通学前、そしてスーパーでの遭遇
俺の住んでいるアパートは五階。
家具は父母の両親。祖父母から高校入学記念と称して買ってもらった。とは言っても、大したものは置いておらず、最低限のものしかない。
高校生にしては、なんとも味気ない部屋である。
高校に行く前に、モップで床掃除する。いつものルーティーンだ。家鍵をかけ鞄にしまい、俺は歩いた。
「あら、りょうちゃん!おはよー!」
「おはようございます。田沼さん」
隣人さんとの挨拶を交わして、俺は階段へと向かっていく。このアパートにはエレベーターと階段があり、ほどんどの住人はエレベーターを使用するだろう。
だが俺は階段を利用している。
程なく身体を動かすことができるのでいい眠気覚ましになるのだ。
一階に降りていつも通り学校に向かおうとするとーー
「あ」
目の前には昨日公園で話した少女ーー天野さんがいたのだ。彼女も驚いたように目を丸くしている。
「な、なんでいるんですか?ストーカーですか?警察呼びますよ」
「なんでこんな朝から天野さんを尾行しなきゃいけないんだよ」
スマホを取り出そうとする天野さんに、俺はそうツッコミを入れる。確かに彼女くらいの美貌の持ち主ならば、ストーカー被害に遭っていてもおかしくはないが。
「ここのアパートの五階に俺の部屋があるんだ。だから断じてストーカーではない」
そう強く言う俺に、天野さんは軽く息を吐いた。
「そんなことよりも天野さんもこのアパートに?ここで一人暮らししてるんだ」
「えぇ、高校も近いですし」
ここのアパートから徒歩十五分くらいの場所に青蘭高校がある。俺がこのアパートを選んだ理由もそれが決め手となっている。
「まぁここで立ち話というのも他の住人の邪魔だろう」
この時間帯は子供たちやスーツを着た社会人がよく通る時間帯だ。
「先行ってください」
天野さんはそう言った。確かに一緒に行く仲ではない。なんなら昨日初めて話したぐらいであって、友人でもなんでもない。だがなぜ先に行けと言ったのだ?と一人で疑問に思っていると、
「後ろつけられるのは嫌なので」
「だからストーカーじゃないって」
再び同じツッコミを入れると、今度は俺が吐息して先に学校へと向かった。そこから時間差で天野さんも俺と同じ道を辿った。
☆ ★ ☆
「ヘロー」
教室に入るや否や、発音を意識したであろう英語で石坂斗真は俺に挨拶した。
「この時間帯はグッドモーニングだろ」
「細かいことは気にするな」
そう指摘する俺に、斗真は笑顔で応じた。
斗真とは小学校からの古い付き合いで、昔からよく遊んでいた。
父さんの葬式の日、斗真は俺と一緒に泣いてくれた。そのときから俺は斗真とは一生仲良くしようと決めたのだ。
正直なところ、俺が立ち直れた要因として斗真の存在が大きい。彼がいなければどうなっていたか自分でも分からないのだ。
まぁ本人の前でそんなこと言うと、「いやー照れるぜ」などと調子に乗るので死んでも言わないが。
整った顔立ちに誰とでも隔てなく接する彼の性格。まさしくスクールカースト上位に君臨していてもおかしくないのに、ずっと俺なんかとつるんでいるのが不思議なくらいだ。
「昨日、親父さんの命日だったよな。もう……四年も経っちまうんだもんな」
「おう」
「親父さんの分まで、精一杯生きないとな。というわけで彼女を作るってのはどうだ?」
「途中までお前の言葉に感動して思わず泣きそうになったんだが引っ込んだわ。感動返せ」
斗真の突拍子な発言に、俺はそうツッコむ。
斗真は言うまでもなくイケメンだ。実際に彼女もいる。クラスは違うが同級生の瀬尾梨花という少女だ。
俺と斗真は小学校からの付き合いだが、二人は幼稚園からの付き合いである。確か中二の秋ぐらいから付き合って、今もその熱は冷める様子はない。それどころか日に日にその熱が増していっているのは気のせいと信じたい。
「彼女はいいぞ。色褪せてた世界に色が入って何もかも違って見えるんだ」
「そうか。それは良かったな」
彼女か。俺とは一生縁のない響きだな。
別に欲しいと思ったことはないし、いたところでというのが正直なところだ。
「じゃあ、天野さんなんてどうなのよ?入学して二週間経ったが彼女の人気はいまだに右肩上がりだぜ。昨日なんて一番人気のある先輩が告白したのに、振ったって噂だぜ」
「その名も知らない一番人気先輩が振られたんだろ。俺が告ったって結果が目に見えてるわ。そもそも彼女がいるからなんだよって話だ」
「そんな興味なさそうにすんなよ。俺は心配しているんだぜ。親友がいつまでも一人でいられるのが。俺がいなくなったらどうすんだよ」
「そんときはそんときで考えればいいさ」
「良介らしいといえば良介らしいな。まぁ、俺からいなくなるってことはしないから安心しろよ」
「誤解を生みそうな発言やめろ」
そう言って俺たちは天野さんのいる席に目をやった。俺の席は窓側から二番目の一番後ろ。彼女は中央の前から三番目の席だ。友達と思われる女子生徒と笑顔で談笑している。
そのとき、チャイムが鳴り響いた。
朝のホームルールが始まる五分前の合図だ。
「ほら、早く席に着けよ」
「隣じゃん」
「どこまでいっても腐れ縁で繋がってるんだな」
そう言って、俺たちは笑った。
☆ ★ ☆
授業が終わり、帰りのホームルールが終わる。
部活に向かうもの。友達と遊びに行くもの。先生に呼び出しをくらい、文句を垂れながら職員室へと向かうもの。教室は騒がしくなった。
「斗真。部活頑張れよ」
「おけ。グッバイ。良い休日を」
斗真はサッカー部に所属している。青蘭高校のサッカー部は強豪で毎年決勝までコマを進めているのだが、あと一歩のとこで勝てないのだ。
それでも強豪と言われている青蘭高校サッカー部なのだが、斗真は一年ながら既にベンチ入りを果たしているそうだ。
凄い奴を親友に持ったなと、俺はしみじみ思った。
対して俺は部活動には所属していない。
なんせ一人暮らしなのだから、部活する余裕すらもないのだ。別に部活に入って何かを成し遂げたいというのもないので、気にすることもない。
結局、彼女とは話すことはなかった。
そもそも同じアパートに住んでいるというだけで、仲良くしないといけないわけではない。
彼女も友達と軽く談笑していたし、割って入るわけにもいかないだろう。
(さーて。今日の夕飯はなににすっかなー)
思考を切り換え、スーパーに立ち寄り野菜に目をやりながら今日の献立を考える。
四月とはいえ夜は冷える。身体を温まるものが望ましい。となると……肉団子と野菜のスープだな。
かごをカートに乗せて、野菜売り場に向かう。
鶏ひき肉はまだストックがあったはず。野菜は……人参と白菜、そして玉ねぎだな。
そう思い、目の前にある五個入りの玉ねぎを手に取ろうとした。
「あ……」
偶然にも、同じものを取ろうとして誰かの手を触れてしまったのだ。色白で細い手。きっと女性だろう。
「すみません……あ……」
「いえ、こちらこ……そ……」
顔を見合わせると、そこには天野さんがいた。
本日二度目の遭遇である。