構ってほしいお姫様
脱衣所の扉の開く音がすると、最初にお風呂に入っていた優奈が寝衣姿で戻ってきた。
「どう?お湯加減も大丈夫だった?」
「はい。とても気持ちよかったです。毎回最初にお風呂をいただいて、ありがとうございます」
「いいのよ。良介もその方が喜ぶだろうし」
「おい。まるで俺が変態みたいな言い方じゃねぇの」
何故か急に俺の名前が出され、しかも変な誤解を招きそうな言い方をされたので、勤しんでいた読書を一旦止めて栞を挟み、ムッとした表情を浮かべて母さんを見る。
その母さんは、優奈の方を見ていて「可愛い!」と声に出して優奈の寝衣姿を褒めちぎっていた。
シンプルで無地のパステルカラーの寝衣は通気性が良い生地でできていて、六部丈のパンツに半袖の襟付きシャツは前開きになっている。
淡い色合いの寝衣は柔らかく優しい印象を持たせて、優奈の女の子らしさが増していた。
髪の毛はお団子状にして高い位置に結ばれていた。
「良介。次入ってきてもいいわよ」
「いや。先に母さんが入ってきてもいいよ。俺が風呂掃除やっておくし」
「そう?じゃあお言葉に甘えて先に入るわね。ごめんね、優奈ちゃんの次に入っちゃって」
「いいから早よ入れ」
ふふっと笑う母さんに俺は呆れたように言葉を発すると、母さんは浴室へと向かう。その姿を横目で見ていた俺は扉が閉まったのを確認してため息を吐いた。
優奈はソファーまで近づいてくると、俺の隣にちょこんと腰を下ろして、もはや当たり前のようにはお互いの肌が密着し合うぐらいの距離まで詰めてくる。
薄めの生地に隠れていない肌は吸い付いてきて、まるでお餅のように柔らかい。また、お風呂上がりのためいつもの白い肌は若干赤みを帯びている。
いつも使用しているシャンプーやボディーソープ、そして優奈の本人の甘い香りが零距離から鼻腔に広がった。
俺は心地よさを覚えながら、また本を広げ視線を落として文章を読み始めようとする。
「何読んでるんですか?」
「ん?宮島教授が執筆した本。ほら、さっき言ってた筑江大学の教授してる人」
優奈に見えるように本を見せてやる。
それはすっかり日焼けしきっていて、ところどころ黄色いシミができている。擦り切れるまで読み返したページはもうボロボロだ。
宮島教授と話をする機会があってから、また読み直そうと思ったのだ。
直接本人の言葉を聞いたあとにもう一度読み返してみると、文章の重みが全然違う。おそらく今までで一番真剣に読み返しているだろう。
へぇー、と唸るような声を上げる優奈に俺は微笑みを浮かべて、俺は読書に戻る。
優奈もスマホを手に取ってメッセージを返信したしていたのだが、ちょくちょく優奈からの横目の視線が俺に注がれてくる。最初は一瞬だけだったのだが、二秒、三秒と増えていき、今は俺に身体を預けるようにもたれかかってきて、覗き込むように優奈も本に目を通していた。
「良くん」
「んー?」
しばらくして優奈に名前を呼ばれて、俺は本に視線を落としたまま気の抜けた返事を返す。すると優奈に指先で頬をツンツン突かれた。
特に気になるほどでもないので、そのまま読書を続けることにする。
「良くん」
「んー?」
「構ってほしいです」
顔の向きを変えると、頬を風船のようにプクッと膨らませてしょんぼりした表情で頬を突いてくる優奈の姿があった。
「良くんにとってその本はとても大切なものだってことは分かります。でも……」
寂しげな声で優奈はそう訴えかけてきた。
「もしかして、本に嫉妬しちゃったのかな?」
「そうです。大好きな良くんが本に奪られちゃった気分です」
尋ねれば優奈はさらに機嫌を損ねたような顔を浮かべてプイッとそっぽを向いてしまった。
俺はクスッと小さく笑って優奈の頭を撫でると、優奈の表情はたちまち明るくなってこちらを向いて気持ちよさそうに撫でられていた。
「キリが良いところまでもう少しだから、そしたら優奈に構ってあげられるから、それでいい?」
一瞬シュンと表情を曇らせるが、優奈は小さく首を縦に振ってくれた。俺は手を回して優奈の肩をこちらに抱き寄せながら本を読んでいく。
「別に無理しなくてもいいんですよ?」
「そんな寂しそうな顔してよく言うよ。じゃあ俺が優奈にこうしたくなったから」
俺は本に意識を向けて、器用に片手でページをめくっていく。優奈を抱き寄せた手で優奈の側頭部を優しく撫でると、優奈も安心したような小さな吐息を漏らして、瞳をゆっくり閉じる。
五分ほどして、キリのいいところまで読み終えて栞を挟む。パタンと本を閉じた音で優奈は瞼を開く。
淡く微笑んだ俺は、両手で優奈の頬を挟むようにして触れると、優奈は瞳をとろんとさせて口元を緩ませて、俺の手が離れることができないように自分の手を重ねてきた。
「ご満悦していただけました?」
「はい。やっと良くんが構ってくれました」
「いや毎日構ってるけどね。さっきだって寂しくならないように抱きしめてたんだけど……」
「それじゃあ物足りません。隣にわたしがいるときは……できる限りわたしを優先してほしいです……」
上目遣いで可愛らしいお願いの言葉を口にする優奈に、思わず言葉を詰まらせる。彼女が捨てられた仔犬みたいなつぶらで今にも泣きそうな目で見られたら、断れる彼氏なんていない。
「全く……とんだわがままなお姫様だ。そんなところも大好きだけど」
「わたしもこうやって受け入れてくれる良くんが大好きですよ」
優奈は胸元に顔を埋めて、今日一日分の甘えを満たすかのように擦り寄ってきて、俺は愛しさを覚えながら優しく丁寧に頭を撫でて、髪に触れる。
優奈の程よい体温が全身に伝わっていて、それをもっと感じるために、実家に帰ってきていることを忘れて俺は優奈を抱きしめた。
「結局、一日も我慢できませんでしたね」
「それだけお互い好きってことだろ。さすがに重症だと思うけどな」
トントン、と一定のリズムで優奈の背中を叩いてやると、優奈は開いていた瞼をゆっくり閉じて、心地よさそうに俺に身体を預けてくる。
母さんが戻ってくるまでには離れないとな、と思いながら、俺は小さく笑った。




