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悩める彼女

 月日は流れて十月中旬――

 ついこの間秋になったばかりだというのに、ふとしたときに肌寒さを覚える時期にもなって、もうじき冬の季節が訪れることを実感する。


 それだけ時計の針は進んでいることを意味していて、修学旅行の浮ついた気分はとうの昔に取っ払われ、通常の授業へと切り替わっている。


 つい先週まで定期試験が行われており、今日はその結果が発表された。


 そしてその日の放課後――、


「まさかカッキーから一緒に帰ろって言われるなんて思ってもいなかったよ」


 笑いながらそう呟いたのは、向かいの席に座る純也だ。


 俺と純也は今ファストフード店に立ち寄っていて、彼はフライドポテト数本を掴むとまとめて口に放り込む。出来たてだったのか、「あふっあふっ」と口内に空気を送り込みながら咀嚼して飲み込む。

 口冷ましにドリンクを流し込んだ純也はカップを置いて、


「天野さんとなんかあったの?ほら。住んでるとこも一緒だから基本はいつも天野さんと帰ってんじゃん。だから俺にそう言ってきたってことは何かあったのかなって。それに天野さん一人で真っ先に帰っていったから」


 俺たちのことを気遣うようにそう問いかけるその姿は、純也の心優しい性格をそのまま表していた。


「いや。別に俺たちの間に何かがあったわけじゃないんだ。そこは安心してくれ」


「何か含みがあるような言い振りだね」


 純也の心遣いに感謝しつつも、仲違いだとか純也が思っていることは起きていないことを告げる。だが純也は、何か引っかかりを覚えたかのように、形のいい眉を顰めた。


「あー。今回は優奈個人の問題というか、少し一人の時間を設けさせているというか」


「といいますと?」


 純也はいまいちピンときていない様子だったので、そうなった理由をもう少し詳しく伝える。


「ほら。今日定期試験の結果発表があっただろ」


「そうだね。毎度の如く良介が一位で天野さんが二位だったね。つーか、全教科満点なんて初めて見たわ。お祝いといってはなんだけどポテト食べていいよ」


「んじゃあ遠慮なく」


 ご厚意に甘えてポテトを一本口に運び、絶妙な塩加減と外はカリカリ中はホクホクの食感を味わったあと、話を続きをする。


「問題はそれだよ」


 ここまで言えば皆まで言わずとも話は見えてくるだろう。純也も「あー」と察したように唸るような声を上げた。


 今回の試験、俺も優奈も試験の結果は最高といってもいいもので、俺は全教科満点、優奈は一つの教科を除いて満点という結果を残した。

 それが今回の優奈個人の問題というものになるのだが。


 満点を逃した教科というのがよりによって優奈が一番得意としている数学。その問題が計算式から完全に間違っていたならまだ良かったのだが、最後の計算式で数字を間違えてしまい、部分点となってしまった。


 今回の試験はこれまで以上に気合いを入れて臨んだので、全教科満点という結果にはしゃぎたくなったが、試験期間中一生懸命に勉強している優奈の姿を目の前で見ていた手前、そうすることができるわけもなく。


 結果を目の当たりにした優奈は「今日は一人で帰ります」とだけ告げられて先に帰ってしまい、今こうして純也と一緒にいるというわけだ。

 優奈は普段通りを装っていたが、内心は自分自身の甘さと不甲斐なさに、はらわたが煮えくり返る思いだったろう。


「それなら確かに少し一人の時間を作る必要はあるね。もしかしたら良介に怒りをぶつけちゃう可能性あるわけだし」


「そうなったらそうなったらで別にいいんだけどさ」


「えっ。そうなの?」


 俺の意外な回答に、純也は目を丸くして驚いたようにそう呟いた。

 人は感情を持っている生き物で、生きている上で私情を持ち込んだことがない人なんていないはずだ。


「カッキー大人だねー」


「それで一度苦い思いしてるからな」


 俺も過去にそんな経験があるからこそ、同じことしないようにしているし、自分が逆の立場になったときはある程度はそれを受け止めてあげなければいけないと思うようになった。それが近しい人ならば尚更だ。


「まぁそんなときはガス抜きしないとね。天野さんは上手くストレス発散できてるイメージあるんだけど、一緒にいたら何で発散させてるのか知ってるの?」


「まぁな。でも少し特殊なんだよ」


「へー。どんなストレス発散法?」


「キャベツのみじん切りを永遠にやり続ける」


「ハハッ。それは特殊だ」


 繰り出した回答に、純也は思わず吹き出した。


 優奈は基本、ギリギリまでストレスを溜め込むことはなく上手にガス抜きをしている印象。

 ただ、キャベツのみじん切りをし始めてそれがしばらく続くと、優奈が怒りを表れなのかストレスが溜まっているのかと判断するようになって、優奈を怒らせるようなことをしたかどうか自分の行動を見つめ直すようにしている。


 もちろん運動したり趣味をするなどストレス発散法は他にもあるようだが、優奈曰くキャベツのみじん切りが一番心をスッキリさせられるらしい。

 その日からキャベツのみじん切りには困らない生活が数日ほど続いた記憶がある。


「でもさ、天野さんになんて声かけるの?」


「難しい質問だな……」


 最大の難問をぶつけられて、俺は苦笑を浮かべながら肩を竦めると、シェイクに口をつけて俯いた。


「ごめん。困らせるつもりはなかったんだ」


「でも本当にそうだからなー」


 俯かせていた顔を上げて天井を見上げながら、俺はそう呟いた。


 結局、純也とファストフード店にいる間は、理想的な回答を出すことができなかった。


☆ ★ ☆


「ただいまー」

 

 俺が自宅に着いたのは六時を回る少し前。

 脱いだ靴を揃えてリビングへと向かえば、キッチンで夕食の準備を始めていた優奈の姿が。

 鍋は二つ並んでいて一つは味噌汁を作るのに使用しているもの。もう一つはステンレス鍋なので揚げ物、おそらくはとんかつあたりだろうか。


「おかえりなさい。すみません。出迎えにいけなくて」


「いや。夕食の準備してたなら仕方ない」


 優奈はロース肉をパン粉にまぶしていたので、この様子なら動けるわけもない。

 眉を顰めて申し訳なさげに謝る優奈に、俺は肩を竦めながら笑みを浮かべて洗面台へと向かい手を洗う。その流れで食器棚から茶碗や皿を取り出し優奈の邪魔にならない場所に置くと、そのまま手伝いを始める。


 帰路につきながら考えに考えて、導き出した結論は、俺からは何も言わない、だ。

 下手に気遣った言葉をかけるのは、むしろ逆効果だと思った。それにもし話があったら優奈から話しかけてくるだろう。


 だから、その件について俺は何も言わず、いつもと変わらず他愛のない話をしていた。

 そして――、


「良くん」


 揚げていたとんかつを容器に移して鍋の火を止めた優奈から、改まって名前を呼ばれた。


「ごめんなさい。帰り際に少し冷たい態度をとってしまって。不快な思いをさせてしまったと思って反省してます」


「別にあの程度のことなんて気にしないさ。それに無理もないことだと思ってるし」


 優奈の表情からも反省の色はよく読み取れる。

 そもそも気にすら留めていなかったので、優奈がそう思う必要もないし、そうなってしまった気持ちも十分理解できる。


「いえ。良くんも全教科で満点をとって、本来なら祝福してあげなけないといけなかったのに、言い訳ですけど、それ以上に自分に腹がたってしまってあのときは少し余裕がなかったんです。だから、ごめんなさい」


「まぁなんだ……良い方向に考えようよ。今こんな凡ミスできて良かったって。大学入試だったらもしかしたらこれで落ちてたかもしれないわけだし」


 定期試験の満点はそう簡単に取れるわけではないが、まだ何度かあるのでチャンスはある。

 だが大学入試などの一発勝負の場面は、それが命取りになることだってある。むしろそれに気がつくことができて良かったとポジティブに捉えるべきだ。

 上手くフォローできている自信はこれっぽっちもないのだが、俺は鼓舞するようにそう言ったあと、


「あとさ。さっき新作のアイス出たから、あとで一緒に食おう」


 手を洗う前に冷凍庫の中に入れたこの季節限定の新作アイスを取り出した。もし俺が上手くフォローできなかったときの保険、といっても物で釣るのもどうかと思ったのだが、それだけ優奈を元気づけたいと思った俺の精一杯の行動だと思ってもらいたい。


「よし。この話はこれでおしまい」


「はい。ありがとうございます」


 俺は手を叩いて、この空気を断ち切ろうとしたのだが、どこか引きずったような重い雰囲気を優奈はまだ漂わせていて。

 そんな優奈の頬を、俺は両手で挟みこんだ。


「りょ、りょーふぅん?」


「凹む気持ちは分かるけど、暗い顔してたって何も変わらないぞ。ほら、笑顔笑顔」


 お餅のように柔らかくてきめ細やかな優奈の頬を大きく円を描くように優しく触れる。

 優奈は俺の手を制そうと俺の手首をが、次第に諦めたのかされるがままの状態となる。


「いつもの優奈に少しは戻ったかな」


「やり口が少し強引ではありませんか?」


 俺は手を離して、優奈にそう言った。

 少しは気が紛れたのか、好き放題弄られた優奈は、散々触られた頬に手を当てながらそう呟くも、難しい顔をしていた表情が少し和らぐ。


「優奈にはいつも笑っててほしいんだよ。元気もらえるから」


「ふふっ。なんですかそれ」


 その一言に、ようやく優奈が口元が綻ばせると、今度は優奈が両手で挟んできた。すべすべとした手の感触が俺の頬を包んでいて、手のひらは少し温かい。

 そして目を見開く俺に向けて、


「お返しですよ。でも、ありがとうございます。わたしも元気もらっちゃいました」


 柔らかく愛おしく感じるような笑顔を向けて、優奈が言うと、その手を離した。


「さて、夕ご飯の準備の続きをしましょうか」

 

「おう。今日の夕飯はとんかつ……の他には?」


「はい。とんかつにキャベツのお味噌汁、キャベツたっぷりのサラダです」


 優奈がそう笑顔で今日の夕食の献立を告げると、俺は真っ先に冷蔵庫を開けた。

 そこにはぎっしりと敷き詰められるようにキャベツのみじん切りの入ったタッパーが三つほど重ねられていた。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「優奈は俺の手を制そうと俺の手首を○が」の部分、どうしたのか、と言う○の部分が消えてしまっているように思われます。
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