隠し味
十一月も下旬に入った。
俺はバイトを終えて、秋の夜空の下を歩いていた。先週よりもまた一段と冷え込みが激しくなり、早く家に帰らんと自然と俺の歩幅が広く、早くなる。
「あーしんど……お金稼ぐってこんなにきついんだな……」
ポケットに手を突っ込み、肩をすくめながら俺は独り言を呟く。それと同時に吐いた白い息が夜空にかき消されていった。
仕事に不満があるわけでも、人間関係が悪いわけでもない。料理を作るのは好きだし、純也やバイト先の先輩たちも良くしてくれているので、そこに全く不満があるわけではない。
ただやはり、疲労というものは徐々に蓄積されている。こなさなければいけない仕事は当たり前にこなさなければいけない。
お金を貰っているのだから、そこに学生だからという言い訳は通用しないのだ。仕事に慣れてきた今だからこそ、少し気を抜けば致命的なミスをしてしまう可能性だってある。
だからこそ、気を張って仕事に臨んでいるのだが、その緊張から解き放たれた瞬間に突如として訪れる。
肩こりはあまりしない方なのだが、肩は少し張っていて、目の奥も少し痛い。それは寒さによる身体の強張りもあるだろうが、八、九割は仕事の疲労に違いない。
仕事から帰ってきた母さんの姿から、働くというのは大変なんだなと、なんとなく思っていたのだが、実際に働いてみると予想以上に身体にくる。その上、家のことまでやってくれるのだから、世の中の母親、父親には本当に頭が上がらない気持ちでいた。
しかし、その労働の見返りとなるものが給料というものである。
この世の中で働いている半数の人間は、お給料のために働いているといっても過言ではないだろう。お給料とは、これまでとこれからの労働を耐え抜くための『我慢料』なのだ。
俺もそう思うようになっていて、既に社会の歯車の一部になりつつある感が拭えない。
それでもお金があるから買いたいものが買えて、生活が成り立っているのだ。そう思えば、労働というものも悪いものばかりではない。
(社会人になったらもっと大変なんだろうな)
アパートへと辿り着き、家のドアを開けると、食欲がそそられる匂いがが鼻腔まで広がり、腹の虫が鳴きそうになる。
「ただいま。めっちゃ美味そうな匂いするな」
「良くん、おかえりなさい。今日は唐揚げです。もう少しで揚げ終わるので、先にお風呂済ませてきてください」
バイトで疲れて帰ってきても、優奈がこの家で温かいご飯を作って待ってくれていると考えるだけで、バイトを頑張ってきて良かったと感じることができるし、これからも頑張ろうと思えるのだ。
☆ ★ ☆
相変わらず、優奈のご飯は美味しかった。
サクサクの衣に、プリッと柔らかな鶏肉はジューシーで噛めば噛むほどに油が口の中に広がり、ご飯も進む。
優奈はご飯を食べる箸を止めて、頬杖を突きながら俺の食べる姿を微笑ましそうに見つめていた。
「どうした?」
「わたしが作ったご飯を美味しそうに食べてくれて嬉しいなって思ってただけですよ」
「優奈の飯はいつ食っても美味いからな。マジ店出せるレベルで。本音を言えば他の誰かにも優奈のご飯を食べさせたくないっていうのはあるけど」
そう断言できるほどに、優奈のご飯は絶品なのだ。
斗真や瀬尾さんや友人に振る舞うならともかく、知らない男が優奈のご飯を食べて舌鼓を打つ姿などあまり見たくない。勝手に抱いている嫉妬心だが、これは彼氏なら誰でも抱くものだろう。
「そう言ってもらえて嬉しいです。でも良くんの料理には毎回入れて、他の人には絶対に入れないある調味料があります。さて、それが何か分かりますか?」
突然のクイズ形式となり、優奈は人差し指を立てて問いかけてくる。
ベタだとは思いつつも、これしかないだろうというのが一つだけ。俺はそれを少し恥ずかしげに言葉にする。
「……愛情……すか?」
「正解です。良くんのご飯にはいつも愛情持って作らせていただいてます」
目には見えない調味料だが、それは受け取り人によって大きく変わる。俺にとっては十分すぎるほどに大きいものである。
「ちゃんといただいてます……いつもありがとう」
「どういたしまして」
そうストレートに言われては余計に恥ずかしくなるのだが、ちゃんと感謝の言葉を口にする。
優奈のご飯は学校を乗り切るためと、バイトの疲れを癒すための至福の時間なのだ。
味噌汁を啜れば、いつもよりも心が温かくなったような気がして、俺も淡く微笑み「美味い」と口にするのだった。
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