勝手に決まってしまった勝負
「好きです。付き合ってください」
昼休み。いつも通り時間差で屋上に向かおうとしていた俺の耳に届いたのは、男子生徒の震えた声。
誰もいない階段の近くで告白しているようだ。
咄嗟に近くの教室に身を隠す。
「ごめんなさい」
聞いたことのある声が響く。
男子生徒は言葉を発することなく、走ってその場を立ち去っていった。
俺は教室から出て階段へと向かう。
そこにはいつもの大きな袋を持っていた天野さんが一人で立ち尽くしていた。俺がいるのに気がつくと苦笑いを浮かべ、
「見られちゃってましたか」
「見てはいない。話す声は聞こえていた」
「そうですか……」
「その、あまり上手くいえないが……大変だな。告白されるっていうのも」
天野さんは首を横に振る。
「いえ、告白自体はとても嬉しいです。自分に好意を持ってくれているということですから。でも、その想いに応えられず相手を傷つけてしまったという申し訳なさに胸が痛むんです」
そう言って自身の胸に手を当てる。
その想いを俺は分かってあげることができない。俺は天野さんではないから。軽々しく分かるよなんて言うことはできなかった。
「重い空気にさせてしまってごめんなさい。早くお弁当食べましょう。良くんが大好きな筑前煮も入っているんですから」
天野さんは作り笑いを浮かべて、屋上に向かって歩いていく。
自分の心の中にチクっと痛みが入る。
それはトゲトゲとしてて、苦しみはないが永続的な痛みが続いていく。
こんなことを思っているなんて人としておかしい。駄目なのだと自分でも自覚している。
なのにーー
あの告白が失敗して良かったと、そう思ってしまったのだ。
☆ ★ ☆
その日の放課後ーー
「斗真。部活頑張れよ」
「おうともさ」
俺は帰り支度を整えて斗真にエールを送ったあと、天野さんに声をかけようとしていたときに事件は起こった。
「柿谷」
その声の方向を向くと、長髪の男がいた。
その声の主とは話したことはないため、彼の第一印象はマイナスからのスタートとなった。
「確か……海老原くん……だっけか?」
「あぁ、お前に一つ聞きたいことがある」
「答えられる範囲なら」
「お前に拒否権はない。聞かれた質問に正直に答えろ」
この時点では、俺より自分の方が優位だと思っているのだろうか。生意気な口調で言った。
そうなると黙っていられない人物も出てくる。
「海老原。何偉そうに……」
「お前には聞いていない石坂」
怒りをあらわにする斗真を海老原はジロっと睨みつける。
斗真は温厚な性格だ。自分のことではまず怒らないが、大事な友人や彼女のこととなると烈火のよう怒る。俺はそんな斗真の前に手を出して、彼を制止させる。
「斗真。俺は気にしていない」
「良介……」
「それで、質問っていうのは?」
持っていた鞄を下ろして、俺は海老原を見る。
その様子を見ていた生徒たちや天野さんも心配そうにこちらを見ていた。「問題ない」と俺は目で合図を送る。
「お前、天野と付き合ってんのか?」
海老原の口から放たれた一つの質問に、教室内は騒然とした。
俺と天野さんが一緒に登下校するようになってから密かに言われていたことの一つである。
「それはこの場で答えなくてはいけないのか?」
「あぁ」
「質問の意図が分からない。それを答えたからどうなるというんだ?」
「さっさと答えろ」
「ハァッ……付き合っていない」
海老原には何を言っても無駄だと理解した俺は、呆れたため息を漏らしながら彼の質問に答える。
「付き合ってもいないのに一緒に登下校するというのはどうかと思ってな。彼氏ではなくボディーガードのような役割なら、別に柿谷でなくてもいいのではないか?」
「つまり何が言いたい?」
「柿谷。今日でお前はお役御免だ。今日から俺が天野のボディーガードになってやる」
ピキ。
教室中の空気が凍りついたような音が響いた。
天野さんも海老原を軽蔑するような、冷めたような目で見ていたが、彼は全く気づいていないようだ。
俺は察する。
海老原は自分のことをイケメンだと思っているのだ。実際のところはそこまでイケメンではない。
それに彼からは香水の匂いがする。おそらく女性が好きであろう匂いを調べてつけているのだろうが、彼がつけている量は明らかに多くて鼻が曲がりそうなほどに匂いがキツイ。
香水をつけてはいけないという校則はないものの、これはやりすぎである。
その場にいる生徒も、彼から遠ざかるようにしていた。
「不良と絡んでいるところを俺は見ていた。天野を不良から助けた王子様と言われているが、結局は力で押さえつけているだけだ。あのやり方は美しくない。俺ならもっとスマートにやれている。彼を説得して誰も傷つけないようにできていただろう」
相当面倒くさい奴に目をつけられたな。
海老原は踵を返して、天野さんの方へと向かっていく。
「天野。俺なら柿谷なんかよりももっと君を美しく輝かせることができる。さぁ、俺の手をとっーー」
「お断りします」
海老原の愛の告白は、天野さんの冷たく無慈悲な言葉によって遮られた。
「彼のことを何も知らないようなのでここではっきりと言わせてもらいます。彼はあなたの何倍も頼りになる方です。あなたはあの場を見ていたとおっしゃってましたよね?わたしのボディーガードになりたいというのなら、あの場で助けに入るのが当然ではないですか?」
いつも学校でいるときの無機質な表情ではあるが、その言葉には確かに怒りの感情がこもっている。
「結論から言ってあなたと付き合う気は一ミリもありません。柿谷くんや助けに入ってくれた男性の方の方が、わたしにはよっぽどかっこよく映っています」
彼女ははっきり言った。
さて、ここまではっきりと拒絶されたのだ。さすがの海老原も意気消沈していると思い、彼の方を見る。
「フ、フフ、ハハハ。それを聞いてますます気に入った」
高笑いを浮かべて、そう発する海老原。
意気消沈するどころか、むしろ楽しんでいるようにも見える。海老原はこちらをギロリと睨んだ。
「柿谷。体育祭でお前が出る競技は何だ?」
「綱引きと大縄跳び、騎馬戦、それに各団選抜リレー」
「各団選抜リレーに出るのか。俺もそのリレーに出場することになっている」
海老原は俺に人差し指を向けた。
「そのリレーで勝った方が天野のボディーガードになる。どうだ?悪い勝負ではないだろう」
「わたしの話聞いてました?あなたとは嫌だときっぱりお断りしたはずですが。柿谷くん。もう帰りましょう」
「お、おう」
天野さんに強く言われて、俺は鞄を持って教室を出ようとする。
「逃げるのか?天野のボディーガードとあろうものが情けない。彼女のボディーガードを名乗るならこの挑戦を受けるべきではないのか?」
海老原は手を広げて、悪い顔でそう言った。
すると「そうだー!」「逃げるなー!」と声が飛ぶ。
なるほど。海老原がなぜわざわざこの場であのようなことを言ったのか、その意味がよく理解できた。
この勝負を受けるメリットは俺にはない。だから俺と海老原のみで話をしたところで時間の無駄になる。
だったらこの場で煽るような言葉を言って、この場にいる生徒を味方につけようという魂胆だ。
海老原のことをよく思っていない連中が大半だろうがそれ以上に、俺と天野さんの仲をよく思っていない者だっているだろう。
この案を持ち掛ければ彼らは面白がって海老原の味方をするという確証が海老原にはあったのだろうか。それでも結果として、逃げ場をなくして俺がその勝負を受けざるをえない状況を作り出したということだ。どうやら悪知恵だけは働くようだ。
「好きなように言え。俺はその勝負を受ける気はない」
こういうのは言わせておけばいい。踵を返して教室を出ようとすると、男子生徒のブーイングがなお一層強くなる。すると一人の男子生徒が教室を出て、
「大変だ!天野さんの護衛役をかけて、海老原と柿谷が勝負するらしいぞ!」
と、廊下にいる生徒に聴こえるような大声で言った。その噂は瞬く間に広がっていく。
「は?ちょっと待て。俺は受ける気なんてさらさら……」
「あらら。まぁ仕方ないよな。噂が広まってしまった以上はやるしかないよな?」
海老原は少し驚いた様子を見せるも不敵な笑みを見せる。こうなることは海老原にはとっても想定外だったようだ。
「俺が勝ったら俺が天野のボディーガードに。柿谷が勝てばいいまで通りの関係、ということでいいな?」
「だから……」
俺が反論しようとするも、「やれよー!」と第三者が面白おかしく煽ってくる。廊下にいた生徒たちも気がつけばこちらの様子を眺めていた。
「おい海老原。少しは良介の意見を聞けよ。自分勝手も……」
「体育祭。楽しみにしているよ。それまでせいぜい天野との時間を大事に噛み締めておくんだな」
斗真の言葉も聞く耳を持たず、そんな台詞を残して海老原は教室を後にした。
休日の母さんのことと言い、体育祭でのこの一件と言い、一難去らずにまた一難。
俺はこの場に居づらくなって、そそくさと教室を出て行った。
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