側にいて
キッチンで昼食の準備をしている俺の姿を見た優奈は、驚愕したような表情を見せてクリーム色の瞳をパチパチさせていた。
「どうして……?学校は……」
「あ、もしかしてスマホ見てない?」
優奈は小さく頷く。どうやら午前中はずっと眠っていたようだ。手に持っていたスマホを操作すると、一通の通知が届いていたことに気がつく。それは「午前中で帰ってくる」という俺からのラインだった。
「なんで……?」
とりあえず優奈を椅子に座らせると、重そうで今にも落ちそうな瞼を開きながら尋ねてきた。
「情けない話、優奈が心配で授業まともに受けられなかったんだよ」
授業が始まってからというもの、優奈の体調のことばかり気にしてしまい、気がつけば板書が進んでいて慌てて書き写す。その繰り返しだったのだ。
それは時間が経てば経つほど酷くなっていき、四限目は板書こそとっているものの、授業内容は頭に全くと言っていいほど内容が頭に入らなかった。先生に当てられなかっただけマシである。
そのこともあって色々と悩んだ末に、適当な理由をつけて帰るという一つの答えが出たというわけだ。
「良くん……その……」
「言っておくけど、俺が勝手に心配になったから帰ってきただけであって、優奈が変に思い詰める必要はないからな。ないと思うけど」
優奈も俺と同様に自分を必要以上に責めることがある。風邪で弱っているときは尚更だ。だからこうしてフォローを入れておく必要がある。
学校の授業と優奈の体調。天秤に乗せたとき俺にとってどちらが大切なのかはいうまでもない。
午後の授業の板書は、後日斗真にノートを見せてもらうことにしよう。
「今日一日ゆっくり休んで、明日からまた一緒に学校に行こう。優奈がいないと俺も寂しいからさ」
そう言うと、「……ありがとうございます」と優奈から小さな声で告げる。それでも感謝の気持ちは十分に受け取ったので、俺は「もう少しでできるから待っててな」と彼女に微笑みを見せて、準備を始める。
寝起きの彼女は体温計を脇に挟む。その際にパジャマの首元を少し広げていたので、俺は慌てて視線を逸らす。もちろん見えるわけないのだが、何故か見てはいけないような気がした。
当の本人は熱で頭が回っていないのか、ぼんやりとした様子で熱が測り終えるのを待っていた。
帰宅途中に買い物は済ませていて、そこには優奈がご所望していたりんごも入っている。
俺も昼食は優奈と同じうどんを食べることにする。茹で上がったうどんを器に移して出汁を入れれば、それを優奈の元へと持っていく。
「熱はどうだ?」
「まだ少し高いですけど……明日には治ると思います……」
体温計を受け取り確認すると、三十七度三分。
朝よりも体温は下がっていて、鼻声も元に戻っていた。これなら明日にはいつも通りに登校できるかもしれない。
「美味しそう……」
優奈は湯気が立つうどんを見て呟く。
特になんのアレンジもしていない。申し訳程度に薬味のねぎをほんの少し添えてあるだけなのだが、美味しそうに見えるのなら、やはり体調は徐々に回復に向かっているようだ。体調のことも考えて彼女の量は少し少なめにしたのだが、
「もし食べられるのなら食べてもいいぞ。おかわりあるし、体力も回復するから」
食べたい……というのは流石に恥ずかしいのか、「いえ、大丈夫です……」とうどんに息を吹きかけて冷ましながら啜った。
☆ ★ ☆
食事を終えて薬を飲み終えた優奈は、ソファーに座っていた。お腹が満たされたせいかうとうととしていて、時折首が上下に揺れていた。
「ほら。病人はとっとと寝ること」
俺は洗った食器を水切りカゴに片付けて、優奈が昼寝から起きたとき用にりんごの皮を剥いていた。食べやすいサイズにカットして皿に入れ、冷蔵庫の中へとしまう。
今にも寝てしまいそうな優奈の肩を優しく叩いて、一緒に優奈の部屋へと向かう。部屋には乾燥を防ぐために濡れタオルを用意しておいた。
「何から何まで……ごめんなさい……」
「言ったろ。俺が勝手にやってんだ」
毛布を口元まで覆って申し訳なさそうに謝る優奈に、俺はしゃがみ込んで気にするなと微笑みを見せる。
「これで一回、俺は家に戻るから。冷蔵庫にはカットしたりんご入ってるから、好きなタイミングで食べてくれ。もし何かあったら……」
毛布に隠れていた優奈の腕が伸びて、俺の手を掴む。その力はあまりにも弱々しくて、今の優奈の状態をそのまま表していた。
「側に……いてください……」
俺をこの場に留めようと握っている優奈の手は、今すぐにでも振り解けるだろう。だが俺は振り解こうとはしなかった。いや、できるわけがなかった。
「たった半日……一人でいただけなのに……寂しかった。周りは静かで……誰もいないことだけが分かって……寂しかったんだから……今だけは側にいてください……」
涙目になりながらまるで子供のようにイヤイヤと優奈は首を振る。学校生活ではもちろん、一緒に過ごしてきた俺ですら見たことのないような、そんな表情だった。
風邪を引くと身体だけでなく心も弱る、
動くこともままならず、誰とも接することもできずに家でしんどい思いをしながら過ごさなければいけないのだから、そう感じてしまうのは当然のことだろう。
ましてや優奈は一人暮らし。余計に孤独感を感じるのは当たり前だ。
「分かった。でも流石にバイトは行かなきゃだから五時までな。本とってくる」
優奈が安心したように微笑みを浮かべると、目を瞑る。俺は立ち上がって、鞄の中に入れていた小説を取り出して、再び部屋へと戻った。
ペラペラとページを巡っているうちに、優奈から規則正しい寝息が聞こえてくる。あどけなくて可愛らしい寝顔だ。
(全く、面倒で可愛いお姫様だな)
気持ちよさそうに寝息を立てる優奈に、どうしようもなく愛おしさを覚えて「早く良くなれよ」と軽く髪を撫でて、バイトの時間になるまで優奈の部屋で本に目を落としていた。
良介はこの後ちゃんとバイトに行きました。
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