ここにいる
「優奈。ベットと布団どっちがいい?」
時刻も十二時を回りそうなところで優奈に問う。
一人暮らしの家でお泊まりとなるとどっちがどこで寝るか問題が発生する。俺の家には来客用に一人分の布団は用意している。
これは母さんが「泊まりに行くかもしれないから持っておいて!」と家にあるものを渡されたのだが、一人暮らしを始めてからは一回もこいつを使用したことがない。
普段はベットで寝ているが、俺は布団でも寝れるのでどちらでも良い。
優奈はイルカのぬいぐるみを大事そうに抱きしめながらソファーに座り、小さく欠伸をしていた。
優奈は遅くても十一時半には眠りに就くようで、この時間まで起きていることは滅多にない。それでもこの時間まで起きていたのは、少しでも一緒にいたいからと可愛い理由だった。
「えっと……一緒に寝るっていうのは……だめですか……?」
眠そうな目をこちらに向けながら、ゆったりとした声で尋ねてくる。
「シングルだから狭いぞ?」
「分かってます……でも元々……一緒に寝たくてお泊まりしたいって言ったので……良くんが嫌ならお布団で寝ますけど……」
そう言って、腕の中にあるイルカのぬいぐるみを強く抱きしめる。こんなことになるとは大体予想はしていたが、「一緒に寝たい」と口に出されてしまうと、心臓がドッドッと強く跳ねる。
「俺だっていいけど……一応男だぞ?」
そう言ってくれるのは、俺のことをそれだけ信用しているからだろう。とは言え、好きな相手と一緒に眠るとなるとどうしても意識してしまう。もちろん優奈の嫌がることは絶対にしないと心に決めているため、本能を押し殺して理性はずっと保ち続けるつもりだ。
「構いませんよ……わたしは良くんの彼女なんですから……」
照れを隠すようにイルカのぬいぐるみで顔を隠した。俺の心臓もより一層強く鳴り響くが、「……分かった」と平然を装いながら言った。
俺の自室に移動して、先に優奈がベットに入る。枕は二つあるので来客用の枕を優奈に渡した。そして俺も優奈の隣に寝っ転がる。
「やっぱシングルで二人は狭いな……」
「でもその分……良くんを近くで感じられます……」
「嬉しいことを言ってくれる」
手を伸ばして、優奈の頭を優しく撫でる。
「……寝るときも、それを抱いてるのか?」
俺はイルカのぬいぐるみに視線を落とす。二人で詰めて寝ているため、少しその形を歪めていた。
「わたし、何か抱いてないと眠れないんです」
「へぇ……」
優しい瞳でイルカのぬいぐるみを見つめる優奈。そんな彼女を見て、俺は少しもやっとした気持ちになる。その様子に気づいた優奈はクスッと笑った。
「もしかして……ぬいぐるみに嫉妬しちゃったんですか?」
「違うし……」
寝返りを打って優奈に背を向ける。
ぬいぐるみに嫉妬してするなんて馬鹿らしいにも程がある。だが、ぬいぐるみを抱くくらいなら俺を抱きしめて寝たっていいだろうと思ったのも事実だ。
「良くん」
甘い声が聞こえると、優奈が後ろから抱きしめてくる。背中が優奈の優しい温まりで温まっていく。
「本当はこうしたかったんですけど良くんが嫌がると思ってたから……でも今の反応を見て、大丈夫だって確信しました……」
「そんなの……俺だってそうしたいに決まってる……」
再び寝返りを打って優奈の方に身体を向けて、抱きしめる。
「良くんの心臓。すごいドキドキしてる……」
優奈は俺の胸元に顔を埋めている。俺がどんな状態なのか、優奈には筒抜けだ。
「優奈だって人のこと言えないぞ。耳真っ赤じゃないか」
「だって……嬉しいし恥ずかしいんだもん……」
胸元で喋るので少しくすぐったく感じるが、今はそれすらも心地よく感じて、優奈の後頭部を優しく撫でる。
「俺だって……本当はすぐにでも抱きしめたくて、キスだってしたかった。でも嫌がられることだけはしないって決めてたから……」
「良くんにされて嫌なことなんてありません……むしろ……して……ください」
胸元に埋めていた顔を上げて、優奈は上目遣いで言ってくる。俺が顔を近づけると、優奈は目を閉じて待った。
軽いリップ音が部屋に響く。
唇がほんの少し触れ合うだけの軽いキスだ。触れてた唇を離して少し見つめ合うと二度目のキスをする。今度は五秒ほどの長いキス。
こんなに長いキスをするのは初めてで、思わず息をするのも忘れてしまった。
キスを終えて唇を離せば、優奈の柔らかくて甘い唇の感触が残り、頭を酔わせていく。
優奈も唇を指で触れると、はにかみを浮かべて抱きついてくる。
「わたし……今凄い幸せです……友達に恵まれて……好きな人と一緒にいることができて……」
「あぁ、俺もだよ」
「でも……たまに夢を見るんです」
「夢?」
「良くんが……石坂さんや梨花さん……平野さんや東雲さんがわたしの前から突然いなくなって……暗闇の中で一人ぼっち……名前を呼んでも誰も来てくれない……そんな夢を見るんです……」
俺を抱きしめる力が強くなる。
「もう……一人ぼっちになりたくない。あのときみたいに一人になるのは嫌だから……」
弱々しく優奈は呟いた。
あのとき……というのはいつのことだろうか。少なくとも高校生活のときではないだろう。つまり日本に戻ってくる前、ドイツにいたときの話か。思えば優奈から向こうで過ごした話をあまり聞いたことがなかった。
今聞くのは……それは野暮だろう。
「分かるよ……優奈の気持ち。俺もそうだったから。優奈や斗真や瀬尾さんやみんながいなくなってしまう夢は俺だって見る。実際、そうなりかけたときだってあった……」
小学校時代の過去。そして優奈との関係を終わりにしようとして、あまつさえ斗真や瀬尾さんとの仲すら壊そうとしたあの一週間。本当にそうなっていたとしたら……今考えるとゾッとする。
でもだからこそ、優奈の一人になりたくない気持ちは痛いほど分かる。一人でいるのは孤独で心が押し潰れそうになる。俺がそうだったように、あのとき助けてくれた倉橋さんがそうだったように。
「でも、俺はここにいる」
俺も優奈を強く抱きしめる。お互いがいることを認識するかのように強く。決して離さぬように強く。
「俺はここにいる。だから……大丈夫だよ……」
一人でいることがどれだけ辛いことかは、俺だってよく理解している。
ぬいぐるみを抱きしめながら眠っているのは、その寂しさを紛らわせるためのものに違いない。
過去に何があったかは分からない。だからと言って無理に話せと言うこともしない。言いたいときに言ってくれればそれで十分だ。
ただ優奈が不安だと言うのなら。寄り添ってほしいと言うのなら、側にいる。
好きな相手を置いてどっかに行ってしまうほど、俺は薄情な人間じゃない。
「優奈と出会って、色々嬉しいことや嫌なことを思い出して辛い思いこともあって、それでも優奈と両想いになることができて、付き合えることができて本当に嬉しい。だから……優奈が俺の前からいなくなってしまったら寂しいな……多分泣く」
「わたしも……良くんがいなくなったら寂しい……今にも泣きそうになる……」
「でも今、俺は優奈を抱きしめてる。ここにいる。それは変えようがない紛れもない事実だよ。それに優奈が俺の腕の中にいるって分かってるから、今こうして笑顔でいられるんだ」
優奈はそっと顔を上げる。俺は穏やかな表情を浮かべていた。
「もし、そんな怖い夢を見て俺が離れていくと思うのなら、安心できるまでこうしてる。それに俺もこうしてたい。優奈がここにいるんだってずっと実感していたい。優奈の温もりを、ずっと感じてたい」
想いが溢れる。
喋れば喋るほどに、優奈への想いが強くなる。
好きという感情は留まることを知らず、その想いを増幅していき抑えられなくなって、それを言葉として吐き出していく。
「……好き」
優奈が言った。
「うん」
「……大好き」
「うん」
「良くんのことが好きで好きで大好きで……この想いを吐き出しても、次から次へと溢れ出して溺れそうになる……」
「だったらその想いを全部言ってくれ。俺も全部受け止める」
「本当に……大好き……」
「俺も……大好きだ……」
互いに想いをぶつけ合ううちに、時間はどんどんと過ぎていく。気がつけば一時を回っていた。
「良くん……今日はこのまま、抱きしめてもらってもいいですか?」
「いいけど……汗かかないか?」
一時間以上抱きしめあっていたせいで、布団の中は少し蒸れていた。布団は剥ぎたいところだが、そのまま寝てしまえば翌朝は二人とも寒さに震えながら起きてしまうだろう。
「わたしは気にしません……それよりも、良くんとずっと一緒にいたい……」
「俺も気にしないし……まぁいいか……夜ももう遅いし、寝ようか……」
「はい……おやすみなさい……」
優奈はゆっくりと目を閉じる。
俺も「おやすみ」と声をかけて、優奈の額にキスを落とした。
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