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優奈の過去

 今年の元日の朝は騒がしいものになってしまったが、家に帰ってからは昼はお雑煮、夜は母さんと一緒に作ったおせちを食べた。


 二日、三日はそれぞれの祖父母の家に出向いては親戚と顔を合わせて食事を楽しんだり。近況報告として彼女ができたことを伝えると、祖父母からは喜ばれ、歳の近い親戚からはどんな子か教えろと深く追求された。


 クリスマスイブにイルミネーションを観に行った際に撮った写真を見せると、可愛い、美人、羨ましいと耳にタコができるくらいに聞いた言葉を発して、俺のスマホに齧り付くように見ていた。


 祖父母からは死ぬ前に曾孫が見たいとまで言われる始末であり、せめてあと六、七年は待ってくれと伝えた。優奈は……いつかそうなったときに連れてくることにしよう。


 と、色々なことがあって三が日は精神が大変疲弊するものとなったが、今年の集まりは去年よりもずっと楽しいと感じた。


 俺がアパートに戻ってきたのは四日の昼過ぎである。


 助手席から降りる直前に、家に上がるかと母さんに尋ねるが、今日はこのまま帰ると運転席から降りることはなかった。


「身体に気をつけるんだよ。寒いから寝るときは暖かくしてね」


「もう一人暮らしも慣れたんだからそれぐらい分かってるよ。母さんも体調に気をつけてな」


 もう少し息子を信用してほしいものだが、母親からすれば息子は幾つになっても心配になってしまうものなのだろうか。

 

 じゃあね、と言って車を走られた母さんの車を俺は軽く手を上げて見送った。姿が見えなくなったのを確認して俺は息を漏らすと、アパートのエントランスへと向かう。除雪してくれていたのか、入り口付近は雪が避けられていた。


 自動ドアの前に立ち開くと、エントランスの温い空気が出迎えてくれて、五階にある家に向かうため歩を進める。


「良介くん?」


 俺を呼ぶ声がして視線を向けると、クリーム色の髪の女性が立っていた。


「こんにちは。……希美さん」


 少し間が空いて、俺は女性の名を呼んだ。

 一瞬、優奈に見えてしまったからだ。背丈も変わらず顔立ちも柔らかな雰囲気も似ている。今のところ、判別できるところといえば髪の長さしかない。


「こんにちは。さっきまでお出かけしていたの?」


「いえ。年末年始は実家に帰ってて、たった今母さんに送ってもらったところなんです。希美さんも買い物帰りだったんですか?」


「うん。ちょうど今帰ってきたところ」


 片手に塞がっているエコバッグに見て尋ねると、希美さんは柔和に微笑む。


「良介くん。少し時間もらってもいいかしら?」


「えぇ、構いませんよ」


「ありがとう。荷物だけ置いてくるからちょっと待っててね」


 希美さんは早足で優奈の家の鍵を開けて、荷物を置きに向かった。


☆ ★ ☆


「すみません。カフェオレとコーヒーを一つ」


 俺たちは喫茶店に訪れていた。

 付き合ってくれたお礼として、代金は希美さんが持ってくれるらしい。


 カフェオレを頼んだのは希美さんで、優奈の甘い物好きも希美さんから受け継いだものなのかと納得する。


 彼女の母親と二人きりというこの状況に緊張感が走って、俺は唾を飲み込んで姿勢を正す。


「本当にありがとうね。こんなおばさんのわがままに付き合ってくれて」


「いえいえ。おばさんだなんてとんでもない。全然お綺麗です」


「ふふっ。お世辞が上手ね」


 年齢までは分からないが、見た目だけで判断すれば三十代中盤と言われてもなんら不思議ではない。肌は白くきめ細やかで、ショートカットの髪も艶がある。まるで将来の優奈のそのまま見せられているような気がした。


 優奈と圭吾さんはドライブデートに行っているらしい。時間は限られているし少しでも娘と一緒にいたいという父性本能みたいなものだろう。


「向こうに戻る前に、良介くんとは一度お話したいと思っていたの」


「向こう……ドイツですよね。いつ頃戻られるんですか?」


「明後日の昼の便の飛行機で日本を発つわ。今年の夏こそ、日本に戻りたいものね。優奈の顔も見たいし」


 そう言って、希美さんは淡く微笑んだ。


 注文したカフェオレとコーヒーが届いて、希美さんはカップに口をつける。一口飲んだところで小さく息を吐いてカップを皿に置く。

 

「優奈。変わったなぁ」


「え?」


「ううん。元に戻ったって言った方がいいかな。優奈、冷たいというかどことなく壁を作ってたでしょ?」


「……そうですね」


 入学当初の四月のことを思い出す。

 優奈は最低限のコミュニケーションと笑顔を見せてその場を過ごしているようだった。少なくとも、俺や斗真や瀬尾さんに向けてくれる今の笑顔は全くなく、領域に踏み込まず踏み込ませずといった感じだった。


「向こうでの生活は優奈には合わなかったようでね。言葉の壁というのもあって友達もまともにできなくて、日本にいたときはいつも笑顔で学校のことを話してくれていたけど、向こうではいつも泣いて帰ってきて……日本人だからとか容姿のことを馬鹿にされたとか……悲しかったし、優奈に何もしてあげられない自分の無力さに腹がたった……」


 言葉の壁というのは大きいだろう。それに向こうのルール、言葉をゼロから覚えていかなければならない。

 優奈は小六から中三までドイツにいたと言っていた。多感な時期で全く違う環境で生活するというのは優奈にとって相当心にくるものがあったに違いない。


「あの子よく食べるでしょ。向こうではストレスもあって余計食べるようになって、今より一回りは大きくなっちゃってね」


「正直、今の優奈からは想像できないですね」


「それで余計にいじめられて、誰も助けてくれなくて、しばらくの間不登校になっちゃったんだ。そこから食生活も生活リズムも一から見直して、今みたいに美人さんになって、ドイツ語も必至に勉強してある程度話せるようになって、優奈の気持ちが落ち着いたところで別の学校に転校したの。そこでは前のようにいじめはなかったって言ってた」


 そう言っている希美さんの表情はまだ少し暗いままだった。


「でも、そこでも友達はできなかった。作ろうとはしなかった。可愛い可愛いって、見た目だけで友達になろうとしてくる人しかいないからって。みんな容姿だけで判断して、わたしの努力や性格は何も見てくれないって。だったら友達なんていらないって。そこから偽りの自分を作るようになって、誰と接するときでも作り笑い。あの子にとってドイツで過ごした時間は……苦痛以外の何物でもなかったと思う」


「なんで……その話を俺に?」


「優奈。きっと良介くんにはこんな話はしなかっただろうから。あの子の過去のことも全て知っておいて欲しかったの。もし話していたのをバレたら怒られちゃうからここだけの秘密ね」


 人差し指を指に当てて「シー」と言う希美さんに、俺は頷いた。


「高校に上がるタイミングで家族で日本に戻る予定だったんだけど、急な仕事の都合上どうしてもわたしたちは残らなきゃいけなくなったの。でも優奈はドイツには戻りたくないって。一人で暮らすって言って聞かなかった。高校でも外見だけで近寄ってくる人が多くて、中には話したことのない人が告白してきて怖いって言ってくることもあったの」


 外観は人を判断する上で重要な要素である。

 だが優奈は、見た目だけで判断されることを嫌悪している。以前ショッピングモールに出かけたときに俺が優奈と釣り合っていないと馬鹿にされたときがまさにそうだ。


「でもね。あなたと会ってから優奈は変わった。最初はことある度に遭遇するからストーカーとか言っていたけど」


 昔はそうだったな、と俺も苦笑しつつコーヒーを飲む。


「でも少し一緒の時間を過ごして悪い人じゃないってことはなんとなく感じていったみたい。それである日、変な人に絡まれたときに助けてくれたことがきっかけで良介くんを見る目が変わったみたい。今まで自分が助けを求めても、手を差し伸べてくれる人はいなかったから。この人は信用できる人なのかもって」


 そのあとも希美さんの話は続いた。

 少しぶっきらぼうだけど根はいい人なのだと感じたこと。なんでも上手にこなすけど本当は影で物凄く努力していること。困っている人がいたら誰かれ構わずすぐに助けにいける優しい人なのだということ。


「いつしか優奈は笑顔であなたのことばかり話すようになってた。圭吾さんは物凄く落ち込んでいたけど、わたしは凄く嬉しかった。学校のことを楽しそうに話す優奈の姿を見れてね。だから本当に感謝しているの」


 希美さんは安堵したように柔らかく微笑む。

 それは娘のことを大切に思う母親の表情であった。


「俺は……感謝されるような人間じゃありません。俺は一度、優奈を泣かせました。俺の過去の問題で傷つけたくないからって自分勝手な考えで優奈を突き放して……俺の弱さをこれ以上見られたくなくて、だから俺はそんな大した人間じゃないです」


 俺の話を、希美さんは小さく相槌を打ちながら何も発することなく聞いてくれていた。


「でも……優奈は俺の弱さを真正面から受け止めてくれた。情けないところを見ても俺が側にいてほしいって言ってくれたんです。その言葉に俺がどれだけ救われたことか……だから俺の方こそ優奈に感謝してるんです。それに、虐められるときの気持ちなら痛いほどに分かるから……」


 頭を撫でてくれたときのあの温もりは、心を溶かしてくれた優奈の優しい言葉は、今も俺の心の中の支えになっている。そんな彼女の優しさに俺は惚れたのだ。


「圭吾さんと希美さんの分まで俺が優奈は守ります。だから安心してください」


 俺は瞳に強い意志を宿して、希美さんの瞳を真っ直ぐ見る。

 一人ぼっちになるのは嫌だと、腕の中で震える優奈はもう見たくない。

 優奈は笑顔が似合う可愛らしい女の子だ。俺は笑顔の優奈が好きだ。その笑顔はもう二度と失わせない。


 その言葉を聞いて、希美さんは息を漏らす。


「これからも優奈の側にいてあげてください」


 そう言って表情を綻ばせる。


「はい」


 俺も声量を抑えながらも力強く言って頷いた。

お読みいただきありがとうございます。

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