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泣き腫らした翌日の朝

 意識が目を覚ましたときは、すでに夜が明けていた。


 目の水分は枯れ果てていて目元がぼやけている。きっと腫れあがっていて顔はむくんでいるに違いない。だがいつもよりもぐっすり眠ることができたのか、心にかかっていた霧がまるで晴れてかのような爽快感があった。


 (えっと……昨日は……)


 ぼんやりとした視界を広げながら、俺は昨日の出来事を遡っていく。


 泣いてもいいと言われたその瞬間、俺は一年ぶりに優奈に涙を見せると、小さな子供になったように情けないほどに泣いた。

 俺でも気がつかないくらいに溜め込んでいたぐちゃぐちゃになった感情は涙に変換されて、泣いても泣いても止まることを知らなかった。


 一旦風呂に入って、いろんなものを洗い流してスッキリしたつもりだったのだが、部屋に戻ってふとしたときには、もう涙が頬を伝っていた。

 

 それを察したかのようにタイミングよく優奈が自室に訪れて、また優しさを俺に向けてくれた。まさかこれほどまで泣きじゃくってしまったのは自分でも想定外ではあった。

 

 母さんも、昨夜俺がどんな状態だったのかは知っているはずだ。優奈が呼びに向かってたから一階に降りてくるまでそれなりに時間は経過していたし、充血した目で浴室へと向かったのを見ていた。


 何も言わなかったのは母さんの優しさだと思っている。きっと優奈が俺が溜め込んでいたものを吐き出してくれていたのだろうと、母さんが感じ取ってくれたのだろう。


 結局、優奈は泣き止むまでずっと傍にいてくれた。どれほど泣いたのかは覚えていないのだが、それだけは覚えている。


 それに泣いてもいいんだ、と受け入れられたら我慢していたものが切れて止まらなくなってしまった。おそらく以前よりも泣いて、泣いて、泣き声を上げただろう。


 思い出せば思い出すほどに、昨日は恥ずかしい姿を優奈に全て見られたような気がして、俺は枕に顔を埋めて唸ることしかできない。


 二十六度に温度設定した自室は先ほどまで快適だったのに、顔と身体が熱くなっていき火を噴きそうなほどに赤く染まって汗が滲み出てきそうだった。


 (優奈にどんな顔して会えばいいんだよ……)


 枕に埋めた顔を上げて、俺は考える。

 昨日の姿を見たからといって、優奈の俺の評価が変わるわけではないことは分かっている。

 だがそれとこれとは話は別で、単に俺自身の気持ちの問題だった。


 昨日の醜態は以前も晒したのだが、彼女の前で泣き顔を見られるのは変わらず羞恥を覚える。

 見せたいのはカッコいいところや頼もしいと思われる姿であって、泣いている姿ではないのだ。


 熟考してみるが、大したことなんて思い浮かぶわけもなく、また顔を枕に埋めては声にならない声を漏らしながらベットに拳を打ちつけていた。

 

 コンコン。

 二回ドアをノックする音がして、俺は唸り声と拳の動きを止め、うつ伏せの状態で息はできるように首の向きは壁側に向けて瞼を閉じる。


 これは小さな抵抗で、ドアの前にいるのが母さんでも優奈でも、今の顔は見られたくはない。

 せめてもう少し色々と整理がついてからノックして欲しかったと、心の中で強く叫んだ。


「おはようございます。起きてますか?」


 優奈の控えめで綺麗な声がドア越しに聞こえる。いつもなら返事をしているが、今は寝たふりを突き通すと決めているので、罪悪感を抱きながら俺は黙っていた。


「……失礼します……」


 言葉が返ってこなかったので寝ていると判断したのだろう、起こさないように音を立てずゆっくりとドアを開ける。小さな足音が近づいてきて、目の前でピタリと止まった。


「もう。そんな寝姿だと変なところを痛めてしまいますよ」


 うつ伏せで眠っていたことに、優奈は小さな笑みをこぼして軽く注意の言葉をかける。


「良くん。起きてください」


 元々起きていることも知らずに、優奈は軽く肩を揺さぶられる。「んー……」とまるでまだ夢の世界にいるかのような寝ぼけた声を上げた。


「起きないのも無理はないですね。昨日夜遅くまで泣き腫らしていたわけですから。おそらく泣き疲れているのでしょう」


 優奈の手が俺の頭に触れて、撫でる。少しひんやりとして気持ちいい。

 何より、触れる彼女の指のから優しさを感じる。それだけで心が温まっていく感じがした。


「良くんのことだからまた情けない姿とか、弱いところを見せちゃったとか思っているんでしょう」


 クスッと優奈は小さな笑い声を漏らしながら、ついさっきまで思っていたことを的確に捉えてくる。思わず反応しそうになるのをグッと堪えて、小さな寝息を立てる。


「そうやってわたしの前でカッコつけようとする良くんも大好きなんですけどね」


 僅かにベッドが沈む。優奈がベッドに腰を下ろしたのだ。


「泣いてる良くんも、この寝癖も、立てている寝息も、この体温も、全部ひっくるめてわたしが大好きなあなたなんですから。だから……気に止むことなんて何もないんですよ……」


 身が震えそうになりながら、心地よい声と安心感を与える手の掌と指の感触を感じながら、


 (優奈を好きになってよかった……)


 俺は心の底からそう思うのだった。


「良くん。もう朝ですよ。朝ご飯が冷めちゃいます」


 布団を優しく剥がされると、ゴロン、と寝返りをうって目を開く。


「おはようございます。今日もいい朝ですね」


 朝の目覚めを知らせる優奈の声が響く。

 泣き腫れた目に、優奈の笑顔と太陽の光は眩しすぎると、僅かに目を細める。


「おはよう。優奈」


 うっすらと映った視界は、既に身なりを整えていてエプロン姿の優奈が立っていた。


「まだ目元が赤いですね。朝ごはんの前にちゃんと顔を洗ってください」


「ん」


 やっぱり腫れてるよな、と目元に手を当てると、「擦ってはだめですよ」と穏やかな口調で注意をされて、「分かってるよ」と返事をする。


「その、昨日はありがとうな。夜遅くまでずっと近くにいてくれて。本当に……安心できた……」


 続けて、昨夜の件の礼を口に出した。

 散々泣いただけではなく、あの人に会いに行ったときに結局言わないでいた愚痴を優奈に吐き出してしまった。それについては本当に申し訳なくて、頭が上がらないでいた。


「気は晴れましたか?」


「あぁ、おかげさまで」


「それなら良かったです」


 優奈はあくまで俺のことを第一に考えて心配してくれていた。普段眠りにつく時間はとっくに過ぎていたのに、それでもずっと傍にいてくれた。


 俺は間違いなく惚れ直しているだろう。そうでなければ、この胸の高鳴りの説明をつけることはできない。この先も優奈のことを大事にしようと心に決める。


 朝食も用意は済んでいると言っていたので、今頃母さんは一人で待っているだろう。

 

「また泣きたいときがあったら言ってください。ずっと傍にいますから」


 立ち上がる俺の手を優奈は軽く握る。


「泣きたいときだけじゃなくて、もうずっと近くにいてくれ」


 手の掌を握り返して、今できる最大限の笑みを浮かべると、優奈も微笑みを返して、俺たちは階段をゆっくり降りていった。

帰省編も残すところあと夏祭りのみです。

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