妖精姫
着替えやその他諸々の準備を済ませた俺は、脱衣所にある鏡と向かい合っていた。
「良介もいつの間にか色気づいちゃってまぁ。つい一年ほど前まで全くお洒落に興味なんてなかったのに」
干していた洗濯物を回収して畳んでいた母さんが何やら楽しそうに笑っている。自宅から持ってきたムースで髪の毛をセットしていたときからずっとこちらに視線を向けてはニヤリと微笑むので、なんだよ、と口に出せば、別に、と口元を上げたまま母さんは家事をこなしていた。
「そりゃ一年も経てば身なりに気を遣ったりはするだろ。それに優奈にも……カッコいいって思ってもらいたいし」
「良介をここまで変えてくれた優奈ちゃんに感謝しないとね」
母さんはそう言い残して、畳んだタオルを脱衣所へと片付けに向かった。
その優奈はというと、いま自室で身支度を整えている。優奈が使っている部屋には母さんが昔使っていたドレッサーが置いてあって、優奈はそこで着替えやメイクなど行っている。
母さんが結婚して以来、主に洗面台の鏡でメイクをするようになったので長年使用されておらず埃が被っていた状態だったのだが、優奈が来てからまた使用されるようになったので、きっとドレッサーも喜んでいることだろう。
さっき優奈から『もう少しです』とメッセージが入ったので、髪を整え終わった俺は、椅子に腰掛けてスマホを弄りながら優奈が降りてくるのを待っていた。
しばらくすると、トントンと階段を降りる音が聞こえてきて、その音は徐々に近づいてくる。
「お待たせしました」
階段を降りてリビングに姿を見せた優奈は笑顔をこちらに向ける。
その姿が視界に入った瞬間、ドキッと鼓動を大きく高鳴らせた。
優奈が着ていたのは、ふんわりとした真っ白なワンピースだった。優奈の首元から鎖骨、肩周りなどのネックラインが大きく開いており、綺麗で白い肌を覗かせていてとても華やかだ。胸元と袖にはフリルがあしらわれていて、ワンピースに彩りを加えていた。
膝丈ほどのスカートは、長すぎずも短すぎず足元はスッキリに仕上がっていて、動きやすそうに見える。
おそらく素材にコットンを使用しているのだろう、優奈自身とても涼しそうで、見ている俺もとても涼しげな印象を受けた。
優奈はつばが広めの麦わら帽子を大事そうに持っていて、ワンピースと同じ白いリボンが付けられている。腕には籠バックをかけていて、ひまわり畑デートにこれ以上ないほどのコーデだった。
「そ、そんなにまじまじと見ないでください……」
俺はスマホを弄る手を止めて優奈に見惚れていて、優奈は恥ずかしげに唇を結びながら俯いて、顔は見えないように麦わら帽子で隠す。
まるで優奈が妖精になったように見えて、目を奪われていた俺は、持っていたスマホを落としてしまったことにも気がつかずに、つま先を直撃した。
「いっ!……つぅ……」
痛みに襲われて我に返った俺は、悲痛の声を漏らしてつま先を抑える。俺の声を聞いた優奈は、麦わら帽子で隠していた顔を見せて、心配した表情で俺の元まで駆け寄ってしゃがみ込む。
「だ、大丈夫ですか?」
「お、おう。優奈があまりにも可愛かったらつい見惚れてしまった」
優奈と顔を見合わせて、思ったことを口に出して笑顔を見せれば、また麦わら帽子で隠して優奈の顔が見えなくなってしまった。
「なんで顔隠すんだよ」
「あまりこういった服で外には出歩かないので似合っているかどうか……あとちょっと恥ずかしくて……」
「俺が見惚れたくらいには似合ってる」
「そ、そんなにですか?」
「俺の様子から見て分かるだろ……」
ワンピース姿を見た瞬間に、まるで優奈が妖精になったのではと錯覚してしまうくらいには可愛く見えた。
俺の反応を見て安心したのか、立ち上がった優奈は手に持った麦わら帽子を背中に隠して、柔らかく微笑んだ。
「あら、優奈ちゃん。とても可愛いわ!」
「ありがとうございます」
脱衣所で洗濯物を片付けていた母さんが戻ってきて、ワンピース姿の優奈を見て歓喜の声を上げて、優奈も笑顔で応じた。
「ん?良介はしゃがみこんでどうしたの?」
「な、なんでもない」
母さんには優奈に見惚れてスマホを落としてしまい、それがつま先に当たって痛みでしゃがんでいたなんて言えない。見惚れていたのは母さんも同じだが、スマホを落としたのは自分の落ち度でもあるので母さんに笑われるのが目に見えている。
母さんはふーん、と気に止めることもない様子を見せてまた優奈に目をやったので、俺は小さく安堵する。
「そうだ二人とも。飲み物だけ渡しておくね。今日はまだ涼しい方だけど夏だから、ちゃんと水分補給しないとね」
母さんは冷蔵庫の方へと向かって歩き出し開けると、二本のペットボトルを取り出す。それをタオルで巻いてゴムで止めたあと、俺たちに手渡した。
「ん、サンキュ」
「ありがとうございます。良くん。わたしが預かってますよ。バック持っていますから」
優奈にペットボトルの飲み物を預かってもらって、ありがと、と口にして俺は小さく微笑んだ。
「帰るときに連絡ちょうだいね。ご飯の準備始めるから」
「分かった。それじゃあ行ってくる」
「行ってきます」
母さんと軽く言葉を交わしたあと、俺たちは玄関を出て外に出た。
真夏の日差しに俺は思わず手をかざす。確かに太陽が照りつけてくる割には、それほどまでに暑さを感じることはない。
だが、しばらく快適な家の中で過ごしていたせいか、身体に鉛が入っているのではと思うくらい重く感じた。今日のひまわり畑デートを楽しむと共に、この鈍った身体を起こすことにする。
スッと優奈に手を差し出せば、優奈も俺の手を緩く握りしめてくる。
「さて、久しぶりのデート楽しみましょうか」
「はい。ちゃんとエスコートしてくださいね」
「お任せくださいな」
俺たちは笑い合って、ひまわり畑のある自然公園へと向けて一歩を踏み出した。
白のワンピースにするか淡い黄色のワンピースにするか悩んだ期間は一週間……




