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狼王子と羊姫

 身体を洗ってもらった俺は、浴槽に浸かっていた。40℃に設定しているお風呂の温度は身体の芯から温めてくれる。


 優奈は俺の両足の間に挟まるような状態で座っていて、こちらにもたれかかるような形で俺と同じくリラックスするようにくつろいでいた。

 洗いたてのクリーム色の髪シャンプーとリンスの甘い香りが俺の鼻腔に広がって、幸福感を与えてくれる。


「んー。プール施設の温泉も良かったけど、やっぱ家の風呂が一番落ち着くなー」


 温泉から一望できた景色はとても美しく中々見ることができないもので、お湯加減もちょうど良かったのだが、やはり自分の慣れ親しんだ浴槽が一番合っている。


 気の抜けた声を上げると共に、俺は優奈のお腹周りに左腕を回して、こちらに抱き寄せる。右手は優奈の肩が冷えないようにと、時折お湯をかけてやっていた。


 優奈は安心し切った様子で俺の左腕に触れてこちらを向いては、お風呂の熱でふやけたような笑みをこぼす。


「良くんから後ろから抱きしめられるの好きです」


「俺も優奈を後ろから抱きしめるの好きだよ」


「良くん。もっと強く抱きしめて……」


「いいよ」


 お姫様の可愛い要望に応えるために、苦しくならない程度で左腕の力を僅かに強める。「んっ……」と声を漏らして、優奈も左腕にしがみつくように握りしめていた。


「良くん。まだ緊張してます?」


「してない……って言いたいところだけど、まぁしてるな。こんなことするの初めてだし」


 すると優奈はクスッと小さく笑う。


「なんだよ。優奈は緊張してないってか」


「ごめんなさい。ただ良くんも緊張してるんだなって。わたしもまだ凄いドキドキしてるから……」


 優奈の頬は赤らんでいる。それはお湯の温度を少し高めに設定しているからだと思っていたのだが、この空間を楽しみつつもやはり緊張感は拭えていないようだった。


 俺は右手で優奈の右手を繋ぐと、もはや当たり前のように指を絡ませる。お互い伸ばした足の指先は戯れ合うように突きあっていて、顔を見合わせると淡く微笑み合う。


「本当に幸せです。大好きな人に抱きしめられて、こんなにのんびりと一緒の空間で同じ時を過ごせているのですから」


「優奈……」


「大好きですよ……」


「俺も大好き」


 互いに愛を確かめ合うと唇を重ねた。しばらくして離すと、紅潮していた優奈の頬がさらに赤くなっていた。


「もう……してくれないのですか?」


 名残惜しそうな、もっと求めてくるかのような涙目で訴えかけてこられる。「まさか」とだけ答えると、もう一度重ねる。

 戯れ合っていた足は動きを止めて、優奈のしがみつく手の力は徐々に緩んでいく。


 十秒ほどのキスを終えて唇を離すと、優奈の目は完全に蕩けきっていた。


 俺はふと、指を絡ませあっていた右手に視線を落とした。シミ一つ見当たらない少しでも強く扱えば壊れてしまうのではないと思うほどよ美しい肌だ。


 この腕を、あいつらは――、


 今日の出来事は鮮明に蘇る。

 褐色肌の男は、優奈の腕を掴もうとしていた。

 隣にいた男も、手を痛そうにしていたので優奈の触れようとして、払われた感じか。


 本当に来るのがもう少し遅かったら、優奈の手は掴まれていただろう。想像するだけではらわたが煮えくり返りそうな、沸々と怒りの感情が生まれる。


 俺はお湯に浸かっていた右腕を浴槽から上がらせる。突然のことに優奈は不思議そうに俺を見つめていた。


 俺は褐色肌の男が触れそうになっていた優奈の右腕に口づけを落とす。ついばむように優しい口づけを何度も何度も。


「良くん……くすぐったい……んっ」


 優奈が身をよじらせながら俺の名を呼ぶ。その甘い声が俺の脳を刺激して、それは優奈を俺のものにしたいという自分よがりな感情を増幅させる。


 右腕へのキスを終えると、次は髪をお団子上に結んでいることで露わにされているうなじの方に移動して、優しく唇を触れる。


「良くん……ちょっと待って、ください……」


 自分の欲求を満たさんとする狼に変貌した俺に、抵抗せずたださせるがままになっている優奈はまるで羊だ。


 うなじから口を離して、優奈の耳元まで口を持ってくると、


「可愛い」


 囁くように想いをぶつけると、羞恥心が限界を迎えた優奈の身体が分かりやすく反応した。


 俺は耳朶を口に含む。真っ赤に染まった耳朶はとても熱を宿していて、軽く火傷してしまうのではないかと思うほどに。愛でるように触れながらも、決して逃すことがないように抱きしめる力と絡めあっている手の力は緩めない。


 どうすれば、優奈に男が寄り付かないようになる――。


 指輪やお揃いのリングを身につけなくとも、何をどうすればもう二度と優奈にあんな怖い思いをさせなくて済むようになる。


 どうすれば、優奈は俺のものだって――。


 そのとき目に入ったのは、汚れを知らない透き通るように真っ白な純白の肌色をしている首筋だった。

 気がつけば、吸い込まれるかのように優奈の首筋まで顔を近づかせていき――。


「んっ……」


 強い口づけをした。

 俺のものだと証明するために、強く。


「ひゃん!り、良くんっ!そこは……んっ!」


 優奈の切ない声が脳を溶かしていく。優奈を強く抱きしめているたびに独占欲が溢れ出して止まらない。


「……はぁっ」


 数十秒ほどして、俺は唇を首筋から離す。

 そこには、優奈の純白の肌とはまるで場違いなほどに力強い真っ赤な花が咲いていた。

 それは紛れもなく、俺のものだというこれ以上ない証として優奈の首筋に表れている。


 途端にドッと疲れが押し寄せてきて、元々疲れていた脳と優奈の声によって溶かされた脳がもう悲鳴を上げていた。


「良くん……」


 思考が滞っている中、優奈の声が響いて見下ろすと、若干涙目を浮かべている優奈の姿があった。


「やめてって言ったのにやめてくれませんでしたね」


「ごめん」


「いろんなところキス……されちゃいました」


「ごめん。なんかもう途中から好きが溢れちゃって……」


「それに首筋……もしかして……付けちゃいました……?」


「うっ……ごめん」


 首筋にくっきりと残っている俺のものだという独占欲の証。消えるのにしばらく時間がかかるはずだ。


「これ多分服着ても見えちゃいますね」


 優奈は苦笑を浮かべながら、首筋に付いた跡に触れる。付ける場所の配慮までできていなかった。


「ごめん。勝手にその……色んなことしちゃって……」


「……狼。狼良くん」


「だってそんな水着で密着されたら、狼にならない方が無理だと思うぞ。それに俺のこと……誘惑悩殺するために買ったんだろ?」


 無防備に剥き出しにされていた背中を密着しながら一緒の浴槽に入っていたのだ。こちらだって我慢の一つや二つは超えてしまう。


「そ、それはそうですけど……」


「それにさっきの優奈めちゃくちゃ可愛かった」


 甘い声を漏らす優奈の姿を思い出していると、優奈は顔を赤らめたまま、胸元で小さく暴れてくる。


「それで、分かってくれた?」


「え?」


「俺が優奈の虜になってるってこと。俺には優奈にしか見えていないっこと」


「はい……もう充分なくらいに分かりました……」


「良かった。じょあもう上ろうか。入ってもう三十分経つし、そろそろのぼせそう」


 俺は立ち上がるが、優奈はまだ浴槽に身体を浸からせたままだった。


「どうした?」


「ち、力が入らなくて起き上がれないです……」


 優奈は困り果てた表情を浮かべている。耳やら首やら色々弄んでしまって、力が抜けてしまったのだろう。


「じゃあ、お姫様抱っこで運ぼうか?」


「はい……お姫様抱っこがいいです」


 優奈はこちらを両手を伸ばしてきたので、俺は肩と膝に手を回して、優奈の身体を持ち上げる。


「そういや……身体拭くのどうしよう……」


「わ、わたしの身体はわたしがやるので、良くんは少し待っててください」


 俺に抱き抱えられながら火照った顔でそう言う優奈が可愛く見えて、俺は頷いて脱衣所へと運んだ。

タイトル通り良介が狼になった回でした。


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