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彼女の夢

 ずっと心残りだったことも伝えることができ、倉橋さんが元気なことも確認できたので、あとは帰るのを見送るのみ。

 そう思っていたのだが――


 文化祭も終盤、廊下を歩いていると、体育館での出し物を終えたクラスが大道具小道具の片付けに廊下を何度も往復していて、その他の模擬店は売り上げを伸ばすべく最後の追い込みへと働いている様子が目に映る。

 それを見て改めて、今年の文化祭ももう終わりを迎えようとしていることを実感していた。


 そして模擬店に向けていた視線を前に向けた先には、シンプルで清楚な雰囲気を漂わせる一人の少女――倉橋さんが模擬店で購入したチュロスを美味しそうに口にしながら、騒がしさがやや収まった文化祭を楽しんでいた。


 実はあの後、倉橋さんから校内を案内してくれないかと頼み込まれてしまった。

 実は文化祭に来たのはほんの三十分ほどくらい前だったようで、さっきの美術室の展示品以外はまともに見て回っていないらしい。


 長期間引きこもり生活が続いてしまったため、人が大勢いる空間に身体を慣らすために今日ここに訪れたと言う。

 だとしても、それなら文化祭でなく商業施設の方が人は大勢いるし、何よりこういう場だと顔見知りの人間に会う確率が上がる。


 そう思って先ほど倉橋さんに尋ねてみれば、「スーパーやショッピングモールにはもう何度か行っているし、それにわたし、文化祭って初めてだから」と、軽く笑いながら返答が戻ってきた。

 

 彼女曰く、人に対する恐怖心はほとんど克服できていて人が密集する場所も平気になったようだが、あの出来事があって以降、倉橋さんの母親がかなりの心配性になってしまったようなのだ。

 自分の娘があのような経験をして引きこもりにまでなってしまったのだ。逆に心配しない親などいないだろう。


「……聞いてもいいかどうか迷ったんだけどさ」


 少し先を歩く倉橋さんが足を止め振り返る。

 これはずっと気がかりになっていたことがあったのだが、果たして聞いてもいいものなのかとも思っていて、少し低めの声音で発した。


「うん。どうしたの」


「あー……別に嫌だったら答えなくてもいいんだけどな……」

 

 俺は視線を逸らしながら歯切れ悪くそう言った後、それを口に出す。


「今、学校ってどうしてるんだ?」


 触れられたくないことなのかもと思いつつも、俺は倉橋さんに尋ねた。対して彼女は目を丸くしながら俺を見つめると、


「なーんだ。そんなことか」


「いやいやそんなことって。結構重要なことだろこれ」


 こちらの心配を他所に笑って見せる倉橋さんに、俺は慌てた様子で応じた。

 小学生時代の彼女の学力は優秀であったことは覚えている。そのまま中学、高校と進んでいたならば、もしかしたら倉橋さんが青蘭高校に通っていたのかもしれない。


「フリースクールって知ってる?」


「あ、あぁ。知ってるよ」


 フリースクールとは一般的な学校とは異なり細かいカリキュラムのが設定されておらずその日やりたいことを自分で決めて行うことができ、スクールそのものに通うことを強制としない居場所のことだ。

 フリースクールはなにかしらの原因で学校に通わない、もしくは通うことのできない子供たちの学び場だけではなく心の拠り所にもなる場所になっている。


「学校に行かなくなったあと別の小学校に転校したんだけど、どうも足が前に出なくて……また休みがちになっちゃって。半年くらい……だったかな。お母さんがチラシを持ってきてくれたのがきっかけでフリースクールの存在を知ったの。でも最初はどうしても踏み込めなかったんだ」


 トラウマは簡単に払拭されるものでもない。フリースクールでももしかしたらと嫌な考えが頭をよぎったのもあるだろうし、学校はこうあるべきという固定概念のようなものもあったのだろう。


「そのあとフリースクールの先生と何回か面談をした後にお試しって形で行ってみんだ。新鮮な空気感だったよ。わたしと違う年齢の子たちが一緒に勉強したり遊んだりしてて楽しそうだった。通っていくうちに、こういう学校の形があるんだなって思ったよ」

 

 その固定概念はいつしか倉橋さんの中から消えていった。実際に体験してみなければ見えないものがあるのは確かだ。


「そこから十五までフリースクールに通ってね。小中学校も何度か登校したんだけど、ほとんど保健室登校だったなぁ。それで今は通信制の高校に通ってる」


「そっか……」


 倉橋さんの現状を聞いて、とりあえず元気に過ごせていることを知って俺は少し安心した。


「行ってみて思ったけど通信制の学校も楽しいよ。登校日があるんだけど行ってみたらいろんな年齢層の人がいるんだ。中にはわたしと同じ境遇な人もいるから悩みだって打ち明けられるし、通信制だけど学校がまた楽しいって思えるようになったんだ」


 自分と同じ経験をした人たちにしか分からない痛みがある。それを共に分かち合うことで通ずるものがある。


「それに、夢ができたんだ」


「夢?」


「うん。嫌なことがあって学校に行きたくないって子供たちは今も、そしてこの先もいると思う。わたしが同じ体験をしたからこそ、そんな子供たちの逃げ道になってあげたいって思ったんだ」


 倉橋さんはこちらを見ると、笑顔をこぼして宣言するかのように言った。


「この先ももっと勉強して大学に入って将来はは心理カウンセラーになる。そして今度はわたしが困ってる子供たちをたくさん助けるんだ」


 彼女の夢の基盤となったのは通っていたフリースクールの経験だろう。あの場所こそが倉橋さんの心の救いの場所にもなり、同時に目指す夢への道標にもなった。


「って、小中まともに通えてないわたしが何言ってんだーって思っちゃうだろうけど」


「そんなことないだろ」


 俺は首を横に振る。


「痛みを共感できるっていうのは大事なことだし、倉橋さんの経験を伝えてあげることでこの先救われる人たちだって必ずいると思う。だから……向いてると思うよ」


「ありがと。背中を押してくれて。昔はわたしの後を追ってきたのに……追い抜かれちゃったね」


 そう言う俺を、倉橋さんは目を丸くしたあと小さく笑みを浮かべてスッと細める。そして懐かしむようにポツリと呟いた。

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