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愛しくて

 夏祭りから帰ってきた俺たちはドアを開けて玄関に上がり、消えていた部屋の電気を点けていく。

 

 まだ母さんは夏祭りの会場にいるのか、それとも帰路に着いているのか。スマホを確認するが特に連絡が入っていない。

 なんとなく嫌な予感がするのだが、ただ息子の思い過ごしだと信じたい。


 俺と優奈は浴衣を着替えに、一度お互いの部屋に戻った。

 慣れない浴衣に身を包み、夏祭りを楽しむ。

 今日この日も大切な思い出として記憶に残るだろう。


 流石に夏祭りにカメラを持っていくことはできなかったが、その分スマホにたくさんの思い出が詰め込まれている。

 

 帯を解き浴衣を脱いで綺麗に畳んで、ラフな部屋着へと着替える。階段に向かう途中、優奈のいる部屋の電気は点いていたので、まだ着替えている途中なのだろう。


 階段を降りて浴室へと向かい、お風呂を沸かし始める。

 今から勉強をする気になれず、スマホで撮影した写真を眺めていると、楽な服装の優奈がリビングに姿を見せた。簪でまとめられていた髪は解かれていて、いつものストレートヘアの優奈だった。

 

「何見てるんですか?」


「夏祭りのときに撮影した写真だよ。一緒に見る?」


 優奈は頷いて俺の隣に座ると、一緒に撮影した写真を眺める。


 食べている写真、娯楽を楽しむ写真。ムービーで撮った花火の動画、そして楽しそうに夜空に打ち上がる花火を眺める優奈の横顔が写っている。


「な、なんでわたしを撮ってたんですか?」


「花火を見てる優奈の横顔が可愛かったから」


 自分が撮影されていることに気がついていなかった優奈に問い詰められて笑顔で答えれば、恥ずかしがって俺の肩をぽかぽか叩いてくる。


 優奈が撮影した写真も眺めながらたくさん笑いあって、改めて今日は楽しかった一日だと実感した。


 入浴の準備が整えば、先に優奈がお風呂に入って上がると、次に俺が浴室へと向かう。

 母さんがまだ帰ってきていないので、お湯は張ったままにして俺もお風呂から上がった。


「髪、乾かしてあげます」


「ん。頼む」


 久々に優奈に髪を乾かしてもらって、俺は若干夢心地になっていた。

 その後、おやすみ、と俺たちはそれぞれの部屋へと向かいドアを閉める。


 スマホが震えて確認すると、母さんから連絡が入っていた。


『楽しんでまーす』


 その一言と、一枚の写真。

 母さんの友人、俺も顔見知りの人たちで飲んでいるらしく、見た感じまだ帰ってきそうな様子でもない。


『俺たち先に寝てるぞ』


 そう一通の連絡だけ入れて、俺はスマホを閉じるとベットに寝そべる。正直そこまで眠くはないのだが、このまま目を閉じてしまえばすぐに意識を手放せるようなそんな気がする。


 開いていた瞼を閉じようとしたそのとき――

 コンコン、とドアがノックされて、俺は閉じかけていた瞼を開いて身体を起こす。


「まだ起きてますか……?」


「あぁ、起きてるよ」


「その……まだ眠れなくて、できればまだ良くんと話したいなって思って……」


「うん、いいよ。入ってきて」


 ドアを開いた優奈が小さな歩幅が歩いてきてベットにちょこんと座ると、当たり前のように俺に体重を預けてくる。


「どうした?」


 どこかいつもよりも寂しそうな雰囲気を滲ませているような気がして、頭を撫でながら穏やかな口調で問いかける。


「……話したいって言うのは嘘です……ただ、話さなくてもいいから今日は良くんの傍にいたくて……」


「なんて可愛いお願いを口に出しちゃうんだよ」


 傍にいたいのは俺だって同じだ。

 本当に甘えたくなったとき以外は極力口には出さないように気をつけているが、蕩けた表情でこんな風に甘えられたら、甘やかしてやりたくなるに決まっている。

 

 しばらくの間頭を撫でていると、ふと腹部にくすぐったい感覚が電撃のように走る。

 優奈が服の上から、俺の腹筋を指でなぞっているのだ。恐る恐る指先が触れるか触れないかぐらいで触ってきているので、それが絶妙なくすぐったさを生み出している。


「あの、優奈さん。くすぐったいんでできればやめて欲しいんですけど……」


 俺がそう懇願するが、優奈はまるでやめようとしない。むしろ俺の反応を楽しむように小悪魔のように意地悪な笑みを浮かべて続けてくる。


「もしやめないんだったら俺にだって考えはあるんだぞ」


「考え?」


「優奈がしてるみたいに、俺も優奈のお腹に触れるぞ……」


 俺は優奈の腹部に視線を移す。相変わらず無駄なものが一切見当たらない優奈の腹部はとても引き締まっている。一度見たときは、あまりの美しさに言葉を失ってしまうほどだった。


 俺も優奈も、攻めは得意だが守りは脆すぎる。というか、一度受けてしまえばされるがままになってしまう。さっきまでの俺が正にそれだ。


 これで優奈がやめてくれれば、俺もそんなことはせずに済むのだが。


「……いいですよ。触っても……」


「えっ」


「良くんになら……触ってほしいです」


 優奈の口から発されたのは、ほぼ誘惑ともとれる魅惑の言葉だ。心臓はうるさいくらいに鳴り響いて、身体全体が熱くなる。


 自分の身体に触れることを許すなんて相当親密で信頼している人間でなければまずあり得ない。

 俺は優奈のことを彼女として好きだし、信頼をしているので身体に触れられることが嫌だとは思わないし、触れてほしいとも思っている。

 優奈だって、俺に心を許して信頼しているからこそ、頭を撫でることも、手を繋ぐことも、キスをすることだって受け入れてくれる。

 それだけ俺のことを信頼して、好いてくれているということだ。それは俺にもよく伝わっている。


 だからきっと――


「いいのか?触られるってことは……」


「きゃっ!」


 俺は優奈を抱きしめると、そのまま押し倒す。

 優奈は驚いたような声を上げてクリーム色の瞳を真っ直ぐこちらに向ける。


「触られるってことは、こういうことをするって意味だぞ……」


 すり減る理性を保ちながら、俺は優奈に言葉を投げかける。優奈は自分の胸に手を当てて呼吸を整えるように息を吸うと、その手は俺の頬を触れる。


「分かっていますよ……その上で、良くんに触れてほしいと言っているんです……だから……」


 そう言って、頬に触れる手をベットに落とすとそっと瞼を閉じた。まるで俺に全てを委ねるように。


 きっと優奈は俺が何をしてもその全てを優しく受け入れてくれるのだろう。

 

 でも――、


「……バカだな。本当……」


 笑って優奈の頭を撫でる。優奈はうっすら瞼を開いて潤んだ瞳で俺を見上げた。

 

 気づかないとでも思ったのか。

 頬を触れた優奈の手が、微かに震えていたことに。誰よりも近くにいる俺が優奈の様子の変化に気づかないわけない。


 そうなってしまうのは当然だ。心は不安と恐怖で溢れているだろう。それが身体の震えと涙目を生み出していて、怖くないわけがないのだ。それでも俺の前では強がって見せる彼女が愛おしい。


「優奈。まず最初にこれだけ言っておく……」


「は、い……」


 互いの吐息だけが自室に響きわたる中、バクバクとうるさい心臓はうるさくて言葉が閊えてしまいそうなほどに乾ききっていて、それでも言葉を紡ぐ。


「俺は優奈のことが好きだ。もう好きで好きで仕方ない。この前も泣きじゃくってた俺にずっと寄り添ってくれる優しいところも、今みたいに強がるところも全部好きだ」


「はい……」


「これはわがままだけど、そんな優奈の全部が欲しいって思ってる。手に入れたいって強く願ってる。もちろんこの瞬間も」


 潤みきったクリーム色の瞳と赤らんだ頬。白い肌は頬と同じくらい火照っていてとても色っぽく艶めいてみえる。

 一瞬でも気を抜けば、保っている理性は刈り取られてしまうことは容易に想像できる。


「でもさ。それ以上に、不安でいっぱいいっぱいで怖くて震えている優奈に手を出そうだなんて思わない」


 幸せにすると誓いの言葉を優奈に捧げた。

 今俺に押し倒されてこれから行為に及んだとひて、優奈は果たして幸せなのだろうか。


 徐々に慣れていって不安と恐怖がなくなるのはもちろんあるかもしれない。だけど少なくとも、今小さく震えている優奈と行為を及ぼうとは思わない。

 

「いつか優奈とできたらいいなとは思ってる。でもそれ以上に優奈に嫌な思いはさせたくないんだ。こういうのはなんかこう……お互いに思いやる気持ちを持った上でやるべきだと思ってる」


 それに、と緊張から震えた声で続ける。


「実は俺も……結構怖いんだ……」


 俺はもう一度優奈の頭を乗せて優しく撫でる。優奈は変化に気がついて、驚いたようにやや目を開いた。


「良くんの手、震えてる……」


「あぁ。優奈に余裕があるって思われたくて、カッコつけたくて頑張ってたけどこのザマだよ」


「……どうして?」


「もちろん初めてだからってこともあるよ。でもそれ以上に……優奈のこの先の未来を奪ってしまうかもって……それが何より怖い……」


 行為に及ぶということは、何かが起きる可能性があること。その何かを防ぐための道具はあるがしたからといって必ず、というわけではない。


「もしそうなったらもちろん責任はとる。この先もずっと添い遂げる。でも……もしそうなって苦しむのは優奈なんだよ……」


 たまに聞く話だが、学生同士で行為に及び新たな命が産まれた。だが男性の方は怖くなって、女性を捨てて逃げた。

 女性は一人でその子を育てたり、ときにはその命を見捨てることもある。


 心が痛くなる話だ。

 この場合はどちらにも非があると思う。  

 その場での欲求満たしさに行為に及び、そうならないための準備もケアもしなかったのだから。

 だがそんなときこそ男が責任を取って女性に寄り添ってやるべきなのに、あたかも自分は関係なかったかのような振る舞いで何事もなく生活するのが、どうしても許せない。


 もしそうなっとき、男には逃げるという選択肢が生まれる。だが女性にそんな選択肢なんてない。

 新たな命と共に歩むか、命を見殺しにするのか。学生にとってはどちらも酷な選択だ。


 それだけではない。

 やりたいことを見つけてこれからというときに、いっときの感情に身を任せてしまったせいで自分のやりたいことに挑戦できなくなってしまうことだってある。


「優奈が俺の背中を押してくれたように、優奈のデザイナーになりたいって夢の背中を押してやりたい。そのときに、俺がその夢の邪魔をする足枷だけには絶対になりたくない……」


 その後の言葉が出てこない。

 頭が真っ白になって、脳を回転させても優奈にかけていい言葉が見つからない。

 ただただ見つめ合っている時間が続いた。


「……良くん」


 ――その沈黙を破ったのは優奈だった。

 ポツリと呟くとどこか落ち着いたような表情を見せて俺の手に触れた。

 優奈の震えはいつの間にか止まっている。


「少し安心しました」


「え?」


「わたしに女として魅力がないのかなって」


「そ、そんなわけない!今だって……」


「ふふっ。もう充分すぎるくらいに伝わりましたよ」


 慌てふためく俺に、優奈は面白おかしくそうに笑う。

 魅力なんてありすぎる。可愛くて甘えん坊で人懐っこくていつもくっついてきてスタイルも完璧で……いくつあげてもキリがない。


「わたしは……そろそろ次の段階に進みたいって思っていました。付き合うようになって手を繋いでキスをして、将来の約束までされてしまって……」


 優奈は目を細めながら頬を赤らめ、とろけた表情で口にする。


「ごめん。気がつかなくって……」

 

「でもいいんです。こうして良くんの本当の気持ちを聞けましたから」


 肩を窄めて謝ると、優奈は首を横に振った。


「それでもわたしは……良くんとさらに深い関係になりたいって思ってます……」


「で、でも……」


 思わず表情が強張る。

 そう言ってくれたのが嬉しいからこそ、なんと返事を返せばいいのか分からなかった。


「これだけわたしのことを大切にしてくれていること。わたしの将来を真剣に考えてくれていること。こんなにも想ってくれる人が彼氏で、わたしは本当に幸せ者です」


 触れていた手の掌を自分の頬を当てる。優奈の体温を感じていたおかげか、俺も身体の震えが止まっていた。


「でも良くんが一人で悩むことではありませんよ。二人の問題なんですから……だから一緒に考えませんか……?どちらかの意見にするのではなくて、考え抜いて二人とも納得できるような答えを」


 優奈に負担をかけたくない俺。俺と深い関係になりたい優奈。どちらの意見も対極に位置していてこれでは答えなんて一生かかっても出せない。


「あぁ、分かった」


 そこから俺たちは話し合った。

 お互いに思っていることをもう一度伝えて、双方妥協点を見つけて。

 

 それだけこの話は重要なことで、俺と優奈はそれを分かっていた。


「うん。それなら、俺はいい」


「わたしも……大丈夫です」


 しばらく話し合って俺たちが出した結論。


 これからお互いこの手の知識の勉強をする。もし万が一の可能性が消えるわけではないが、限りなくゼロにできるように、充分な知識を得ること。

 お互いがちゃんと理解した上で、俺と優奈が納得できるときがきたら――、

 そしてその行為に及ばないのであれば、互いに相手に好きに触れてもいい、とルールを作った。


 とりあえずは当分先のことになるだろう。

 だが、優奈と話すことができて良かったと思っている。どちらかの一方的な欲を満たすものなんて、そんなものは愛情とは言えない。ただの暴力だ。


 俺と優奈は二人並んでベットに横になっていた。優奈はすっぽりと俺の腕に収まっていて腕枕を堪能。胸に顔を埋めていて、俺はそれを微笑ましく眺めていた。


「優奈」


「……なんですか?」


 身体はくっついたまま見上げる優奈の髪を腕枕していた方の手で軽く遊ぶ」


「その……関係を深めたいって言ってくれたときは凄く嬉しかった。ありがとうな」


 優奈もそれだけ俺のことを好きでいたからこそ、そう思ってくれていたと思っている。

 優奈は頬を桜色に染めるが小さく頷いてはにかむと、強く抱きついてきて頭を擦り付けてくる。


「えっと……当たってますよ?」


「わざとですよ……」


 腹部に感じる膨らみが強く主張してきて、俺は思わず目を逸らす。互いに決めて納得したルールの範囲内なので俺はなにも言えない。


 だが俺もやられっぱなしではいられない。優奈の背中にツーッと人差し指で軽く撫でると、分かりやすく身体をビクつかせて反応した。


 俺は手を伸ばして優奈の耳に優しく触れる。柔らかくて真っ赤に染まる耳朶の感触を味わうように触れ続ける。


「ちょっと……触りすぎ、ですよ……」


「これは腹筋に触ってた分のやつだから」


 優奈は甘い声を漏らして身体をバタバタさせる。それをさせまいと俺はできる限りの力で、優奈が苦しくないように抱きしめる。


 お互いの吐息が聞こえるくらいの距離に顔があり、優奈の顔は紅潮している。俺もきっと同じくらいだろう。


「愛してるよ。優奈」


 突然の愛してるに、優奈は大きく目を見開いて明らかに動揺する。身体をモジモジさせながらもう顔から湯気が出そうなほどの顔で、だが幸せが溢れかえったようなそんな笑顔で、


「はい……わたしもあなたを愛しています……」


 その言葉を聞いて、俺もさらなる熱を顔に宿す。優奈はそれを見てクスクスと笑いながら抱き締め返してきた。


「今日は……この部屋で寝る?」


 問いかけるが答えは返ってこなくて、代わりに抱き締める力を強めてくる。これが優奈の答えだなのだと受け取ると額に口づけを落として、


「おやすみ。俺だけのお姫様」


「おやすみなさい。わたしの愛しき王子様……」


 部屋の電気を消すと、薄い毛布を被る。

 冷房が効いた部屋で、俺と優奈は人肌で温めるようにピタリとくっつきながら眠りについた。

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