浴衣姫
247話のサブタイトル変更しました。
俺は壁に体重を預けるようにして、リビングで待っていた。
本来ならソファーなり椅子なりに腰掛けていたところならば、今はそうするわけにもいかない。
俺は今、浴衣に身を包んでいるからだ。
濃紺地を基調としたダークカラーの浴衣は細やかな古典柄で落ち着いている。帯は浴衣と同色の献上柄線角帯を使用していて着崩れを起こしにくいらしく、普段このようなものを着ない俺でも着こなせることができた。
髪型も優奈と出かけるときやバイトのとき用の髪型にセットしてある。
手には小物入れの信玄袋を持っていて、財布とスマホが入っている。
これ浴衣は、父さんが昔着ていたものらしいが母さんの言ったとおりサイズは大きすぎず小さすぎず問題ない。
父親が着ていた浴衣に袖を通すことができるのを俺は嬉しく感じていた。父と同じものを着れるようにまで成長した証に感じて、感傷に浸りながら紺地の浴衣を眺めた。
優奈は、今母さんと一緒に浴衣の着付けを行なっている。俺も特に気にしてはいないので、気長に待つことにした。
しばらくすると、母さんが少し大きな足音を立てて階段を降りてきた。
「あら。よく似合ってるじゃない。やっぱり健二郎さんと母さんの息子ね。雰囲気なんて健二郎さんともうそっくりよ。付き合ってから一緒に夏祭りに行ったときを思い出すわね」
自分の若かりし頃を遠い目で感慨深そうにして母さんは懐かしむ。
「そりゃどーも。それで、優奈の着付けはもう終わったの?」
「うん。今は必要なものの準備をしてる」
優奈の浴衣は一体どんな感じなのだろうか。
女性で人気なのは青色や水色だ。優奈もよく好んでいる色なので、寒色系の浴衣を選んでいるのかもしれない。
暖色系も浴衣も捨てがたく、どちらにせよ似合っていることは間違いない。
「良介。なんで二階に上ろうとするの?」
「優奈のところにな。慣れない浴衣で階段を降りるはきついだろうし」
階段を二段ほど登ったところで、母さんからの問いかけに振り返って答える。
「そういう小さいところから男らしさをアピールするのはいいことだと思うわよ」
「別にアピールしたくてやるわけじゃないっての。心配からくる余計なお節介だ」
「そんな気遣いが女の子は一番嬉しいことなんだけどね。細かいところまで気を配れるところが良介のいいところだと思うわ」
「いきなりそんなこと言うなよ。なんか気持ち悪い」
あまり言われ慣れない言葉を面と向かって言われるとどこか調子が狂ってしまう。
プイッと向けていた顔を逸らして階段を登っていけば、「やだ照れちゃってー」と、母さんの笑い声が聞こえるが、無視して優奈のいる部屋へと向かった。
「優奈」
ノックして、このドアの向こうの部屋にいる優奈に声をかける。
「もう少しだけ待っていただけますか?」
「あぁごめん。別に急かしにきたわけじゃないんだ。ただ優奈が階段降りるのが大変だろうから手でも引いてあげようと思っただけでな。ゆっくりでいいぞ」
ドアから少し離れた場所で、俺は階段の小さな窓から見える景色を眺める。
さきほどまで澄み切った青空は夕陽によって炎のように真っ赤な世界を作り出していた。
レバーハンドルが動き、ドアが開く音がして反射的にその方向に視線がついた。
「お待たせしました」
優奈は声に僅かに申し訳なさがこもっている。着付けは女性の方が大変なことは理解しているので、気にしていない、と言葉を返して優しく微笑むと優奈の口元が柔らかく緩んだ。
「……似合ってんな」
その場に佇む優奈の浴衣姿をジッと見つめると、俺はポツリと呟いた。
生地は白地に近いベージュで柔らかくも程よい女性らしさを醸し出している。柄は美しい画風で描かれた藍色の朝顔が咲き誇っていて、帯はシンプルな黒の浴衣帯だ。
結い上げられた髪は、大きく青い紫陽花の簪でまとめられている。
化粧は目立たない程度のナチュラルメイクだが、とても色っぽい。艶やかに彩っている唇は血色が良くて、思わず視線が釘付けになってしまいそうだった。
派手ではないが落ち着きと気品さを感じさせるのは、優奈がこれらを完璧に着こなしているからだろう。
「……似合ってますか?」
「あぁ。とてもよく似合ってる。去年も似合ってたけど、今年の浴衣姿も凄く素敵だ」
「本当ですか、ありがとうございます」
思わず緩んだ口元をそのままに頷いて褒めると、不安げで晴れなかった優奈の表情が安堵したように明るくなる。
いつもの流れで頭を撫でそうになってしまったが、結い上げた髪が崩れてしまうので、寸前で止めてその手を引っ込める。
優奈は少し寂しげな瞳を覗かせてこちらを見上げると、小さく唸って不服の意思を示す。
「撫でたらせっかくの髪が台無しになっちゃうからな」
かなり時間を要したであろうその髪型を、俺の欲求を満たしたいがために崩すわけにはいかない。最も優奈も撫でられたがっていたが、その分家に帰ってから思う存分してやることにする。
「良くんも浴衣姿、サマになっていて……とてもカッコイイです」
「なら良かった」
優奈の褒め言葉を素直に受け取って、俺は淡い笑みを見せると優奈に手を差し伸べる。
「優奈。歩き慣れるのに時間もかかるだろうから、階段で転ばないように支えるよ」
「ふふっ。改めて凄く大事にされてるって実感が湧いてきます」
「大事で大切な存在だからな」
優奈は小さく笑って俺の手をとると、階段を降り始める。優奈のペースで焦らずゆっくりと。
階段を降りて玄関へと向かい、三和土に並んでいる下駄を履く。下駄なんてものは履いたことはないので、履き慣れるのにも時間がかかるだろう。
「母さんもあとで友達と祭りに行くから」
「分かった。酒の飲み過ぎには注意してくれよな」
「はいはい。母親の心配なんてしないで若者二人はお祭りを楽しんできなさい」
「あぁ、行ってくるよ」
「行ってきます」
俺たちは玄関を出る。まだ暑さは感じるが午前ほどではないので、過ごしやすい方だろう。
「楽しみですね」
「優奈はここのお祭り初めてだからな。俺もずっと昔に行っただけだからあまり変わらないけど、今年は優奈がいるからな」
憂鬱に感じていた地元の祭りも、今年は胸躍っている。それは間違いなく優奈のおかげだ。
「わたしも楽しみに感じているのは、良くんがいるからですよ」
手を強く握りしめ合うと、お互い自然に笑みがこぼれて、下駄をカツッカツッと鳴らしながら、夏祭りの会場へと足を運んだ。
優奈の浴衣姿も今の今まで悩んでいたんですよ。




