。今はその帰り道だったんですけど、このお店のスイーツが美味しいと小耳に挟んだので家族に買って帰ろうと思って足を運んだんです。そしたらきみが居たものですから」
偶然とは存在するものなんですね、と宮島教授は微笑する。そんな宮島教授の左手の薬指には淡い銀色の光を放つ指輪が輝いていた。
「ご結婚されているんですね」
「えぇ、妻ともうじき五歳になる娘がいます」
オープンキャンパスでは大人の余裕を感じさせる雰囲気だったが、家族の話を切り出した宮島教授は穏やかでどこか締まりのない笑顔をこぼした。
「柿谷くんは学校帰りですよね。制服ですし。お友達と一緒に来られているんですか?」
「はい……友達っていうか、彼女と」
「そうなんですか。青春していますね。恋愛も学校生活の楽しみのひとつですからね。高校生らしくて大いに結構です。勉強の方は順調ですか?」
柔らかな笑みを崩さないまま、宮島教授の視線が俺の手元にある参考書へと移ってそう問いかける。
「そうですね。今のところは」
「なら良かったです。普段の勉強に加えて受験勉強と忙しくなるとは思いますが、頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい。なんでしょう?」
「先生になる上で一番大事なものってなんですか?」
生徒の味方になってあげられる教師になる、これが俺の目指す理想の教師像。
それとは別に、教師に一番なくてはならないものはなんなのかを、俺はこの人に聞きたかった。
「そうですね……わたしは『気づける』ことだと考えています」
「『気づける』ですか……」
「えぇ。いつも元気な生徒が今日は元気がなさそうだとか、いつも友達といる生徒が最近一人で行動しているとか、どんな些細なことでも構いません。子供たちを見て変化に気づく。特に今の柿谷くんたちの年齢の子たちは多感なお年頃ですからね。それ故に悩みや不安を抱えて生きている。親に心配かけたくないと、相談できないことがあるでしょうし、親御さんだって全てに気がついてあげられるわけではない」
宮島教授の言葉が胸の奥に強く突き刺さる。
俺も同じ立場に立っていたからこそよく分かる。母さんに心配をかけたくなくて不安にさせたくなくて、ただ必死だった。
「だからこそ、色んなことに迷い苦しんでいる生徒に気がついてそっと寄り添える、そんな優しい先生になってほしいと、わたしは常に思っています。あくまでこれはわたしの意見で、他の先生方に同じ質問をすればその回答は十人十色でしょうけどね」
きっと宮島教授も、かつての恩師である教師が自分にそうしてくれたからこそ、そう思ったのだろう。
「ありがとうございます。お時間とらせてしまって」
「いえとんでもない。わたしも短い時間でしたが有意義な時間を過ごせたと思います。それと――」
俺の質問に丁寧に答えてくれた宮島教授には感謝しかない。そんな宮島教授が小さく息を吸って、
「きみは先生に向いていると思います」
そう言った。
「柿谷くんの目には優しさが溢れてる。きっといい先生になるとわたしは思いますよ」
それではわたしはこれで、と最後にそう言い残して優しく微笑んだ宮島教授は、くるりと踵を返してショーウィンドウへと向かった。
先生に向いている、仮にお世辞だったとしても
、今はその言葉が何よりも嬉しくて、思わず口元が緩んだ。
「お待たせしてすみません」
宮島教授とすれ違うタイミングで、優奈が戻ってきた。
「いや。別にそこまで待ってないさ」
「……良くん。少し機嫌がいいように見えるのですけど、何かいいことがあったのですか?」
「……まぁな」
向かいの席に腰を下ろして首を傾げた優奈に、俺は小さく微笑んで机に置いていた参考書をそっと鞄へと戻した。




