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憧れと見失っていた理由

 俺たちは場所を移動して屋根付きベンチに腰を下ろしていた。自販機の前で話すには人目がつくし迷惑だからと、宮島教授からの提案だ。


 その屋根付きベンチは囲むように立ち並んでいる講義棟の中心に設置されているので、そこはずっと影ができている。そこまで暑さを感じることはない。


「ここ、わたしのお気に入りの場所なんですよ。人通りも少ないですし。休みたいときや一人になりたいときはよくここに来るんです」


 周りを見渡せば、生徒が時々行き来する姿を見かけるぐらいで、人で溢れている様子ではない。この大学の穴場スポットみたいなものなのだろう。


 宮島教授は俺を見て笑いかけると、持っていた缶コーヒーを開ける。


「宮島教授もコーヒーがお好きなんですか?」


 宮島教授が持っていたのは俺と同じブラックコーヒーだった。


「はい。えっと……お名前をお伺いしても?」


「柿谷。柿谷良介と言います」


「柿谷くんですね。柿谷くんもブラックコーヒーを飲まれるんですか。大人ですね」


「いえ。そんなことは」


 同じコーヒー好きという共通点が発見できてお互いに淡く微笑んだあとコーヒーを飲み始める。いつもの苦味が口の中に広がって、それを噛み締めるように味わった。


「それで、わたしに聞きたいことと言うのは?」


 宮島教授はこちらを向いて優しい声音で尋ねる。

 わざわざ時間を割いて俺の質問に答えてくれているのだ。缶コーヒーをベンチに置いて服装を少し正したあと宮島教授の方を向いて、


「その……なんで宮島教授は先生を目指そうと思ったのですか?」


 投げかけた質問に、宮島教授は少々目を丸くしていた。てっきり進路のこととかそう言った類の質問をしてくると思っていただけに、予想外と言ったところだろうか。


「宮島教授は過去に本を出版されていますね」


「はい。三、四年くらい前ですけどね。もしかして読んでくださっているんですか?」


「はい。購入して何回も読みました」


 俺は鞄からその本を取り出して、宮島教授に見せる。なんか恥ずかしいですね、と苦笑いを浮かべていて宮島教授は少し照れた様子を見せた。


 俺が中学生のとき、宮島教授は『もう一度』というタイトルの本を執筆している。自身の幼少期から現在に至るまでの実体験、そこで学んだ教訓や感じたことが細かく執筆されていて、現時点でニ万部売れている。


 偶然書店で見つけて、いざ購入して読んでみると、気がつけば本が擦り切れるほどまでに読み込んでいた。


「これを読んでいて、勝手なんですけど自分と宮島教授って似ているんだなって思ったんです」


 宮島教授も幼少期はかなり苦労して育っている。似ていると言ったが、おそらく俺以上に大変な思いをしていたのかもしれない。


 宮島教授の父親は自営業。母親は専業主婦として、どちらかといえば裕福な家庭で育ってきたらしい。宮島教授も明るく優しい性格で、友達も多く慕われていたそうだ。


 だが、宮島教授が小学六年生の頃に父親の会社の経営が傾いてしまい、その後も経営は回復することなく会社は倒産。多くの借金を背負うことになってしまい、裕福な生活から一転して、貧しい生活を始めることになった。


 その後は父親だけでなく宮島教授の母親もパートを始めて、二人とも朝早くからなる遅くまで働きに出ていて、宮島教授はほとんどの時間を一人で過ごしていた。

 それに学校では、今まで仲の良かった友達から会社が倒産したことや毎日同じ服を着ていることを馬鹿にされたり冷やかされたりしたそうで、やがて宮島教授の周りからは友達がいなくなったらしい。


 中学に上がっても現状は変わらず、むしろ悪くなっていく一方だった。やがて学校にも行かなくなってしまい、悪い連中とつるむようになって夜になっても家に帰らなくなったそうだ。


「今となってはわたしにとっての黒歴史みたいなものですね。あの頃は荒んでいまして、両親と顔を合わせては毎日喧嘩していまして、本当に申し訳ないことをしてしまいました」


 どこか後悔を滲ませるように宮島教授は言った。


「本当は話したいのに両親の前だと少し強がってしまって素直になれなくて、でも両親以外に相談できる人はいなかったし、問題児だったわたしに向き合ってくれる人もいなかった。いないと思ってたんです。でも……こんな俺に両親以外で本気で向き合ってくれた人がいたんです。それが当時の担任でした」


「確か……家にまで押しかけて来たんですよね」


「はい。それも今までの学校のプリントや配布物全部持ってきて。当時は本当にびっくりしましたよ」


 懐かしむように宮島教授は微笑を浮かべて、それが人生の分岐点だった、と続けて言う。


「まず家に来たと思ったら、鬼の形相でわたしの前まで歩いてくるとまずビンタを喰らいましたよ。今の時代だと教員はやってはいけない行為ですけど」


 そこから、宮島教授とその担任の先生は二時間以上二人で話し合っていた。ときにはお互い怒鳴り合って思いの丈をぶつけ合ったらしい。


「そのとき聞いたんですよ。どうしてわたしなんかにそんなに本気になるんですかって。時間の無駄でしょって。そしたら俺の生徒だからに決まってるだろって、大泣きしながらそう言ってくれて……そのとき、こんなわたしにもちゃんと向き合ってくれる人がいるんだなって、そう思ったんです」


 その日のうちに両親と話し合って謝罪をして、その翌日から宮島教授はまた学校に通い始めた。周りからの冷たい視線は感じていたそうだが、そんなものは気にならなかったそうだ。例え友達がいなかったとしても、それよりも自分と向き合ってくれる人の期待に応えたいと、今までの遅れを取り戻すかのように必死に勉強したと、本にも書かれていた。


「そのうち進路を決めるって考えていく中で、その担任の先生のようになりたいって思いが強くなっていって、教師を志すようになりました。元々子供は好きでしたし、小学校の頃は教えるのも得意でしたから先生の仕事に活かせるかなって思って。これがわたしが先生を目指そうと思った理由ですかね」


 話に一区切りがついて、宮島教授は深く息を吐いてコーヒーを口にする。


「柿谷くんは今二年生ですか?」


「はい」


「そうですか。ちょうど進路のことを考え始める時期ですね。ちなみに今日はどこの学部の見学を?」


「教育学部です」


「ということは将来は先生を目指しているということですか?」


「一応は……そのつもりです……でもあまり自信がないっていうか……俺が先生になってもいいのかなって……何か特別な理由がないとなってはいけない気がして……」


 先生になるということは、子供たちの未来を預かるということ。それは並大抵の覚悟では務まらない。

 それに俺は……あの担任の腐った教育を受けた生徒で、恩人を辛い目に合わせている。そんな俺が先生になりたいなどと、言っていいものなのだろうか。


「柿谷くんは先生になりたいのですよね」


「……はい」


「ならばまずは自分のその気持ちを尊重してあげてください」


 苦しい表情を見せる俺に、宮島教授は安心させるような優しい笑みを見せる。


「確かに何かになるための特別な理由はあるかもしれませんが、それが全てではない。わたしはあのときわたしを救ってくれた先生のようになりたいと思ったら先生を目指した。ただそれだけの理由です。何かになるために難しい理由なんて要らないと思いますよ」


「なんで俺が先生になりたいのか……」


「難しく考えない。もっと自分な気持ちに素直になって」


 俺は目を瞑って深く深呼吸をする。何も考えずに。正直に。


 ……そうだ。俺が先生になりたいって思った理由は――。


「宮島教授。ありがとうございます」


「自分の答えは見つけることはできましたか?」


「はい」


 真っ直ぐな眼差しで、俺は宮島教授も見つめる。


「ならその気持ちを忘れずに。きっと柿谷くんの心の支えになってくれると思いますから」


 想いが届いたのか、宮島教授も納得したように強く頷く。


「宮島教授。わざわざお時間とっていただいてありがとうございました」


「いえ。未来の若者の力になれたのなら、わたしもすごく光栄です。これからも頑張ってくださいね」


「はい」


 宮島教授はもう一度微笑むと、缶コーヒーを手に持って踵を返して大学へと戻っていく。その背中はとても大きくて眩しく見えた。


 俺もベンチに置いていた鞄を背負って、残っていた缶コーヒーを飲み干すと、大学の校門に向けて走り出す。


 もうそこに、将来の夢に悩んで迷っている俺はいなかった。

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