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不意打ち

 あの後は特に打球が飛んでくることはなかったのだが、その代わり生徒たちからは「よく守った!」やら「さすが王子様!」やら「天野さんを抱きしめられるなんて羨ましい……」といった賞賛や羨望の言葉が飛んだ。


 打った生徒からはあとで謝罪されたのだが、結果としてお互い怪我はしておらず、また故意ではないことは分かっていたので、俺も優奈も気にしなくていいとその言葉を受け入れた。


 ソフトボールは三年生チームの優勝で幕を閉じ、閉会式が行われた。球技大会は大盛り上がりで大成功と言っていいだろう。


 帰宅してからは、すぐにシャワーを浴びて汚れた体操服とスパッツを手洗いしたあと洗濯機へと放り込み回したあと、ソファーに横たわった。


 疲労からか、睡魔が襲ってきて瞼が重くなる。睡眠欲には逆らうことができず、俺はそのままゆっくりと目を閉じた。


 ーーそして今に至る。


「一つ聞いてもいい?」


「なんでしょう?」


「なんで俺、膝枕されているんですかね?」


 目を開けば、頭を太腿に乗せて微笑む優奈の姿があって、非常に驚き困惑した。入浴を済ませてきたのか、肌の血色が良く優しい石鹸の香りがした。

 目が覚めたのも、普段の俺からは絶対しないような甘い香りがしたからだ。


 時間を確認すると、眠りについてから三十分ほど経過していた。その間に優奈は合鍵で俺の家に入って膝枕をしてくれていたのだろう。頭を動かされていることにも気がつかず、それだけ疲れていたということか。


「してあげたくなったからしてるんです。それに良くん好きですもんね。膝枕」


「……まぁ、好きです」


 好きな女の子の太腿の上で眠ることができるのだから好きに決まっている。逆に嫌いな男などいるのだろうか。


 ぐぅっと腹の虫が鳴る。

 手でお腹を押さえながら少し顔を赤らめる俺を見て、優奈はクスッと微笑みを見せては「可愛い」と呟いた。


「少し早いですけど、夕飯の準備しましょうか?」


 これまではお互いの家を行き来して夕食を食べていたのだが、バイトが始まって以降は俺の家で夕食を食べることになった。

 食費もきっちり半分に分けている。食器が入っている棚も、少しずつ優奈の箸やらお皿やらコップやらが置かれ始めていて「なんか同棲してる気分」と思うこともある。


「いや、それよりもう少しこのままがいい。もちろん優奈がきつかったら退くけど」


「分かりました。じゃあもう少しこのままで」


 俺のわがままに嫌な顔一つ見せることなく、優奈は笑った。


「あったかいな。凄く落ち着く」


 言ってすぐに「なんか変態みたいなコメントじゃね?」と思うも、優奈は特に気にする様子もなく「お風呂上がりですから」と短く答える。


 こんな暖かくて柔らかい太腿に頭を置いて、優しくて甘い香りが近くで感じられると、少し鼓動が早くなりつつもまた少し眠気が襲ってくる。

 

「眠くなってきましたか?目がトロンとしていますよ」


「そりゃ疲れている上にこんな枕が付いてきたら眠くなるに決まってんだろ」


 優奈も疲れているだろうし申し訳ないと気持ちはあるのだが、それ以上に今日は甘えたい気持ちがあったのだ。優奈もしてあげたいと言っていたので、今日はとことん甘えることにする。


「今日は頑張りましたもんね」


 優奈は手を俺の頭に置いて優しく撫で始める。

 少しくすぐったくも感じたが、とても心地よかった。


「それはお互い様だろ」


 優奈の頑張りは見ることはできなかったが、負けず嫌いの彼女のことだ。きっと最後まで本気で取り組んでいたのだろう。右手を優奈の左の頬に持っていて優しく触れると、優奈は左手で俺の手を押さえて気持ちよさそうに目を瞑っていた。


「……良くん。わたしは……良くんの力になれていますか?」


「え?」


「良くんに支えてもらってばかりのわたしは、少しでも良くんの役に立つことができていますか?」


 目をゆっくり開いた優奈が、不安そうに尋ねる。


「あぁ。立ってるよ。俺の身には余るくらい、優奈からいろんなものをもらってる」


「わたしも、良くんからいろんなものをもらってます。今日だって助けてもらいましたし」


「優奈は俺が守るって言っただろ」


「はい。言ってもらいました」


 優奈は安心したようにくしゃっと笑う。

 俺は頬に触れていた手を離して、優奈の腰に手を回しては顔をお腹に埋めた。

 守ると言ったそばから自分から抱きしめているのだから説得力がないなと苦笑する。優奈は一瞬驚きの色を見せたが、「よしよし」と頭を撫で続ける。


「今日の良くんは特に甘えたさんですね」

 

「たまにはこんなに甘えたっていいだろ」


 そう言うと、優奈は柔和な表情を作って俺の耳元に口を近づける。髪を乾かしていたときの優奈が艶やかで色っぽい大人の女性とするのなら、今の優奈は穏やかで優しく小さな子供を慈しむような母親のようだった。


「良くん。大好きです」


 何度聞いても慣れないその言葉に、俺は顔を熱くする。「お耳真っ赤ですよ」と笑いながら言う優奈に俺は横たわっていた身体を起こして、


「俺の方が好きだし」


 と、強く言った。


「わ、わたしの方が好きです!」


「いーや俺だね。俺の方が好き!大好き!」


「わたしの方が大好きですよ!良くんのいいところ百個は言えますから!」


「俺は二百個言える!」


「じゃあわたしは五百個言えます!」


「じゃあって何だよ!それなら俺は千個言えるわ!」


 こんな子供みたいな言い合いがしばらく続いた。お互い好き好きと言い続けたせいで恥ずかしさと疲労で息を切らす。


「お、俺の方が好きだっつーの……」


「良くんより、わたしの方が好きです……」


 俺たちは息を整えながら見つめ合う。気がつけば手を繋いで、お互いをより一層感じられるように指を絡ませていた。


 優奈はスッと目を閉じる。俺は顔を近づけて優奈の桜色の唇へとーー


 ぐぅー。


 本日二度目の腹の音が鳴る。

 いい雰囲気だったのに完全に場の空気が崩れていくのを感じて、情けないと自分を責めるように頭を抱えた。


 瞑っていた優奈もゆっくりと目を開いては淡い笑みをこぼす。


「悪い。雰囲気壊しちまっ……」


 そう言い切る前に、優奈の唇によって俺の口は塞がれる。ほんの少し触れ合う程度で、すぐに唇を離した優奈ははにかんで立ち上がる。

 

 柔らかな感触が脳を痺れさせて、俺は指で唇に触れながらしばらく固まっていた。


「お腹が早くご飯欲しいって言ってるので、もう準備してきますね。食いしん坊の良くんのために今日はたくさん作ってあげますから」


 優奈は笑ってキッチンに向かって歩き出す。

 俺はうつ伏せるように再びソファーに横たわると、「うー」と小声で呻き声を上げながら一人で悶えていた。

お読みいただきありがとうございます。

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