姫と入浴
俺は相変わらず落ち着かない様子でソファーに座っていて、スマホを触っていた。
優奈が準備を済ませて戻ってきてから少しした頃に湯はりの終わりを告げるアナウンスが鳴ると、「わたしがいいって言うまで待っててください」とだけ言い残して、風呂場へと向かった。
やはり身体を洗うのに時間がかかるのだろう。
スマホに表示されている時計が一分経過する度に、冷静になるどころか鼓動が加速していくのを感じていた。
いくら麦茶を流し込んでも、すぐに喉が渇いてしまう。
(それにしても……斗真には感謝しておかないとな)
いきなり何も身につけずに一緒に入浴をするのは、流石にハードルが高すぎる。なので水着を着用してということになるのだが、一着はプールで使用したばかりなので使えない。既に濡れている水着をもう一度履くのは気持ち悪かった。
が、水着は二着購入していたので、今回は黒無地のパンツを履くことにする。
既に準備は整っているので、あとは優奈が呼ぶのを待っているだけだった。
優奈が入浴をしてから二十分経った頃だった。
スマホが震えて確認すると、『もう入ってきても大丈夫ですよ』という優奈からの連絡が届いた。
ここまできて、緊張で震えているとか情けない姿を見せるわけにはいかない。『分かった』と返信すると深呼吸をして、俺は立ち上がる。
扉にノックをして脱衣場に優奈がいないことを確認。返事がなかったのでいないと判断した俺はゆっくりと扉を開く。
衣服を脱いで水着に着替えた俺は、浴室に入る前にもう一度だけ息を吐いて、ドアを開いた。
そこには、同じく緊張した面持ちで俺が来るのを待っていた優奈の姿があった。
髪はプールと同様高い位置に結んでいる。違うとすればポニーテールだったものがお団子に纏められていることだ。優奈は俺の目を見ては気恥ずかしそうに視線を逸らして、手を後ろに組む。
今着ている水着は黒無地で無駄な装飾がないシンプルなワンピース。
プールで着ていたビキニと比べると露出度は減っていて身体のラインは出にくくなっているが、それでも分かるくらいのウエストの細さがある。
白のビキニ姿の優奈が夏を思いきり楽しむ天真爛漫なお嬢様に例えるならば、黒ワンピースを着用している今の優奈は、落ち着きがあって上品な少し大人びたお嬢様という印象を与えた。
この水着はその水着でまた違った良さがあって、優奈の魅力を引き立てていた。
「その水着も、凄い似合ってるよ」
「ほ、本当ですか?」
「この状況で嘘は言えないだろ……」
優奈は強張っていた表情を僅かに綻ばせる。
「そ、それにこの水着なんですけど、実は……」
優奈は恥じらうように言ってこちらに背を向けると、俺は息の根が止まってしまったのではないかと錯覚するくらいに、息をするのを忘れていた。
ワンピースの水着は種類によっては背中が大きく開いているものがあるらしい。優奈が着ているワンピースは、まさしくそれだった。
露出を減らしている前部分とは正反対に、背中の部分は大きく開いていて剥き出しになっている。
それだけならまだ良かったのだが、その開いている部分は腰あたりまで続いていて、優奈の臀部が見えるか見えないかギリギリのラインだった。
まさか優奈がこんなデザインの水着を着るなんて思っていなくて、言葉を発することなくただ優奈の水着姿に釘付けになっていた。
「ど、どうですか……?」
「ど、どうですかも何も……なんつーデザインの水着着てんだよ……」
露わになっている背中を向けながら感想を求めてくる。プールのときはラッシュガードを羽織っていたので、優奈の色白な背中を見たのは今が初めてで、動揺を隠しようにも隠せない。
「店員さんに言われたんです。今SNSで話題になっている彼氏を誘惑して悩殺できる水着で……これを着たら大喜びするって……」
「大喜びって……それはまぁ……」
「悩殺……できていますか……?」
「悩殺……されてます。されまくってますよ……」
そんな水着を目の前で見せられたら……悩殺なんて当たり前だ。さっきまでとは違った意味で緊張して鼓動が早く鳴り響く。
「とりあえず……かけ湯しましょう。今のままだと寒いでしょう」
「お、おう」
正直、身体が火照りまくって逆に暑くて仕方がないのだが、俺は頷いた。
優奈に「座ってください」と誘導されて、バスチェアに座れば桶に溜まっていたお湯を俺の下半身にかける。蛇口を捻りお湯を貯めると、今度は肩にかけてかけてくれた。
「優奈は髪も身体ももう洗い終わったのか?」
優奈は「はい」と小さく頷く。
俺がいる前で身体を洗っている姿を見られるのは恥ずかしいのだろう。俺だってそんな姿を直視することはできないので、ひとまず安堵した。
その安堵の中には、どこか残念に思う気持ちも混じっていた。
「先に良くんの髪を洗ってあげますね」
下を向いててくださいね、と言われて俯くと、優奈がシャワーでお湯をかけられる。優奈の指が髪の毛に深く沈んでいく。
シャワーが止められると、優奈はシャンプー液を手に落として馴染ませるように両手で擦る。
「それじゃあ洗っていきますね」
「お願い」
優奈の手に乗った泡立ったシャンプーが俺の頭皮に馴染むように指の腹で優しく洗われていく。
こうして誰かに髪を洗ってもらうというのは、小学生の低学年のときと美容院に行ったときぐらいしかない。
「どこか痒いところはないですか?」
「うん。気持ちいいよ」
好きな女の子に髪の毛を洗ってもらえるのは、こんなにも心地よいものなんだということに気がつく。優しい手つきで頭をマッサージされているかのような感覚で、思わず眠くなってしまう。
ボーッとしていると、もう一度シャワーをかけられて泡を洗い流されていた。
泡を完全に洗い落とした優奈は、次にコンディショナーを手に馴染ませて、俺の髪に染み込ませていく。
「良くんの髪。本当に柔らかいですね」
「知ってるか?髪が柔らかいと髪の毛が細くなっていて、髪の毛が抜け落ちやすくなっていくらしいぞ」
こういうのは遺伝的な問題らしく、父さんもよくお風呂上がりは育毛剤を髪に振りかけていたのを思い出す。予防は早いうちからやっておいた方がいいのだろうな。
「わたしはどんな良くんでも大好きですよ」
「本当にいい彼女を持ったんだ」
コンディショナーも終えて、最後にもう一度シャワーを頭に浴びて、髪は洗い終わった。
「顔、上げてください」
顔を上げると、優奈にタオルで髪と顔を優しく拭かれていく。まるで子供扱いされているなと思いながらも、俺はされるがままになっていた。
「次は身体の方を洗っていきますね」
「頼む……」
身体を洗われることこそ、もう昔の記憶すぎて覚えておらず羞恥心に襲われながら、俺は頷く。
優奈はボディータオルにボディーソープを付けて、泡立て始めていく。十分に泡立ったのか、優奈は俺の背中に回ると、膝をついて俺の背中を洗い始めた。
最初は自分で洗っているのとは違う感覚がしてなんともくすぐったく感じたのだが、徐々に慣れ始めて今では気持ち良さしか感じない。
「力加減は大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「良くんの背中……大きくて逞しいですね……」
「どうも……」
「わたしを守ってくれた、強くて優しい背中です……」
何を思ったのか、優奈は背中を洗う手を止めると指先で俺の背筋をツーッとなぞるように触ってきて、俺は少し反応するように身体を震わせた。
「ご、ごめんなさい。痛かったですか?」
「痛くはなかったんだけど、くすぐったいからやめて……」
軽くちょっかいをかけられながらも、優奈に背中を洗ってもらう。背中の泡をシャワーで洗い終わると、優奈は俺の前に座って、
「それじゃあ……次は前の方を……」
「前の方は自分でやるから無理にやらなくてもいいぞ?」
「無理なんてしていないですよ。前の方もちゃんと洗いますから……」
「そんなこと言うなら俺は優奈の身体洗わせてもらっていないけどな」
怒ってもいないし不満というわけではないが、若干不公平さを感じたので、悪戯半分で文句を垂れる。
「それはその……まだ恥ずかしいというか……それじゃあ今度のお風呂のときは……良くんに洗ってもらいます……」
目の前で赤面しながらそんなことを言われるだから、俺も顔を赤くなっているのを感じながら「期待してる」とだけ呟いた。
優奈はボディーソープをボディータオルに馴染ませると、肩周りを洗い始める。俺の身体を傷つけないようにと洗う優奈はとても献身的だ。
優奈の吐息が近くで聞こえて、時折優奈のすべすべでもちもちとした白い肌が密着する。
両肩と両腕を洗い終わった優奈は、次に胸元を洗い始める。相変わらず優しいタオルを扱って付着した汚れを落としてくれている優奈の姿。
これほどまでに尽くしてくれる女性がいるのかと、俺は目の前にいる少女がとても愛おしく感じてしまう。
胸元とお腹周り、太腿から足の指先にかけてまで優奈は時間をかけて丁寧に洗ってくれた。
「ありがとな」
目の前でシャワーをかけてくれている優奈に、俺は笑みを見せる。
「いえ。わたしがやりたくてやっているので……」
「それでもありがと」
俺はお礼を口にして、優奈の頭にまで手を伸ばしてポンポンと優しく叩くと、優奈は蕩けきった笑顔を見せた。




